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読書グラフ

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佐々木 和子,廣川 淳平(1)安藤 美紀夫, 田中 岑(1)緒方正人,辻信一(1)青木真兵,青木海青子(1)近藤 宏一(1)渡辺ペコ(1)西川 勝(1)アストリッド・リンドグレーン(1)鶴見 俊輔(1)11%佐々木 和子,廣川 …11%安藤 美紀夫, 田中…11%緒方正人,辻信一11%青木真兵,青木海青子11%近藤 宏一11%渡辺ペコ11%西川 勝11%アストリッド・リンド…11%鶴見 俊輔著者グラフ上位10名
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slowpass
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より人に面倒をかけなくなることがいいから、自立が大事なのか。世界に自分なりに直接触れられないという、間接化され受動化される環境に閉じこめられることこそが、その人のなかで動いている生きた可能性を停滞させ、くぐもらせるのか。その人の可能性が生き生きと展開をはじめるとき、「自立」はその人に完結した出来事にとどまらず、周りごと意識を次のものへと移り変えていく。そのとき彼にかかわることで自立させてもらったのは、周りの側ではなかったか。
0255文字
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ひとが生まれる。著者は、若者たちに最初の記憶をたずねたとき、自分とは何か、自分というを存在を否応なく意識せざるを得ない状況がいつおきたかによって、その人の最初の記憶の時期は大きく異なっていたと指摘する。つまり、ここでの「ひと」とは、自分の根本的なあり方を状況に問われ、そのうえで立ち上がってきたものといえよう。逆からいえば、状況に違和感も疑問もなく「順応」あるいは埋没したままでいたのなら、筆者の意味での「ひと」としてのその人はまだ生まれていない。
slowpass

「・・・ふみ子は、気の合った仲間がいっしょに暮らすというだけではなく、その仲間がいっしょになにかの仕事をするということがたいせつだと考えた。」 「けれど私には一つ、初代さんとちがった考えが合った。それは、たとい私たちが社会に理想を持てないとしても、私たち自身には私たち自身の真の仕事というものがあり得ると考えたことだ。それが成就しようとしまいと私たちの関した(かかわりのある)ことではない。私たちはただこれが真の仕事だと思うことをすればよい。それが、そういう仕事をすることが、私たち自身の真の生活である。」

03/03 21:31
slowpass

「私はそれをしたい。それをすることによって、私たちの生活が今ただちに私たちと一緒にある。遠いかなたに理想の目標をおくようなものではない。」p222

03/03 21:31
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0255文字
slowpass
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友人から貸してもらった。主人公たちは安全に固まってしまった日々のなかに閉じこめられていた。そこに変化をもたらすのは向き合わざるを得ない否定的な事故や侵害であり加害だった。日常はガラスでおおわれたトロッコのようで清算されていない過去は窓のないトロッコにゆっくりとガスを溜めていく。
slowpass

弱いものがガスに耐えきれず内側からガラスを割ると、トロッコにこごえる外気が流れこむ。 寒さに耐えきれない乗員たちはガラスを割ったものを罪人としながらも、ようやく今までの秩序を守るだけではこの穴を埋めることもガスを抜くこともできないことを認め、トロッコの修繕に向き合わされる。

02/16 02:45
0255文字
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筆者が四国遍路の際に遭遇した無縁仏の墓場。自分が歩いた20年前との落差が衝撃的。かつて歩いた人たちはどんなリアリティを感じていただろうか。『人々は、土まんじゅうの上に、子供遍路が残した菅笠をかぶせ、墓標がわりに金剛杖を立て、コスモスの花々をお供えすると、揃って静かに手を合わせた。そして、「あんた方も気をつけていきなされや」と、口々に言い残して峠を下りて行った。人々が去った後、気が付くと、辺りは一面、湧き立つような虫の声であった。見ると、草むらのあちこちに、墓標がわりの金剛杖が影のように立ち並んでいた。』
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手紙には、娘に連れられて初めて音楽会に行き感動したこと、自分は父や母の歌声さえ耳にした覚えはないが、お兄さんはどうかとあった。佐代子の記憶では、父は謹厳実直、無口であり唄をうたうような性格ではない。「こうやのねずみ かいくうて〜」とはじまるその唄は、父が子どもをあやすときだけ歌っていたものか、全く佐代子の記憶には残っていない。筆者は、単純素朴なその子どもの遊び唄は今も私の心の中で歌い続けている、生涯忘れることはないだろう、父の遺したたった一つの唄、この佐代子への手紙の返事を思いっきり優しく書こうと思う。

11/29 22:19
slowpass

亡くなる3ヶ月前、筆者は悪性リンパ腫の疑いがあるとのことで、岡山の医療センターに検査入院をすすめられる。筆者は「私はこの部屋を出たくないんだ」「この時を大切にするんだ」「自分を表すんだ」と言う。長時間かけて説得され、いったんは入院したものの、また愛生園の自分の部屋に帰ってくる。そして愛生園に帰っても病棟に入ろうとしない。「僕はここで死ぬ。松雄君、僕は弱いよ。これが僕の総てだ」2009年10月5日、筆者は息をひきとる。

11/29 22:28
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0255文字
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子供のころに読んだ本。大学生になってまた探して古本で見つけた。回復とは何かをこの物語ほどとらえた絵本があるだろうかと思う。火山の爆発により汚染された沼。長いときを経て作りあげられた氷の槍。回復は一世代で完結できるようなものではない。そして、今更、ようやく、捉えられるようになったことは、当然ながらアイヌの人たちの物語だということ。いまだに差別され通りすぎる人に「気持ち悪!」と言い捨てられる時代。汚染され奪われた大地とは和人の侵略と支配そのものだ。そしてこの世界では、氷の槍はまだ作られている途中だ。
slowpass

自らの奥深くの悲しみを悲しむことができなかった火山は、氷の槍に凝縮された悲しみを与えられ、自身の悲しみを悲しむことができた。火山が流す涙はこれまで凍っていた彼の時間。凍っていた時間が溶け、世界と一体となることで、世界はその全体性を回復し、噴火前よりも広がりある躍動性を得た。しかしこの回復がおこるまでどれだけ生きものたちが世代交代を繰り返さなければならなかったか。個々のちいさな生きものの時間と世界の回復に必要な時間はまるで釣り合わない。ちいさな個にとっては回復もまた遥かな他者なのだ。

11/26 02:22
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絵を変えて復刊されているが、田中さんの絵で読んでほしい。

11/26 02:22
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0255文字
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読書会のため再読。「本来、責任とは痛みの共有」という指摘をこえた責任の定義にその後出会えていない。何でもかんでも既知の綺麗事におしこんで、欺瞞や矛盾を塗りこめる社会から出るガスに窒息しそうだった。緒方さんのことばは擬態したその欺瞞を裂き、その亀裂から息をつける空気を入れてくれた。人間は自己疎外から逃れえず、それを壊す他者性を必要とする。破壊する魔女ランダと秩序をつくる聖獣バロンの永遠の戦いが世界をつくる。出来たものは固まり、壊されずには新しくなれない。世界の両義性を拒絶した近代を個が越えていく。
slowpass

「それが通じない。それで困りきっているといった感じ。俺が、水俣病患者という集団の一員ではなくて「緒方正人」という個に戻ってしまっていたものだから、相手は役人面をすることもできなくて、自分の個としての顔ってどんなだったかな、と探しているような感じでした。その後十年経って、時々あの役人たちと出会うことがあるんですが、お互いどこか認めあっているところがあるんですよね。妙なものだけど。 」

11/09 22:15
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・被害者であり存在として引き取るものとしての二重性 共苦→ 「毒をもられた人々ではなく、毒を引き取った人々と捉えなおしたい。」 「そして、共生だけでは綺麗すぎる。共苦がある。人の心性は共苦を排除していないか。共生共苦という考え方」

11/09 22:19
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0255文字
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友人がこの本を読んで暴力とは何かについて考えはじめたと言っていたのだが、その後出先でこの本に出会うことが重なった。この1978年のスピーチでリンドグレーンが述べる子どもへの暴力の否定とその理由の説明は、今日では特に耳に新しいことではないが、スピーチの原稿をみた主催者はあまりに挑発的だとみなし変更を求めたそうだ。だがリンドグレーンは変更を拒絶し、原稿はそのままスピーチされることになった。常態化している不善に対してその間違いを明確に指摘することはそれを「常識」としている人を傷つけ、怒りと攻撃をひきおこす。→
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社会環境を「良く」しようとするとき思いをもった人はいつでもそういう目にあいながらそれでもふみこたえたのだろう。耳触りのいい範囲で、聞いた人たちが自分が悪者であるかのように感じない範囲で正義は述べられるべきだ、それが「現実的」な 状況改善だと、きっと当時も言われたことだろうけれど。

10/30 23:30
0255文字
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伝わってくるリアリティの強さと弱さについてまず考えてしまう。自意識がああだこうだと考えて選ぶことよりも、追い詰められた身体性がたどろうとするものを自分は信頼するし、同じ人が言うことでも、一般的な評論ではなくて、自分がまさにいる場所からのリアリティが伴うことが聞きたい。ーーメモーー(内田樹)最近では森田真夫くんのような独立研究者も出てきて、日本だけじゃなくて、世界中を回っては多様な人たちとコラボレーションしているけれど、ああいうふうになってゆくんだと思う。p25
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ーー中央集権的な大学組織に入って、その中で業績を積み上げ、高い格付けを得てテニュアをとって、それから腰を据えて自分のやりたい研究をするというスタイルが、もう無理になってきているんじゃないかな。個人の資格でいろんな人たちと共同作業して、発信してゆく。本来アカデミアの研究の基本は共同研究であるはずなんだけれど、今は違うよね。成果を査定に使うから、個人についてどれくらい業績があるかはうるさく調べるけれど、その人がいることがある種の「触媒」になって、集団的な化学変化が起きたということについては p26→

09/22 00:03
slowpass

→そもそも査定する「ものさし」がない。だから、学術集団のパフォーマンスが低下するのは当然なんだよ。p26 ーーこれまでアカデミアが果たしていた機能を誰かがどこかで継承しなければいけないp26

09/22 00:06
0255文字

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緒方正人さんの本は「チッソはわたしであった」が有名だが、こちらは各所の講演録。一方、「常世の舟を漕ぎて」はライフヒストリーのなかで緒方さんの思想が語られ、どちらかというと「常世〜」のほうが一貫性があり、密度も高い。 検索をすると「チッソは〜」のほうはたくさん出てくるが、「常世〜」への言及は少ないのが不思議だ。一時期絶版していたこともあるのかもしれないが、ある種「水俣のことを読んだ」という動機で有名な本を読んで何がしかのカタルシスを得るのが目的であって、内容を受けとってさらに考えたいわけではないのだろうか。
0255文字
slowpass
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このように考えてみる。人間にとって記憶とは、ハードディスクに個々のデータが雑多に収納されているようなものではなく、一つ一つが種のようなものであると。それぞれの種は、次の状態へと移り変ろうとする動機をもっている。移り変わりに必要なものは、それぞれの種が固有に求める経験の質だ。質こそが身体にとっての現実の経験となる。物語を読む人は、種である記憶が求める経験の質を得ようとしている。
0255文字

読んだ本
86

読んでる本
3

読みたい本
94

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2023/01/13(811日経過)
記録初日
2014/10/02(3836日経過)
読んだ本
86冊(1日平均0.02冊)
読んだページ
18145ページ(1日平均4ページ)
感想・レビュー
86件(投稿率100.0%)
本棚
6棚
自己紹介

メモ、あるいは読んだ本でいいと思ったものの感想を書いています。
情報が多いのでアップアップし、一旦タイムラインから離脱します。

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