形式:文庫
出版社:岩波書店
るものも存在する。ヨーロッパの芸術とは毛色が異なったものが生まれている。「自由や平等」があり「貴族という身分制度」の存在しなかった国が、いったいどのような心理的影響を与えているのかという視点において、トクヴィルは鋭い分析をいくつもいくつも残している。ただしそれらは体系的にまとめられているとは言い難いので、読んだ後でもいまいちはっきりとして来ないが、要は極めて商業的になるということだ。実際的な価値のあるものにしか興味を抱かず、よって芸術や文学、哲学といったものも、その視点からのみで評価される。なので本質的に
高度な分野には興味が持てないし、そうする必要性も感じられないということだ。これは確かにその通りであると言える。身分制があれば必然的に「高さと低さ」の概念が芽生える。しかし「平等」というのは、その「高さ」の価値さえも他と等価な(言ってしまえば無価値な)ものに変えてしまう。ただし一方、アメリカ人はよく働く国民であると言える。それは恐らく「自由」の概念(無保障)に関係がある。自己の生活を証明するのは、自己の働く手でしかありえず、そしてそれが何の偏見もなく賞賛される国であるということ。だからアメリカは愛国心が強い
結論めいたことを書かず、それを第三巻に回していれば、もっと面白い作品になったのでないかとさえ想う。無いものねだりなのだが。 結論めいたと云えば下記は気になる叙述である。 「デモクラシーは長期的には想像力を人間の外にあるすべての対象から引き離し、人間にのみ縛りつけると私は確信する」 これは青年層に観られる無気力が、今後はさらに世界的傾向になると云っているようにも受け取られる。
トクヴィルはここに至る前に下記のような観測を残している。 「ある国民の宗教が破壊されると、国民のもっとも知的な部分が懐疑にとりつかれ、その他の部分も懐疑のために心が半分麻痺してしまう」 「宗教」を「信頼すべきもの」に置き換えると、日本人の無気力が今後さらに拡大していくことを予測している文章だと云っても疑う者はいないのではないだろうか。
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