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キリスト教と日本人 (ちくま新書)

感想・レビュー
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takao
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0255文字
みじんこ
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日本におけるキリスト教の歴史と、そこからなぜ日本には浸透していないのか(その中でも正教のシェアはなぜ極端に低いのかも疑問だったので勉強になった)、信じるとは何かまで考える。先行研究もよくまとめられており、戦国時代における貿易との密接な結び付き、人身売買は行われていたが「奴隷」は様々な形態があったということや、隠れキリシタンの実際については興味深く読んだ。マザーテレサでさえも盲目的な信仰をしていたわけではなく、ある種疑うことも信仰活動の一つとする考え方は面白く、真摯な向き合いと神の助けへの求めを感じる。
0255文字
りょう
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ザビエルによるキリスト教の布教から近代日本で布教活動の歴史について、非常に面白かったです。その後の信仰とは、信じることとは何か興味深いものでした。紹介されていた本も読んでみよう。
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ソフィア
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日本はミッションスクール等に見られるように、キリスト教文化を市民レベルで受容している。それにも関わらず、キリスト教徒数が増加しないのはなぜなのか?筆者は日本史におけるキリスト教史を紐どきながら、丁寧に且つ中立的な立場からこの疑問への回答を試みている。政治と宗教の問題で国内が揺れているからこそ、日本におけるキリスト教の正しい理解に努める必要があることを改めて認識した。引用文献もぜひ読んでみたい。
0255文字
Kentaro Yoshida
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★★★★★
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yucco
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流し読み。大航海時代の日本での布教で、全能の神は何故悪魔を作ったのかとか、キリスト教を知らずに亡くなった人は救済できるのかとか、宣教師が質問されまくった話は興味深かった。禁教したのは人身売買が背景にあったというのも、教科書にはなかったかも。高村薫の信仰しない理由は直感的に分かりやすかったが、そもそも信仰とは何かという根源的な問いに立ち戻る必要もありそう。
0255文字
U2
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著者は某教派で受洗したというけっこうガチな信徒らしいが、キリスト教の暗部にも触れ、公平な視点で書かれている。本書では、様々な人々のキリスト教観や研究者による諸説を紹介しながらキリスト教と日本人の関係について解説されているのだが、それだけではない。世界宗教の代表たるキリスト教と、それに縁遠い日本人との関係を考察することで、そも信仰とは、人間とはなんぞやという問いに迫る一冊でもある。いかにも信心深そうなパブリックイメージに反し、神の沈黙に葛藤していたマザー・テレサの逸話など、考えさせられるものがある。
0255文字
たろーたん
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日本のキリスト教は土着化されたもので、これは本当にキリスト教なのか、と批判されるけど、それならフランスだってスペインだって土着のキリスト教。一神教と言いながら聖人を拝んだり、三位一体説で三人なのに一人という無茶ぶりも多い。日本の10人の1人はキリスト教系の学校などを通っているし、キリスト教美術等も吸収できるのにキリスト教徒は1%。で、そんな中で「そもそも信じるって何?」「信仰ってどういうこと?」と考えるのがこの本。続く
たろーたん

カクレキリシタンは土着化したキリスト教で本人たちもキリスト教をよく分かっていないって宮崎賢一郎が言っているけど、他国のキリスト教徒だって完全にキリスト教を理解している奴なんてそんなにいない。幼児洗礼ならなおさら。そして、著者は最後、理解するとかキリスト教を知っているという道ではなく、マザーテレサの例を出して「信じなくてもいい」。「信仰の究極は感心」って言ってるのが新鮮だった。

05/18 14:30
0255文字
わえ
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キリスト教と日本人の関わりの歴史を見、宗教・信仰とは何か、という「問い」に考えを巡らせる本。最後の方で、マザー・テレサと、他の日本に来た一部の攻撃的な宣教師たちの対比に触れられていて、信仰のあり方には様々あるのだなと思った。宗教を信じていても信じてなくても、信仰があってもなくても、人間は人間としての営みをする。(他宗教の建造物破壊などをして)自分と異質なものを排除しようとする者もいれば、(他宗教を認めるなどで)多様性を受け容れる者もいる。 立花隆氏の「宗教嫌い」という時の「宗教」の意に違和感を覚えた。
0255文字
kei-zu
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教会のオルガンも弾く音楽家を父に持った祖母は、嫁いだ先で随分苦労したという。教会で賛美歌を再び歌えるようになったのは、晩年、独り身になってからであった。 暴君であったという祖父の生前、彼女の信仰の灯火はどのようであったのか。私にとってのキリスト教は、大好きだった祖母を探す旅路でもある。 本書がいう「キリスト教」に代えての「キリスト道」の語が胸に響く。
0255文字
jupiter68
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全体的には楽しい内容だった。はじめは、戦国武将とキリスト教の出会いから、最後は信じることや宗教とはということてまで話が進んだ。途中低レベルな話になりつつあったけど、持ち直したのである。一見粗削りな文章の中に、素朴な疑問を解決しようとする力強い著者の姿勢が見えた。
0255文字
montetsutsu
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キリスト教の日本伝来から禁教、明治以降の禁教撤廃の歴史も面白かったけど、後半の宗教とは何か、信仰とは何かの論考がいい。
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ハナ
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日本人にとってのキリスト教とはどんなものだったのかを伝来から解説し、その後、本書の目的である「宗教・信仰とはなにか」という問いを、先行研究や有名人のエピソードを基に考察している。感銘を受けたのは、神学者・ティリッヒの宗教・信仰は「自己の存在の意味にかかわる“究極的な関心”」だという主張。これを受けて筆者は、真理を求めている限り、宗教批判でさえ宗教であり、「疑う者も、救われる」と述べているのだが、この一言で、宗教・信仰といった言葉のイメージが広がった気がした。
0255文字
1959のコールマン
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☆4。ううむ。短くまとめると、「結局のところ、キリスト教を含む宗教ってなんなの?」という問いに対する答えにならない答え(ただし否定的な意味ではなく)、というところか。まずは日本における宣教史が書かれているのだが、その内容は、著者がキリスト教徒とは思えないほど公正に(つまり時には辛辣に)書かれている。次に日本におけるキリスト教受容度の低さ、その理由、最後にマザー・テレサを例に出して宗教とは何か、を問いかける。なお、「キリスト教と日本人」のタイトルに惹かれて読むと後半の展開にあれれ?となるので注意。
0255文字
しなもん
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宗教、信仰とは何かを信じ込むこと、ではないのでは、という内容。日本とキリスト教の歴史をまとまった形で知ることができた。たまたま若い仏教の僧侶の方と話す機会があり、神や仏を信じるより、祈る時を持つことが大切になってくるのでは、と言われていた。ローマ教皇の来日でも平和のための祈りが持たれた。私は信者ではないという意味で信仰は持たないが、それに捉われずこれからもたまに教会に行ったり、キリスト教主義の学校で学んだことを生かしていきたいと思った。
0255文字
trazom
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著者のスタンスは非常にフェア。キリスト教徒にも非キリスト教徒にもオープンだし、カトリック、プロテスタント、正教会のそれぞれに対しても、歴史的な功罪を明確にしている。迫害を受けるだけでなく、武器売買や仏教弾圧などで率先して迫害したのもキリスト教徒だったという視点も忘れない。だからこそ、聖ニコライやド・ロ神父の献身は一筋の光明である。「信じること」で「考えること」を放棄していると信徒を批判した池田晶子さん、「懐疑」こそが「信仰」を創造的にすると指摘したパウル・ティリッヒ。「信仰」を考えるいい本だった。
0255文字
Keita
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日本人とキリスト教の関係を丁寧に解説し、後半では様々な立場の意見を取り上げながら「信じる」とは何か、と問いかけています。なぜクリスチャン人口が1%から変わらないのか、についてもいくつかの示唆を与えていますが、十分な答えになっているとは言いづらく、著者が言うように「問い」を与える本という印象でした。
0255文字
田中峰和
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日本人がキリスト教と出会って400年以上だが、信者はわずか1%なのはなぜか。戦国時代、当時の支配者階級は武器や豊かな物品をもたらす南蛮貿易を目当てにキリスト教を受け入れ活用した。宣教師たちは勤勉で識字率も理解力も高い日本人に感心し熱心な不況を展開した。著者自身、キリスト教徒だが中立的な立場でカブラルのような差別的な宣教師がいたことを正直に書く。実際、彼らの母国ポルトガルやスペインが日本制服を図っていたことも客観的な事実。秀吉や徳川時代のキリシタン政策にも一定の理解を示す。文明開化以降も不信感は残るようだ。
0255文字
樋口佳之
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ティリッヒは、『信仰の本質と変化』という著作のなかで、「真摯なる懐疑は信仰の確証である」と述べている。/「上馬キリスト教会」さんの本と同じ事ですね。/私たちは「戦争」を政治の延長、ないしはその手段として認識する傾向が強いが、それはクラウゼヴィッツ以降の新しい戦争観に過ぎない。戦史家ジョン・キーガンの言うとおり、「戦争」は「政治」よりもはるかに広い領域を含んでいる。「戦争とはつねに文化の発露であり、またしばしば文化形態の決定要因、さらにはある種の社会では文化そのもの」/本題と外れますが印象に残りました。
0255文字
サアベドラ
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前半は日本のキリスト教宣教史のまとめ、後半はそれをとっかかりとした日本人向けのキリスト教・宗教論。2019年刊。著者は『キリスト教と戦争』などの著作がある宗教社会学者。現在、日本のキリスト教徒は全体の1%ほどで、安土桃山時代以来たくさんの宣教師がこの国にやってきた結果としては、たしかに控えめな現状と言えるかもしれない(近隣の韓国や中国の状況を見ると特に)。本書を一冊読んだところで日本のキリスト教がこうなった理由を明確に知ることはできないが、理由を自分なりに考えてみるきっかけにはなると思う。
0255文字
council
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ザビエル渡来以来の日本におけるキリスト教布教史と日本でのキリスト教の扱いや信者が増えない原因考察を通じた日本人の宗教観。一般のイメージと違って時折垣間見える暴力性や排他性、日本人の”神様”が八百万の神的神社の神様に対して一神教の”神”の絶対観が日本人と折り合わない事に理由づけしているのは的確な指摘で、米大統領選挙の度に宗教右翼票頼みだったり学校で進化論を教えるな論争が日本人に理解は出来ないだろう、と納得する。
0255文字
大泉
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戦国時代におけるキリスト教とのファーストコンタクトから明治期における宣教師たちの活動とそれに対する反応を追いつつ、最終的にはそもそも信仰とはなにか、ということの内実を問う。日本キリスト教史としては、先行研究を適宜ひきつつコンパクトにまとまっており、わかった気になる。我々が簡単に口にする「信じる」ということの内実、微妙なあやを伝えようとする著者の誠実さが強く印象に残るよい本です。
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さき
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読みやすくて面白かった!まさにキリスト教に対する問い。大学がプロテスタント系だったけど、聖書の内容と教えが正直納得出来なくて私はクリスチャンにはならないと思っていた。でも宗教、信仰とは信じる、信じないではなくもっと広い意味での信仰生活と捉えることはスっと頭に入ってきた。それでも自分には信仰がなくても今のところ支障がないし、自分に合うと思った宗教を探し続けてみるのが良いと思った。
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KAN
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ネタバレ著者はキリスト教徒ではないと言うが、その点こそがこの本を書くにふさわしいと思った。日本は多くの宣教と殉教、キリスト教の迫害を16~17世紀、19~20世紀と経験しながらも、国の成り立ちがキリスト教と切り離すことのできない西欧文明諸国のなかでは異色な、人口の1%を超える事のない国だからだ。それゆえ、作者の特に最後のキリスト教「信仰」に関する論考は(結論が出るわけではない問題だが)、もともと親鸞に傾倒していた自分にもとてもしっくりくるものがある。日本において「神の国」を考えてみる良い材料になると思う。
0255文字
Masatoshi  Oyu
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本書で最も印象に残ったのは、フィリテの「信仰とは存在への究極的な関心である」という命題である。個人的には信仰を持たず、宗教学などには全くの門外漢であるが、キリスト教にしろ仏教にしろ、世界、人間、苦しみなどの存在を究極の関心を以て突き詰めた結果たどりついた境地と思えば、なんとなく理解できるような気がするのである。 一方でこれは一信教に偏した考え方なのかもしれないとも思う。例えば日本で神道を見た場合、そこでは存在に対する関心というのはあまり見られないように思う。また別の信仰の在り方もあるのかもしれない。
Masatoshi  Oyu

ただフィリテの言を日本の信仰にも等しく言えるすれば、個人の存在の根源を点で見るか線で見るかという西洋との対比ができるのではないか。キリスト教では存在の根拠が神に直結しているが、日本は、その祖先崇拝を見ると祖先との連続性に存在の根拠を感じていると考えることもできる。ただ、そうすると所謂イエの理解が難しくなってしまうかもしれないが、日本では伝統的には個人は社会的な存在とはされず、イエなどの団体が存在と認識されてきたということなのかもしれない。いずれにせよ、そうした次に学びたいことが広がる一冊だったと思う。

08/12 22:03
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なつみん
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世界最大の宗教であるキリスト教は、なぜ日本では広まらなかったのか。 そして「いったい宗教とは何か」「信仰とは何か」という問い。 ぜ、禅問答か…。
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田内千晴
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「信じなくてもいい」!? 副題の『宣教史から信仰の本質を問う』にある通り、キリスト教について、宗教について、信仰について柔軟に問い続ける本です。 言われてみれば、なぜキリスト「教」なのか?キリスト道ではなくて?なぜ信仰の自由が保証された現代でこんなにも日本にキリスト教が馴染んでいないのか?キリスト教徒はキリスト教を説明できるのか?等々。 信仰するとは何か、というくだりが特に印象的でした。「信じ込む」人は敬虔な信徒なのか?神について疑問を持ってしまう人の方が真剣に考えているのでは?という観点は衝撃的でした。
0255文字
佐島楓
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戦国時代、宣教師と戦国大名が武器の輸入という点において持ちつ持たれつの関係だったという意味のところを読み、なぜ日本人(というか当時の権力者)がキリスト教の布教を受け入れたのかがわかった。私は宗教を持っていないが、ミッションスクールに在籍し、教会の勧誘も受けていた。キリスト教を信仰しなかったのは忙しい中自分の時間を使って毎週末教会に行きたくなかったという点が大きいのだが、そういう最近の日本人の独善的価値観、優先順位の変化も論じて然るべきなのではないだろうか。
0255文字
さとうしん
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日本キリスト教布教史を取っかかりにした著者なりの信仰論。キリスト教布教史の部分は先行する著作のまとめという感じだが、「かくれキリシタン」が実は16~17世紀の当初の段階からそれほど変容していなかったのではないかという議論が面白い。ただ、日本にキリスト教が根付かなかった事情について、本書で挙げられているような背景は大体中国や朝鮮半島でも当てはまるのではないかと思う。大胆に言えば、宣教する側や信者の側ではなく、逆に宣教される側の我々の問題点にもっと注目すべきではないかと思う。
さとうしん

補足しておくと、著者も「信仰はもう少し柔軟なものとし理解されてよい」というような切り口で我々の側の問題について議論しているのですが、そういうのではなくてもっと火を付けるような切り口でも良いかなと。

07/09 17:47
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