ただフィリテの言を日本の信仰にも等しく言えるすれば、個人の存在の根源を点で見るか線で見るかという西洋との対比ができるのではないか。キリスト教では存在の根拠が神に直結しているが、日本は、その祖先崇拝を見ると祖先との連続性に存在の根拠を感じていると考えることもできる。ただ、そうすると所謂イエの理解が難しくなってしまうかもしれないが、日本では伝統的には個人は社会的な存在とはされず、イエなどの団体が存在と認識されてきたということなのかもしれない。いずれにせよ、そうした次に学びたいことが広がる一冊だったと思う。
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