形式:Kindle版
出版社:みすず書房
⇒ピダハン族に対する伝道は著者が4人目であったが、いずれも失敗に終わった。筆者はこれを人類の言語文化の基礎的理解の新たな問題提起と考える。チョムスキーの普遍文法(認知→言語:人間は本能として言語を必要とする=演繹法)に対する民族文法(文化→文法=帰納法)という概念が必要であることへの提案にもなる。この書をどう理解するかがポイントだが、再帰がなくてもコミュニケーションが成り立つという意味では人類の幅は裾野的に拡がっていることが理解できる。とにかく現場が大事、という人類学言語学の基本スタンスを改めて感じる。
文字(のことは書かれてなかったけどおそらく)もない、数の概念もない、左右の概念もない、神や創世神話も持たない、指導者もいない、他の文化を受け入れて、より豊かで便利な生活を求めるわけでもない。無い無い尽くしの彼ら。それでも「類を見ないほど幸せで充足した人々」なのだ。グーグルアースでマイシ川を見てみた。ジャングルで川の存在もわからないほど!もうスゴすぎる。
2012年の新刊時に気づかなかったのは痛恨のエラーだが、この数年で一番ショックを受けた本となった。もう少し長い感想文をブログに書きました → https://bono-bono.blog.jp/archives/1859491.html
本書半分は一般読者向けに言語論の現在をチョムスキー言語論の前後も加えつつ、パラダイムシフトになりうるかピダハン語、の様相。私自身はピダハンの幸福と江戸末期日本を訪れた欧米人が捉えた幸福な日本の子どもたちの笑顔が重なった。しゃにむに欧米化の廃仏毀釈、古い信仰ぶち壊し天皇現人神官立神社を打ち立てた明治発日本の混迷はどこで清算されうるのかを朦朧と考えた。
⇒ピダハン族に対する伝道は著者が4人目だったが、いずれも失敗に終わった。筆者はこれを人類の言語文化の基礎的理解の新たな問題提起と考える。チョムスキーの普遍文法(認知→言語:人間は本能として言語を必要とする=演繹法)に対する民族文法(文化→文法=帰納法)という概念が必要であることへの提案にもなる。この書をどう理解するかがポイントだが、再帰がなくてもコミュニケーションが成り立つという意味では人類の幅は裾野的に拡がっていることが理解できる。とにかく現場が大事、という人類学言語学の基本スタンスを改めて感じる。
あくどいブラジル人にそそのかされたピダハン族の男に殺されそうになったり(ピダハン族は普段は酒を飲まないので、偶にブラジル人から手に入れるとタチの悪い酔い方をする。) ある女性のお産が上手くいかずに助けを求めるも誰も手を貸さずに母子共に死んでしまったり、母親が死んでしまった赤ちゃんを著者が育てようとすると目を離した隙に数人の男がお酒を飲ませて殺していたり、他の部族との殺し合い等、とにかく衝撃的な出来事のオンパレードだ。
しかし、その根底にあるのはピダハン族なりの考え方、文化、哲学だ。そしてこの本を読むとそのピダハン族の持つ文化とピダハン語が密接に関係している事が分かる。言語を文化から切り離して考える事の難しさ
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