形式:単行本(ソフトカバー)
出版社:白水社
僕はこのように考えるのだが、子ども食堂の事例のように小さい規模であっても、自分たちがそれを本来的な公共のあり方だと感じられる状況をそれぞれに作ることが、人の自己効力感を高め、自身を社会的存在、公共的存在にしていく。この経験過程を得ていくことが結果的に、国の制度も変えれるような遠心力を高めていく。投票率をあげよう、頑張って投票所に行こう、政治に関心をもとうというだけでなく、個々の人が実際に身の回りの小さな範囲で本来あるべき状況を作り出していく経験過程をもつにはどうすればいいかが問いなのだと考える。
その際、これまでの社会運動は自分を啓蒙者や啓発者側にして他人だけを変えようとしていたのではないかと感じる。相互性がない。社会環境が変わっていくことと自分自身が変わっていくことは同時にある。どちらか一方だけが変わっている(ように見える)のであれば、それは実際には変わっていないことを意味する。自分がまず変わっていくことは前提としてあってはじめて関わりは健康的なものになっていくだろうと思われる。
自爆テロは自分以外の第三者を巻き込むので暴力で、焼身自殺は自分だけが死に自分以外の第三者を巻き込まないので非暴力ということになるのだと思います。
フクロウ様ご指南ありがとうございました。暴力と非暴力の違い。暴力の制御の術を学び、実践したいです。なかなか難しいと実感しております。
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