形式:単行本
出版社:志学社
辺境の最前線には「燧(すい)」あるいは「烽燧 蓬燧(ほうすい)」と呼ばれる施設が作られていた、燧は望楼の「堠(こう)」と居住区の「塢(う)」からなっていた。堠はおおよそ9メートルほどの高さ、塢は通常一辺10メートル以内の方形だそう。割と小さそう。1つ辺りの施設に勤めていた兵士の数も3〜5人程度と書かれていた。この燧に勤めていた兵士は「戍卒(じゅそつ)」と呼ばれていたそう。本書だと他にも候官以下の下級官吏や部都尉と呼ばれる長官なども説明されていた。勤務の実態についてかなり詳細に解説されていた。
そして、著者の述べる燧が国境として作られてから耕地が開発されたのでなく、耕地が開発された後に燧が作られたという話や、七稜觚という漢字の練習に使っていた簡牘の話も面白かった。日本語で七稜觚だと検索しても出てこないがおそらく「玉门花海汉简」や「玉门花海木觚」と検索して出てくる物が七稜觚かと思う。漢の時代に生きている人々の生活の様子が伝わってくる非常に良い本だったと思う。
個人的に目から鱗だったのは、対匈奴の防衛線である長城に食糧を供給するために開拓民が住むのではなく、オアシス地帯の入植者を守るために長城が作られているんだ、という主述逆転が興味深かった。長城勤務の兵士は砂漠の中で城を守ってると思いきや、背後のオアシスに住む開拓民を守ってるというのは、自分の中の映像イメージが更新されて良かった。2000年以上前の漢の辺境地帯で給与明細や出勤簿、防災ルールみたいなのが残ってると思ったら凄いよなぁ。めちゃくちゃ良著でした。
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辺境の最前線には「燧(すい)」あるいは「烽燧 蓬燧(ほうすい)」と呼ばれる施設が作られていた、燧は望楼の「堠(こう)」と居住区の「塢(う)」からなっていた。堠はおおよそ9メートルほどの高さ、塢は通常一辺10メートル以内の方形だそう。割と小さそう。1つ辺りの施設に勤めていた兵士の数も3〜5人程度と書かれていた。この燧に勤めていた兵士は「戍卒(じゅそつ)」と呼ばれていたそう。本書だと他にも候官以下の下級官吏や部都尉と呼ばれる長官なども説明されていた。勤務の実態についてかなり詳細に解説されていた。
そして、著者の述べる燧が国境として作られてから耕地が開発されたのでなく、耕地が開発された後に燧が作られたという話や、七稜觚という漢字の練習に使っていた簡牘の話も面白かった。日本語で七稜觚だと検索しても出てこないがおそらく「玉门花海汉简」や「玉门花海木觚」と検索して出てくる物が七稜觚かと思う。漢の時代に生きている人々の生活の様子が伝わってくる非常に良い本だったと思う。