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ウンコはどこから来て、どこへ行くのか ――人糞地理学ことはじめ (ちくま新書)

感想・レビュー
84

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魔魔男爵
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ネタバレウンコフェミニズム学の大傑作!漫画文学歴史芸術政治経済行政の豊富なウンコネタが語られるが、ウンコ同様汚い劣ったものとされる存在への考察も深いです。ゴーギャンより水木しげるの方が、文化人類学的に偉大な画家であった視点は素晴らしいと思いました。トイレットペーパーが無ければ蕗の葉っぱで拭けば良い。との実生活に役立つトリビアも満載。過去に日本初、日本一の栄誉に輝いた地方自治体でも現在も日本一とは限らないが、下水道行政は神奈川県川崎市が良さげ。上水道運営は米大企業に買われているが、下水道はまだ地方自治体の物だよね?
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読書熊
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刺激的なタイトルだけど、中身は硬派だった
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マカロニ マカロン
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個人の感想です:B+。読書会で紹介された映画『うんこと死体の復権』(関野吉晴監督2024年)の関連本。「ウンコは汚物に生まれるのではない、汚物になるのだ」現在は水洗トイレで、しかも洗浄機付きなので、ウンコを見る機会が減り、また単に汚物として下水処理されるが、1950年代まで人糞は肥料の原料として高値で買い取られていた。幕末来日した外国の外交官たちも日本の循環型農業をエシカルなものと評価した(但しその悪臭は非難の的だった)。そういえば、今は死語だが「田舎の香水」という言葉を聞いたことがあった
マカロニ マカロン

本書のタイトルはゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者なのか 我々はどこへ行くのか」をもじっているが、「ウンコの来し方行く末を考えることは、つまるところ、私たち人間の来し方行く末を考えることにほかならない」と言う通り我々人類はウンコに関しても循環させて持続可能な社会に組み込んでいく必要がある。今の社会で、野糞や人糞肥料は衛生や環境面で現実的ではないが、廃棄物処理をエシカルなサイクルに組み込んでいく必要はあるのだろう。トイレットペーパーが存在しない時代、何で拭いていたかの調査も興味深い、拭き➡蕗

11/22 23:03
マカロニ マカロン

糞尿は西欧社会では「隠す」ものであり、「廃棄」するもので、「危険物」に他ならなかった。日本では駅の便所は屎尿がたくさん集まる場所で、戦後1948年頃神奈川県のある駅では「夜な夜な汲み取り泥棒が横行するため、汲み取り口に南京錠をかけたこともあったという」しかし1950年代に化学肥料万能時代に突入すると、その駅は少なくない料金を支払って汲み取りを依頼するしかなくなった、そしてこの頃バキュームカーの導入が始まった。アメリカのコーンベルトでは戦後もトウモロコシのヒゲをトイレの落とし紙代わりに使っていた地区があった

11/23 20:38
0255文字
海カーブ
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うんこを知ることは世のバランスを知ることである。
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PARO
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戦後まで屎尿を農作物の肥料にしていた。トイレに流された屎尿は下水道を通り、バクテリアが分解するシステムがある。トイレットペーパーがなかった時代は、トウモロコシのヒゲや草や葉っぱ、棒きれ、手で尻を拭いていた。戦前の沖縄や中国では、豚小屋の端に便所があり、そこで便をすると、豚が食べるシステムになっていたが、不衛生のため戦後は廃止された。だから家という字に豚がある。
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紫電改
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うんこの話というのは初めて読んだ気がする。奥が深いね、野菜は水で洗ってから食べるというのは「人糞」をまいていた時の名残りかもと思ってしまう。だってスーパーで売っている野菜はとても綺麗で清潔な品物になっているから。洋式トイレは確かに自分のうんこの状態を目で確認することが出来にくいよなぁ。。。モハメドアリのマネージャーはアリのうんこを見て体調管理をしていたということを聞いたことがある。この本は良書ですね。「胃袋編」も読んでみます。
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晩鳥
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人文地理学ならぬ人糞地理学。以前から気になっていたがようやく読めた。うんこはかつては肥料として取引されていたが、徐々に汚物として扱われるようになっていった。
0255文字
kiyochi
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江戸時代には、ゴキブリは豊かさの象徴であった。 貧富の差によって食べ物が異なっていたので、武家の糞尿は高価であった。 今日において、うんこは肥料ではなく、軽量コンクリート建材、アスファルト原料として再利用されている。
0255文字
おくてつ
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新書大賞2021ノミネート作品から積読になっていた一冊。しばらく通勤カバンに入りっぱなしだったけど、福岡行の飛行機で読了。 実家は俺が小学生の時まではボットン便所。祖父が週末に自分で汲み取って、畑に撒いていたことを思い出す。 名古屋の例を使った利用と処理の歴史の紐解きも興味深い。 猫見ていて思うけど、食べることと勝とも劣らず重要な排泄。汚物って一言で片づけちゃいけないなと思った。
0255文字
どんぐり
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2017年の『うんこ漢字ドリル』の爆発的ヒットにはじまり、2021年の「日本うんこ文化学会」の創設、うんこにまつわる名作を集めた『うんこ文学 ――漏らす悲しみを知っている人のための17の物語』など、私たちの文化、文明のなかでウンコは高尚な研究対象になったり、身近な生活のなかで隠しておくべき恥辱の体験にもなったりする。本書は〈ウンコはどこから来て、どこへ行くのか〉、その歴史をひもときながらウンコと私たちの関係世界をみせてくれる。江戸時代、ウンコは下肥として利用され、地球環境に一番やさしいSDGsであった。→
どんぐり

市場規模は、今のお金に換算すると8億~12億円。食べ物の内容の違いから、武家の糞尿は高価に売買されたという。やがて、都市でウンコが「汚物」扱いになり、地域固有の清掃行政と戦後下水道物語へ発展していく。これぞウンコの栄枯盛衰物語である。うんちく本も知識が広がって面白い。

07/24 22:08
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またの名
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まだ開国する前の日本に来た西洋人が驚き不快を感じた、ウンコを貴重な資源として随所に溜め込み交換し用いる文字通り肥やしの臭いを発してた奇習。米軍占領下でもなお各地に確認できたので醤油の国というよりウンコの国と言うべき人類には早過ぎたエコ社会もやがて、衛生観念を普及させそれを目の届かない汚物のカテゴリーへと押し隠していく。古今東西老若男女富者も貧者も必ずウンコをするが、それを受け止めるトイレ事情は世界多様などと「本能と制度」を論じるドゥルーズみたいに行う真理の指摘が心地良い。排泄物の抑圧はまことに文明的現象。
0255文字
脳疣沼
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単純に面白い!最近読んだ本の中でベストの面白さ。
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makimakimasa
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私の母校に今こんなウンコ教授がいるとは。トイレに若干のウンコが付着していただけで大騒ぎする私の妻に代表される現代日本人とウンコとの精神的距離の遠さに関する深い考察を期待したが、如何せん物足りない。私は居住国の環境上イスラム式に左手で直に拭くのに慣れており、ウンコを割と身近に親しんでいると自任する者だが、著者からはそんな個人的体験をベースに突き詰めた大胆かつ鋭い仮説は余り語られず、ただ歴史的事実としての下肥利用や人糞処理の話がメインだった。汚物としてのウンコ認識にまつわる深層心理は更なる研究成果が待たれる。
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ftoku
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沖縄と本土の下水道整備の歴史的な違いなどが気になって調べてたのだが、ドンピシャな内容だった。近世は、金銭で売買されてたというのがすごいね。
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mak_1410
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ウンコがいっぱいある(見える)環境にいくと、人はうんこについて考えるようになるんだな
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ヒナコ
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タイトルとは打って変わって、非常に重厚なし尿についての歴史書だった。特に、第3-6章の、近世から戦後までのし尿の処理についての歴史についての解説は、丁寧な史料の紹介もあり、とても面白かった。 本書で解説されるし尿処分の歴史を読めば、冒頭で述べられる「ウンコは汚物に生まれるのではない、汚物になるのだ」(10ページ)という言葉の意味がよく分かるだろう。 以下、「ウンコが「汚物」になっていった歴史のまとめ。→
ヒナコ

そこで、権力は、それまで個人間で売買されていたし尿処分を公的なものとし、下水処理システムを整えてし尿を処分するようになった。こうして、ウンコは「汚物」となっていったのである。 しかし、下水処理システムを通じた都市部のし尿処分は一気に進んだというわけではなく、例えば、明治の繊維工場で住み込みで働いていた女工たちのし尿は、近隣の農村に売られてもいた。→

10/06 11:34
ヒナコ

こうした循環が完全に断ち切られたのは戦後のアメリカ統治期であり、(たとえば、本書でも戦後、米軍に占領されたことによって沖縄にくみ取り式便所が整備されたことが紹介されている。)これによってし尿を堆肥として活用する仕方は消えていった。 ウンコが「汚物」になっていったのは、ちょうど日本の西欧化・近代化と軌を一にするのである。

10/06 11:35
3件のコメントを全て見る
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in medio tutissimus ibis.
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以外とつい最近(東京オリンピック頃)まで人糞は肥料として用いられていたし、それに先立って近代に入ってからは肥料としての地位から落ち続けて行っていた。安価な化学肥料との競合や、急速な都市化による供給体制の変化、それに伴い処理能力の限界を迎えたかノウハウの継承がうまくいかなかったのか人糞由来の感染症の蔓延等々。最近読んだ、イングランドの修道院で糞を原料とする肥料の処理が甘くて感染症が蔓延したらしいという記事とか、野菜や果物を必ず煮て食べていたという昭和初期生まれの人の話とかを思い出して個人的にタイムリーな本。
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Daisuke Oyamada
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本の題名通り率直に思ったことがある。 昔は汲み取り便所から家の畑に糞尿を肥料として、自分の体から出たものは農地に還元する。そんな人糞を使用している光景は身近なものであった。 ウンコは畑の肥料になる。そんな風に自然に思っていたが、今のウンコはどこに行っているのか。 私は日本下水道事業団で行っている、「下水道技術検定第2種技術検定」というまぁまぁ難しい資格を有していますが、知らないことだらけで、ますますウンコについて興味が・・・ https://bit.ly/3w3KLfg
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なつみ
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★3.5
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綾
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「だから、こんな風に言えるかもしれない。ウンコは汚物に生まれるのではない、汚物になるのだ、と。」……ボーヴォワールか?ウンコはいつから、誰によって、なぜ汚い物と認識されるようになったのか。かつて糞尿は農業には欠かせない肥料だったが、私たちの暮らしが便利になればなるほど、再利用することが難しくなる。今日ではウンコは「汚物」と名付けられ、分解・無害化されても「汚泥」と呼ばれる。肥料として農地に還元されることはなくなり、セメントの混和剤やアスファルト原料として再利用されている。
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ぽんくまそ
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ウンコを肥料として生かすことをやめていいのか。自分たちのウンコは処理場から先にどうなっているのか。循環型自給自足が夢なのだがその際に避けて通れない問題だ。日本や海外では時代や地域によってどのように糞尿を見てきたのか、扱ってきたのかを追いかけた労作である。近世以降の日本が主だが、奈良時代の頻繁な遷都は人口集中で糞尿処理が追いつけなくなり都そのものを使い捨てしたことが動機ではないか。この場を借りて書くが、ぼくはスリランカ一人旅から帰ってからあちら流の水で洗うやり方で尻を綺麗にしている。紙で拭くより清潔である。
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チェリ
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内容は面白いのだが興味が最後まで続かなかった。取り扱う範囲が結構狭く、殆どが国内の人糞の歴史に成っている。東京の話が終わったら次は大阪の話〜と似たようなトピックを行ったり来たりするが、余程興味がある人ではないと読み続けられないのではないか・・・化学、生物、医学など他に学術範囲も射程に入れるか、海外の極端な例を挙げるなどしてライトな読者にも記憶に残りやすい内容にして欲しかったという感想。今後どう成っていくか(いくべきか)という視点も薄いので、その点も消化不良。
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takao
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ふむ
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Sakie
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気になっていた本。ヨーロッパで人々が家の窓から糞尿を投げ捨てていた頃から、日本人は高値で取引して田畑の肥料にしていた。それをいつ何故やめてしまったか。転機は下肥利用を駆逐すべき習俗と断じたGHQと米軍による指導だった。その後都市化が進み、つまり土から離れて消費するだけの人口が増加するにつれて精神面でも構造面でも不可逆的変化が進み、糞尿は臭くて汚くて忌まわしいものになった。そしてバクテリアを使った下水道処理でできる乾燥汚泥を堆肥にしないのはなぜか。今の人間は土に還元できないほど汚染されている、と言うのだが。
Sakie

化学合成添加物まみれになっているのは残飯も同じだし、どうせ化学合成添加物まみれにして食べるのだから、少々の汚染はもはや仕方ないのではないだろうか。マイクロプラスチックだって、既に人体内組織に入り込んでいるというし。つまり、化学合成添加物を含んでいるから糞尿からできる堆肥は田畑で使えないという言い分が、やりたくない理由にしか聞こえなくなってきた。

04/16 10:42
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西野西狸
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ネタバレかつては下肥として使用されていたウンコがどのように扱われているのかということがわかり大変勉強になる。筆者の調査地・愛知県を中心にウンコについて検討している。特に人口が爆発した都市で人間の排泄物が農業を上回り下水処理の必要性が高まっていったことやそれに伴って衛生観念や排泄物への負のイメージが付与されていく過程が分かる。特にかつて下肥をくみ取っていた農家が紡績工場に残した帳簿という一次史料の紹介は近代の肥料や食の関係性を知る上で参考となった。
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ステビア
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至ってまともな本である。近代化とともに我々はどうウンコを遠ざけてきたのか。蕗は「拭き」、葛は「糞」が語源かもしれないらしい!
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レイノー
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2020年刊行。著者は法政大学人間環境学部教授。◇図。◆ウンコが下肥として江戸期には重宝していたことはよく知られている。ただ、それが何時、汚物として転換したのか?は判然としない部分もある。本書はその経緯を中核とし、ウンコに纏わるあれこれをライトに解説する書である。 ◇都市化、人口増大。農地に必要な糞尿を超えるものは不要。つまり汚物に。汚物化は伝染病の要因という関連性も否定できない。◇分解法。嫌気性細菌の利用は臭気を伴う。ところが、好気性細菌に依る場合には、スピードも速く、臭気もない。ならば有益なはずだ。
レイノー

が、酸素を送り込まなければならない(つまりエネルギーを要する)。◇旧来は砂地処理や海洋投棄がなされていた糞尿処理。バキュームカーの開発、清掃行政のパイオニアは川崎市(東京も大阪市も拒否した)。◆なお尻拭き用道具。紙の他、葉、木片、藁・縄、棒があると。また紙の種類も多様。ちなみに紙以外は凡そ明治末でお役御免(一部地域では昭和まで残存したらしいが)。海外では、例えば米国のトウモロコシのひげ。

11/04 01:26
0255文字
ミムラ
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一生分のウンコを見ました……もうお腹いっぱいで途中胸焼けすらしました。「フライング・トイレット」というパワーワードには笑ったけど、もうウンコはたくさんです。
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Tatsuhiko Teramatsu
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★★☆☆☆
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ふかわ
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読む前に想像していたよりかなり真面目な本だった。日本人とウンコとの歴史的な関わりに関する記述がほとんどを占める。
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Mirror
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ネタバレ食べる ウンコする。あたり前であるが、現在両極の扱いになっている。夏に考えさせる内容だった。沖縄料理の豚🐷がここにつながるとは…
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たろーたん
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トイレットペーパーが普及する前には「蕗(のち拭きの由来となる)」や「葛の葉(東北地方ではクゾっぱと呼ばれていた)」でお尻を拭いていたってのが面白かった。
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ま
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ウンコはただ汚いだけのものだろうか?との問いには思わずはっとさせられる。著者はクソ真面目なウンコのダイベン者(これはごめん、ちょっと言いたかっただけです)。我々がいかにしてウンコを疎外してきたか、その歴史が本書で紐解かれる。下肥としてありがたがって買い取られていたのに、ただただ不衛生で費用をかけて処理される「汚物」へ。近代から現代にかけてのウンコの凋落ぶりが語られ、次第にウンコに感情移入してしまうこと必至。便秘のように凝り固まった現代人の価値観を崩壊させてくれる良書。
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Sushunra100619
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排泄は、食べることと同じぐらい重要にも関わらず、真剣に向き合うことが忌避される。私自身も、子供の頃の祖父の家だったり、父親の郷里へ帰郷した際など、いつもの洋式水洗便所と異なる和式、ぼっとん便所に非常に戸惑い、トイレに行くのが嫌でたまらなかったことを思い出した。忌避の対象として考えていること自体、改めてみたい。
0255文字
りんりん
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インパクトのあるタイトルだが内容は至って真面目。近世から続いた下肥の為の農夫による汲み取りが都市部の広がりと人口増加によって衰退して行く過程、都市化により人々のウンコへの対する意識の変化など、ウンコが辿ってきた歴史を振り返る事で人々の営みや価値観の変遷が分かる。私が子供の頃にはまだボットン便所がそこここにあり、家も水洗ではあるが汲み取り式の和式だった。確かにその頃は今よりも自分の(そして時々他人の)ウンコは身近なものであったように思う。今ではその姿をしっかり確認する間もなく自動で流され消えて行くウンコ。→
りんりん

その事にほんの少しの寂しさを感じさせ、キレイと汚い、有益と無益、自然と命の循環について考えさせられた、5月の締めくくりの本。

05/31 19:27
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siomin
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タイトルはドキッとしますが,中身はいたって真面目。人々が食べたものをどのように排泄し,どのように処理してきたのかをまとめた一冊。ときには畏敬の対象となり,ときには利益を生み,ときには排斥されるなど,時代や場所によって,排泄物は翻弄されているのが示されます。都市化の進展によって循環型社会が崩壊し,今は立ち戻ろうとしているが,都市の生活の中で不純物が混じるので単純に農地で使えないのは驚き。また,世界のトイレ事情も取り上げられ,ケニアのフライングトイレにも驚かされます。
siomin

私の小さい時では,古い電車ではまだ垂れ流し式が残っており,駅に停車中や都市部では使用できない使用になっていました。逆に言うならば,それ以外の場所の線路には排泄物が垂れ流しになっていたというのも,驚きと言わざるを得ません。まあ,現在の西武鉄道や東武鉄道は,都市の排泄物を郊外の農地に供給していた役割もあった時代もありました。駅にはたくさんの人が集まることもあり,トイレも大忙し。鉄道と排泄物の関係も見逃せません。

05/21 16:43
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イカロスのつばさ
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・ウンコの来し方行く末を考えることは、私たち人間の来し方行く末を考えること ・著者の専門は人文地理学→サブタイトル:人“糞”地理学ことはじめ ・近世には「重宝」され「売買」され「利用」され、近代には「汚物」と名づけられて「処理」され「嫌悪」され、その結果「排除」され、そして「忘却」されつつ今日に至る。 ・都市でウンコが「汚物」になる 近代は「大量排泄の時代」、その量はもはや農地に還元できる量をはるかに凌駕し、都市ではその処理が大きな社会問題になり始めていた。 ・「下肥」=「Night Soil(夜の土)」
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wasabi
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下水道処理システムについて知りたくて手にしたけど、そんな専門的で視野狭窄なお話ではなく、ウンコ総論、そもそもウンコは汚いのか、汚いとはなんぞや、そしてウンコ史、世界のウンコ事情と、ウンコ話がてんこ盛り。我が人生においても、トイレも処理紙も大いなる変遷があった。大学受験で上京し、ホテルの洋式トイレに惑ってなかなか用が足せなかった友人がいた。郊外の畑には肥溜めがあり、漂う香りは田舎の香水と称していたっけ。忌避するのは仕方ないとして、改めて学ぶこと多し。椎名誠氏に世界のトイレ事情をまとめていただけば楽しそうだ。
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宮崎太郎(たろう屋)
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人は何を食べてきたかにこだわってきた著者が「人は排泄をどうしてきたのか」に向き合った一冊です。排泄や生理と向き合うことで「汚」という概念が自然と湧き出るものではなく、環境から生まれてくることを考えさせられます。生活の中の一部である排泄はますます生活の中から外れて水洗トイレの先に意識がいくことはありません。とても真剣に歴史から生活を捉えた一冊でした。
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paka
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タイトルに興味をひかれて読んだけど当然真面目な本。 堆肥として取り引きされていた時代から、汚物として扱われるようになった転換点は、自然と出来上がっていた循環型社会との決別になった。 都市化が進み、人糞が供給過剰になり堆肥として汲み取られる以上のものがたまり感染症の温床になったことが原因。 衛生の向上の時代背景はとても面白い。 あわせて、世界各国のトイレ事情津々浦々も面白い。ケニアのフライングトイレは衝撃だけど、トイレが校外にしかなく防犯上のことと、自分の敷地さえキレイならよいという価値観に起因。
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ウンコはどこから来て、どこへ行くのか ――人糞地理学ことはじめ (ちくま新書)評価87感想・レビュー84