形式:新書
出版社:講談社
そんな仮の承認では満たされない。それならば、本書でも書かれている「自己承認」をし、一時的な可燃剤として利用すればいい。なぜなら自己承認はその場しのぎの盾であり、社会的、集団的、親和的欲求を満たすまでに使えばいい。 「俺は俺でいいんだ」「俺は将来成功する男だ」と自身を承認し行動に移せば、社会的承認や親和的承認を得られる可能性が高まる。承認されたいのに承認されない現状に耐えられないのなら、まずは盲目的な自己承認をしてあげればいい。その後に、一般的他者の視点を持ちつつ、バランスよく承認欲求を満たしていけばいい。
ただ盲目的に自分を信じて疑わないのは間違いだ。 一般的他者の視点で物事を客観視しつつ、社会とのバランスを取りながら、自由を模索するべき。その道を外れると欲しいものは手に入らず、フラストレーションが溜まり、やがて壊れてしまうだろう。
なるほど確かに。私が「ゴミ出しの自分ルールに固執するあまり、家のゴミ屋敷化が加速している状況」を打破した際などは、このプロセスを経ていた。友人が、職場での承認不安ゆえに、対人恐怖や上司・同僚に「認めてもらえない不満」をつのらせている状況から脱出するには、このプロセスを実行するのがよいだろう(というか、それしかないと思われる)。
本書は2011年発行であるから、SNSや動画投稿サイトでの評価(イイネやフォローの数、閲覧・再生数等)やネット掲示板等での評価(誹謗中傷、毀誉褒貶)を気にする心理には、一切触れていない。こうしたネット上の評価は、承認の3分類からすれば、見知らぬ他者からの一般的承認に入るのだろうが。本来の「一般的承認」とは、性質が異なる気がする。見知らぬ他者・社会からの評価が、「顔も名前もわからないが、確かに存在する個人からのもの」として、ある程度の実体・実感をもって得られてしまう。それが、ネット社会の怖さだと思う。
→解決案として迂遠だと思われるおそれも表明されているが、個人的にはむしろ堅実な策として納得できた。もちろん難しさも感じるが(自分の場合は「みんながそう感じるだろう」とはっきり思えそうな場面やポイントでも、欠落していたり自信が持てなかったりと感じることが多い)、色々な意味で薄氷を踏むような「空虚な承認ゲーム」と表現されるものや、「自分で自分を価値づける」だけ、「自分の見方でいく」だけよりは、得心しやすい。
現状分析、「一般的他者視点」の要請というてんも賛成ではあるが、もっと深い部分、人間存在の存在構造についてまでいつか深入りして欲しいと思う。(或いは既にしているのかもしれないが)
本書が示す「承認欲求」とは、特定の関係からの存在の肯定であり、それがどのような関係から獲得できるかによって、承認欲求を得る「私」の在り方が左右されていることが問題だとしている。インターネットを通した関係は、「承認されたい私」を望むがままに目的地へいざなうが、「私」が承認される・承認されたいと思う関係を選択できることが却って、絶対的自己肯定を遠ざけている。他者からの承認に自分の存在価値を預けてしまわない生き方が求められる時代だと言える。自分の在り方がわからなくなったら、自分を客観視することから始めてほしい。
『認められたい人間は多いが、そのような人間が他人を認めようとする事は少ない』とどうぶつの森にでてくるラコスケが言いそうなことを思ってしまった。
身も蓋もねぇなって気になってきた。全体の論調として、「一般的他者の視点」による承認を重視してるけど、個人的には「一般的と思われる視点」を通じて自己を俯瞰して嫌われない程度に利己心を加えるってのが判断基準になってる。/「一般的他者の視点」で自ら価値判断し行動することで、「自由に生きている」という実感を失わずに居れるらしいけど、それって社会の一員であることを見えない誰かと確認し合う「一般的他者」との「空虚な承認ゲーム」じゃないのかなって思った。それは自由か?って。/
第5章を読むと、自己啓発チックな印象も受ける。/俺ってストア主義者?分からんことだらけなので勉強したい。
その方策は、自己省察→当為性(ねばならない思考や、べき思考)がある自己ルールの発見→自己ルールの改善である。ただし、自己ルール改善にはなるだけ普遍的な価値を包摂するものを選ぶことを条件としている。端的に言えば、カントの定言命法の勧めだが、定言命法は当為性が強いので、著者はハンナ・アーレントの「間主観的」な視点でなるだけ普遍的な価値を選ぶことを勧めている。この辺りに著者の繊細な配慮が感じられた。哲学者の言を多数引用し、幼児期の親子関係が承認欲求を正しく、または歪める最大要因ということが語られていのも良い。
著作は他者からの過度な承認欲求の改善法に主眼が置かれているが、欲を言えば歪んだ承認による悪弊がいかに恐ろしいかへの警鐘もあればなお良書かと。歪んだ承認欲求は同調圧力に弱く、多数派の作る空気に付和雷同する傾向がつよく、全体主義の温床になるからだ。他方で、歪んだ承認欲求は過激な自己規範を作り、それに従わない者を暴力を用いてでも従属させようとする。同調圧力に弱い人びとと身勝手な自己規範者が融合すると、全体主義への道をまっしぐらに進むことになるからだ。
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