形式:Kindle版
出版社:小学館
75年でしたか。ろくに調べもせず60年代ぐらいにはコミケあったかと思ってましたすいません。ありがとうございます。同人誌作ってる人はいたかもしれませんが、大学の漫研の部誌を学祭で配る程度だったかもしれませんね。特に革命を起こすとなると商業必須の時代だったのでしょう。増山さんは才能溢れる方だったのは確かでしょうが、時代が追いついていなかったのが本当に惜しいですね。サロンでの女性達の会話は今でこそあるあるなんですが。
>ありがとうございます どういたしまして。要らざるおせっかいスイマセン。
ナイスありがとうございます。 そう、この2冊読んだ後に、辻村深月の「噛み合わない会話とある過去について」を読んだら、ああああこれだよあの二人、と思ったんです。 そして竹宮女史に必要なアドバイザーは、元祖オタクの増山女史などではなく、イマドキの謝罪コーディネーターだった・・・のかも。
コメントありがとうございます。増山さんが亡くなられて、大泉が出版されて竹宮惠子さん大丈夫かなとも少し心配になります。辻村深月さんの本よんでみます!
私も「ファラオの墓」ですっ!単行本大事に持ってます。スネフェルとナイルキアの恋に夢中な小学生でした(  ̄- ̄)トオイメ
みっちゃんondrums さん、ここにも同志が!あの2人の出会いのシーンは印象的でした。
ミカママさん、 私は昔から腐女子自覚していました…。竹宮恵子も萩尾望都も大島弓子も…大好きでした。
たちさん、 「一度きりの大泉の話」を今読んでいますが、本当のことは本人たちにしかわからないことだと思うのですが、なんとなく疑問に思っていたことはわかってきたような気がします。それにしてもお二人とも何とも偉大です。
こんにちは。”竹宮女史にとってあの本は謝罪だった”説というのはけっこうあるようで、枠としては分かんないことはないんですけど、やはり謝罪としては骨法を欠いたものだった、相手の視点が欠けたものだったという感じがしますね。それこそが作家に必要な眼差しの筈なのに、とも思います。偉そうにスイマセン(;^_^A ←AがA’に変わる瞬間ww
はじめまして。コメントありがとうございます。そうですよね。 辛かったのはわかるんですが、私も感想に書いたとおり、本にする前に謝罪や許可がないとまずいと思いますし、謝罪のつもりで書いたとしても、それを伝える礼儀や努力もなしに「これを読んでわかって」はひとりよがりととられても仕方ないと感じました。謝罪って、自分の気持ちを押し付けるのではなくまず相手のことを考えねばならないものだとあらためて思います。
こんにちは、私も増山女史がこの件のアンプだったと思ってます。元祖オタク、それも直接創作者に物言う機会を与えられてしまったオタクですね。
萩尾望都さんの「一度きりの大泉の話」を読むともっと真実が深まるようですよ。
お気に入りに追加有難うございます。因みにこの「少年の名はジルベール」も読みました。噂に聞く大泉サロンがどんなものか知りたくて…。こんなに濃密な遣り取りだったのですね。劇画作家の集まる「国分寺劇画村」ってのもあったそうですが、まぁそんな本出しても売れないでしょうね(笑)。
国分寺劇画村は知らなんだ・・・ お友達もコメントでお薦めしてましたが、萩尾「一度きりの~」も是非! 私は増山A級戦犯説です。。。
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