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媒介されている。その媒介項は見えにくいものであって、それがゆえに媒介項として機能しているのかもしれないが、そのことを忘れ、中動態的な責任を単体として自立した概念だと考えると、うまくいかないのではないか。この概念は何かに支えられている、能動態的な責任もまた、何かに媒介されている……そんな予感がした。
■何が言いたいのかといえば、「本来の責任」などないのではないか。我々は様々な場面・条件の下で、揺らぎのある膨大な情報量を持つ現実をある仕方で切り取る。その切り取り方によっては、責任という概念は中動態的なものとして現れるだろうが、別のパースペクティブからは能動態的なものとしても現れるだろう。本当に必要なのは、どのような切り取り方の時に責任が中動態的なものとして現れるのかという条件の同定であり、更にはどのような時に我々は責任が中動態的なものとして現れるように現実を切り取るのかという条件の同定なのではないか
「自由意志」とは、「意志」に「自由」がついた語であるから、自由意志論とは意志についての自由を問う分野であるはずだ。だが、冷静にこの本を読むと、「意志が自由である条件は何か?」という自由の対象を意志に絞った議論はほとんどなくもっと広く「我々が自由と言えるのはどんな時か?」という問いがメインだということがわかる。下手に自由意志などという単語を使わずに、自由という単語を使っているのは、好ましく感じた。
■私の興味関心はミステリ好きのそれとは異なるのかもしれない。しかし、この小説はそういう「正しい推論とは何か」を探る試みの第一歩としても捉えられる気がする。
■……感想というよりも、自分の主義主張の表明みたいになってしまった。とにもかくにも面白かった。硯さんシリーズの続刊を期待します。
あまり本をたくさんは読みません。自分なりのペースで少しずつ読んでいきます。
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媒介されている。その媒介項は見えにくいものであって、それがゆえに媒介項として機能しているのかもしれないが、そのことを忘れ、中動態的な責任を単体として自立した概念だと考えると、うまくいかないのではないか。この概念は何かに支えられている、能動態的な責任もまた、何かに媒介されている……そんな予感がした。
■何が言いたいのかといえば、「本来の責任」などないのではないか。我々は様々な場面・条件の下で、揺らぎのある膨大な情報量を持つ現実をある仕方で切り取る。その切り取り方によっては、責任という概念は中動態的なものとして現れるだろうが、別のパースペクティブからは能動態的なものとしても現れるだろう。本当に必要なのは、どのような切り取り方の時に責任が中動態的なものとして現れるのかという条件の同定であり、更にはどのような時に我々は責任が中動態的なものとして現れるように現実を切り取るのかという条件の同定なのではないか