形式:新書
出版社:中央公論新社
「外交の要素に三あり、一は国民自然の位置也。二は武力の強弱也。三は外交に関する国民智識の多少、是也。<略> 論者多く云う、外交家背後の大勢力は武力にありと。然れども我輩は云わんとす、国民外交上の智識にありと」(雑誌『世界之日本』第一号巻頭論説より)
<コメント>の引用は、明治時代にこのように言い切ったのは凄いなと思った次第。このように考えて外交を担当している政治家が、現代においてもどれほどいるか怪しい限りです。
⇒陸奥は形成期の近代日本に起こる様々な政治変動に、自分自身の影響力をいかに高められるか、という視点で向き合った。立憲政治や議会政治も、陸奥にとっては自身の影響力を政界に扶植するためのいわば足掛かりで、特定の勢力に過度に与することなく、政府と議会の間を巧みに立ち回りながら勢力の拡大に余念がなかった。「抑も政治なる者は術なり、学にあらず」という陸奥自身の言がそうした姿勢を端的に物語っている。頭脳は間違いなく明晰だが、「剃刀」のような切れ者というより、策士としての側面が強い人物だった。⇒(2/3)
⇒他方、条約改正事業にあたっては、議会や政党に対して交渉経過に関する情報を徹底的に秘匿しつつ、相手国との「対等」の原則を前面に押し出して閣内の意思統一に成功した。筆者はこの点における陸奥の貢献を評価すると同時に、デモクラシーの普及を主張しながらも秘密主義的で、かつ平凡な人々との政治談議を好まない貴族主義的な傾向のあった陸奥の政治姿勢を彼の欠点と指摘する。陸奥らしいといえばそうだが、もし彼が長命で、大正14年の男子普通選挙法の実現を見届けていたらどう反応しただろうかと、些か気になるところである。⇒(3/3)
外交に関して穏健な立場だった伊藤博文の首相時代に日清戦争に突入したこと、その伊藤が(本書には記されていない場面だが)挑戦で暗殺されたことは歴史の皮肉だと思う。陸奥は先達坂本龍馬と後進原敬の間にいたという点で、幕末から戦前にかけての政治史において重要な位置にいたことがよくわかる。用意周到であったがために、かえって国賊に乗る立場になって逮捕・収監されたというのは面白い。英雄視されてもおかしくない資質はあると思うが、自分の出世のために手段を択ばず敵を作りやすい点は、物語的には悪役が似合うタイプだなとも思う。
日清戦争が、朝鮮の民衆反乱(東学党の乱)の鎮圧のために出兵したものの出番ないまま沈静化して、引くに引けなくなったから理由こじつけて清に戦争ふっかけたというかなりグダグダな始まり方をしていたのは、この本を読んではじめて認識した。そして、陸奥こそが「もう兵だしちゃったから戦争して成果だすしかねーじゃん」という主張で動いた張本人であることもはじめて知った。著者の佐々木氏が刊行時(今も)30代でびびった!私より年下だ。
⇒http://tetsutaro.in.coocan.jp/Writer/S/S156.html#S156-001
ちなみに大津事件のときは下手人の津田を暗殺すべしと伊藤博文に進言していたりもするので、決して高潔なだけの人物でもない。幕末の若者って結構そういう人多そうではあるけど。
人物であり、その権力志向故に明治天皇から絶えず警戒の目で見られていたというのは、宜なるかなと思わせられる。/陸奥の独自性は外交において、政策の中身よりもそのディスプレイの仕方に発揮された。例えば、条約改正に当たっては、前代の井上外交や大隈外交に比べ内容で目新しいものはなかった、と言う。前任者達は段階を踏んで対等性を勝ち取って行くことを示したが、陸奥は細かな交渉内容は徹底して秘密にし最初から「対等性」を全面に押し出すことによって国内の議会や有力政治家から不満の声が起こるのを防いだ。陸奥の本領は(続
外交その物ではなく国内対策の場で発揮されたと言える。/この様な陸奥の議会対策は議員や彼らを選出した国民を舐めた振る舞いであり、彼が終生口にしていた「デモクラシイ」の内容がどの様なものであるかを言わずして物語っている。時代はかけ離れた感はあるが、財務省が声高に昨今キャンペーンする「財政危機」とやらに同じ国民に対する目線を感じるのは穿ち過ぎだろうか。後、日清戦後の対韓対応について閔妃殺害等拙劣を極め、為に韓国政府をしてロシアに走らせてしまったが、この事の陸奥や外務省の責任を検討する記述が欲しい。(了)
「蹇々録」。岩波文庫で★1つだったような……。気になります。
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「外交の要素に三あり、一は国民自然の位置也。二は武力の強弱也。三は外交に関する国民智識の多少、是也。<略> 論者多く云う、外交家背後の大勢力は武力にありと。然れども我輩は云わんとす、国民外交上の智識にありと」(雑誌『世界之日本』第一号巻頭論説より)
<コメント>の引用は、明治時代にこのように言い切ったのは凄いなと思った次第。このように考えて外交を担当している政治家が、現代においてもどれほどいるか怪しい限りです。