著者の主張自体は脇に置くとしても、安易に個人の体験を一般論に持ち込むことには(とりわけ教育分野では)慎重であるべきだろう。どうしても個人の体験に触れなければいけないときも、己の特権性や経験の特殊性にはかなり意識的であるべきだ。仮に同じ結論であっても、「それでも人生にイエスと言う」のが、アウシュビッツのフランクルであるか、(早くに両親を亡くしているとは言え)戦後日本の高度成長期に生きてきた著者であるかは、己の無価値感に悩む者にはかなり大きな差としてたち現れるだろう。
それとも、もしかしたらこの本には、「それでも、どんな親でも、生きていてくれるだけいいじゃないか」という著者の孤独な叫びが形を変えて、「親が生きているという意味では『恵まれた』」子供たちへのある種の嫉妬として表れて、通奏低音として鳴っているのかもしれない。もっとも、それなら文学でやれという話だが。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
仮想的フラッディング方法