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よって何を考え何を見つけても当事者が発しているのはいつまでたっても声にすぎず、意見としては世間にはまともに受けとられない。では、意味や内容としては世間に相手にされない当事者や素人がどう伝えるべきことを伝えるのか。いっそのこと一種の大道芸、パフォーマンスにしてしまえば、「不備」を見つけて悦にひたってやろうとわらわらやってくる先生方を、え?あなたマジレスですか?とぴしゃりとうちおとしながら本来の対象に届けるべきことが届けられよう。世も自分も突き放した道化のスタンス。親が死んだ直後の注意事項5項目も参考になる。
・その他 p9「大学生以降の方が、自分の興味ある事柄について学ぶことができることや、映像や情報を得ることができたため、記憶していることが多い」 →人間は情報投入のタイミングなど関係ない人工知能ではない。自分に動いているプロセスに準じてその求めにしたがうとき、自分自身を変化させながら学ぶ。 →「はだしのゲン」「火垂るの墓」への言及人数の多さ。映像と物語は身体性に連動し、身体性を変えている。
p149「誰かと話して考える場面がない」 →展開を求めるプロセスとしての「種」には種に応じた経験がいる。変化するプロセスの微細な求めを適度に満たす、少しずつ経験濃度が違う環境の広がり、経験の汽水域を作り出す必要。
名前をつけられ、確立されたものはやがて自分たちが主体化するため、フレイレ的にいうならば、あやまった人間化をするため、別の存在を客体化しようとするオトコたちが支配するものになっていきがちだが、水が決して支配されつくされないように確立されたものからはみだし、本来の運動性を回復していこうとする名前のない水脈、名前のない自律的な運動性そのものともいえる系譜がいつも未来をつくりだす可能性としてあるとおもう。
人間を解放する営みは、いつも、もう発見されたものに対してあるよりも、まだ名づけられていないもの、まだ力を得ていないものを見つけだして奪われていた価値や意味を回復させていく終わりのない営みなのではとおもう。
「・・・ふみ子は、気の合った仲間がいっしょに暮らすというだけではなく、その仲間がいっしょになにかの仕事をするということがたいせつだと考えた。」 「けれど私には一つ、初代さんとちがった考えが合った。それは、たとい私たちが社会に理想を持てないとしても、私たち自身には私たち自身の真の仕事というものがあり得ると考えたことだ。それが成就しようとしまいと私たちの関した(かかわりのある)ことではない。私たちはただこれが真の仕事だと思うことをすればよい。それが、そういう仕事をすることが、私たち自身の真の生活である。」
「私はそれをしたい。それをすることによって、私たちの生活が今ただちに私たちと一緒にある。遠いかなたに理想の目標をおくようなものではない。」p222
弱いものがガスに耐えきれず内側からガラスを割ると、トロッコにこごえる外気が流れこむ。 寒さに耐えきれない乗員たちはガラスを割ったものを罪人としながらも、ようやく今までの秩序を守るだけではこの穴を埋めることもガスを抜くこともできないことを認め、トロッコの修繕に向き合わされる。
手紙には、娘に連れられて初めて音楽会に行き感動したこと、自分は父や母の歌声さえ耳にした覚えはないが、お兄さんはどうかとあった。佐代子の記憶では、父は謹厳実直、無口であり唄をうたうような性格ではない。「こうやのねずみ かいくうて〜」とはじまるその唄は、父が子どもをあやすときだけ歌っていたものか、全く佐代子の記憶には残っていない。筆者は、単純素朴なその子どもの遊び唄は今も私の心の中で歌い続けている、生涯忘れることはないだろう、父の遺したたった一つの唄、この佐代子への手紙の返事を思いっきり優しく書こうと思う。
亡くなる3ヶ月前、筆者は悪性リンパ腫の疑いがあるとのことで、岡山の医療センターに検査入院をすすめられる。筆者は「私はこの部屋を出たくないんだ」「この時を大切にするんだ」「自分を表すんだ」と言う。長時間かけて説得され、いったんは入院したものの、また愛生園の自分の部屋に帰ってくる。そして愛生園に帰っても病棟に入ろうとしない。「僕はここで死ぬ。松雄君、僕は弱いよ。これが僕の総てだ」2009年10月5日、筆者は息をひきとる。
自らの奥深くの悲しみを悲しむことができなかった火山は、氷の槍に凝縮された悲しみを与えられ、自身の悲しみを悲しむことができた。火山が流す涙はこれまで凍っていた彼の時間。凍っていた時間が溶け、世界と一体となることで、世界はその全体性を回復し、噴火前よりも広がりある躍動性を得た。しかしこの回復がおこるまでどれだけ生きものたちが世代交代を繰り返さなければならなかったか。個々のちいさな生きものの時間と世界の回復に必要な時間はまるで釣り合わない。ちいさな個にとっては回復もまた遥かな他者なのだ。
絵を変えて復刊されているが、田中さんの絵で読んでほしい。
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よって何を考え何を見つけても当事者が発しているのはいつまでたっても声にすぎず、意見としては世間にはまともに受けとられない。では、意味や内容としては世間に相手にされない当事者や素人がどう伝えるべきことを伝えるのか。いっそのこと一種の大道芸、パフォーマンスにしてしまえば、「不備」を見つけて悦にひたってやろうとわらわらやってくる先生方を、え?あなたマジレスですか?とぴしゃりとうちおとしながら本来の対象に届けるべきことが届けられよう。世も自分も突き放した道化のスタンス。親が死んだ直後の注意事項5項目も参考になる。