形式:新書
出版社:筑摩書房
形式:Kindle版
小泉はこうした党による介入を排し、統治構造改革が想定した通りの政権公約型選挙と首相主導の政策決定を行うが、党に対する政府の優越をはっきり制度化したわけではなかった。以降三代首相は党に配慮して首相権力の強化などの改革の成果を活用できぬまま政権交代をみる。小泉による首相主導はその個性にも大きく依拠したものだったが、民主党政権は国家戦略局や閣僚委員会によってそれを制度化し、一時は政調会を廃止するなど党に対する政府の優越も確実化しようとした。
官邸が政策決定の制度弄りに熱中する一方、肝心の政策に実効性が欠けたことが墓穴を掘る。この一因は事務次官等会議の廃止のように官僚を政策決定から排除したことだが、対照的に12年の自民党は経産・財務省と協力して政権公約を作り、政権に就くと事務次官の連絡会議の設置を決めた。官僚を排除するよりも幹部人事を通して厳しく統制し、首相主導で使いこなす。野党時代を経た族議員の弱体化と総裁直属の党内諸機関の設置で党を政府優位に抑制し、解散権などの首相権力を過剰と言われるほど使いこなすこの政権は制度改革の申し子とも言える。
ビジョンは脇に置き、1年ごとに目玉政策の看板を次々に掛け替え、「いま」は景気が不安定だからと消費増税を延期 (※あるいは決断) し、「いま」なら勝てると抜き打ち解散を敢行する/41‐42頁――「長期的展望に欠けた短期志向」というのはあらゆるところで聞かされる言葉ではあるけども。/あとがきによれば、筆者は1990年に自民党第二派閥「清和会」の「派閥記者」となった。91年に領袖・安倍晋太郎が死去、三塚博が後を継ぎ、この三塚派の中核二人を、深く取材したそうだ。鹿野道彦と、小泉純一郎である(307頁‐)。
本書は、「あの時、何がどのように起こっていたのか」を知るために適当な「事実の記述の積み重ね (9頁)」である。いくつかの政治学的分析は加えているものの、政治思想、抽象化された話は他に求める必要がある、そもそもこの時代の政治家たちに「国家百年の計」としての思想/理念があるとは思えないのは、いち読者の先入見、同時代的な「イデオロギー」の生々しさによるのだろうし、筆者の立場・記述の限定ゆえでもある。
第四段階は主に民主党政権。この時期に政調会の廃止による、政府・与党の二元体制から内閣の下での一元的な政策決定への移行や総理直属の「国家戦略局」を設置し、政治主導で予算編成を行うなど、内閣機能の強化や首相主導による政権運営という点で一連の統治機構改革と連続性を持つ側面があったといえる。また、2008年に民主党の修正によって置かれた内閣官房に幹部人事を一元管理する「内閣人事局」の設置が2014年によって行わるなど、ざっくりまとめると、今の「安倍一強」が政治改革の「結果」として生まれたものだ、といえそう。
413ページもあるので内容をまとめきれなかった。もっと内容を知りたい人はこのページを見てほしい。https://thepage.jp/detail/20170609-00000006-wordleaf?page=1
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