形式:単行本
出版社:青土社
このとき、私などは自己責任の問題が浮かぶ。世の中の成功者や試験や成績がうまくいった人たち、彼等は他人がうまくいかなかったのは努力が足りなかったからといいがちである。ヴィヴェリンが警戒しているのは自由意志を捨ててしまった場合、私たちは何をしても運だということになり、ニヒリズムに陥ってしまうのではないかということであろう。ここで運という話になれば自由意志のリバタリアニズムのようになるが。しかし、一方で自由意志が自分の万能性を誇るための危険性をもっているのではないか?という問いを彼にかえせそうでもある。
その場合、必要なのは自由意志の哲学だけではなく、諸学問ということになるのだろう。自由意思や結果や責任について幅広く知見から語られなければ、片落ちで終わるだろう。ちょっと調べたところ、木島 泰三『自由意志の向こう側 決定論をめぐる哲学史』という本もあり、そちらの目次をみたところ自然主義哲学によってかかれたものらしく、こちらの自由意志とはまた違った面から導入や解説がなされており、一口に自由意志といっても学派によって異なるのだと思わされた。
「自由意志」とは、「意志」に「自由」がついた語であるから、自由意志論とは意志についての自由を問う分野であるはずだ。だが、冷静にこの本を読むと、「意志が自由である条件は何か?」という自由の対象を意志に絞った議論はほとんどなくもっと広く「我々が自由と言えるのはどんな時か?」という問いがメインだということがわかる。下手に自由意志などという単語を使わずに、自由という単語を使っているのは、好ましく感じた。
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