太平軍はキリスト教徒を「兄弟」視しながら159p、ヤハウェ以外に「皇帝」の称号認めず、歴代中華皇帝を否定・洪秀全は「真主」として文明の中心を標ぼう・全キリスト教国の上に立つ167p 五王制という分権は中国の階級官制を否定できず180p 東王・楊秀清は天弟ながら天王を下せる≒独占権を有す・洪秀全に挑戦できる←その専横を否定され権力奪取へ→天京事変(粛清)183p 以降の「天弟」は洪秀全絶対体制における官僚にすぎない198p
曽国藩は麾下の略奪虐殺をなじるが欲で将兵を釣ってきた自業自得 総理衙門設置の恭親王は1861にクーデター。欧米の害よりも太平軍処置を優先を発表←欧米国の鎮圧協力へ219p 唯一の神を信じるか「不寛容」⇔偶像崇拝の読書人や満州人の吸収に失敗・新王朝足りえない240p 太平天国の失敗理由である「他者を認めない不寛容さ」と「権力分割により暴走を抑えられる安定した制度≒三権分立・首長者の選挙による定期的な後退」こそがその後の中国に必要243p
いっぽうで、南方出身者を中心とする太平天國は江蘇省あたりの都市民を苛酷に扱ったり、彼らの掲げる"中國"觀念は漢民族しか含まず滿州人を敵視し虐殺するなど不寬容さも目立つ。男女の居住區を峻別するなど人情に沿わぬ政策もみえる。 立身出世の夢破れた洪秀全が、キリスト敎と中國の民閒信仰と儒敎思想をぶち込んでごちゃ混ぜにした、その妄執に人々が理想國家の哀しい志を見出してしまった悲劇であろうか。馬列主義や共産黨にも近い構圖が見いだせるかもしれぬ。
長髪賊は好みませぬが李秀成だけは哀しいですね。投降しようとする蘇州の守將たちを”好きな道を步むがよい”と言って赦したり、(二二七頁) 狂氣に陷った洪秀全に首都脱出や食料の窮狀を訴えても、「天兵が援軍に來てくださる」「甜露(マナ)を食えばよかろう」と全く聽く耳を持ってもらえなかったり。(二二八‐二三一頁)
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