読書メーター KADOKAWA Group

「世間」とは何か (講談社現代新書 1262)

感想・レビュー
153

データの取得中にエラーが発生しました
感想・レビューがありません
Ex libris 毒餃子
新着
阿部謹也のメイン研究ではないが、彼の手法を用いて自分の興味があったジャンルについて研究した本。
0255文字
クジラ
新着
目に見えない何かに不自由さを感じる日々、その正体を分かろうと思い、読んでみた。西洋とは異なった個人の確立が日本には必要なのだろうか。公と私という概念がキーになりそうに思う。
0255文字
ひつまぶし
新着
タイトルとは裏腹に「世間」とは何かが論じられた本ではない。正確には日本社会の個のあり方を検討したものであり、「世間」はその対照物に過ぎない。しかし、対照物に過ぎない「世間」が、個人を語ろうとすれば切り離せなくなる日本社会の宿痾であるということだろう。万葉集から「世間」のルーツを探り始めたところでは、何が何やらまったく分からなかった。日本には西洋的な「社会」がなく、「個人」も明治以降の翻訳語でしかないとしても、個が存在しなかったわけではない。世間の存在だけでなく、日本的な個のあり方も見つけ出さねばならない。
0255文字
句点読点
新着
★☆☆☆
0255文字
乱読家 護る会支持!
新着
日本には明治以降に、「社会」「個人」という言葉が入ってきた。「社会」「個人」という言葉の背後には、一神教の価値観があり、「社会」も「個人」も神との契約を交わす関係性がある。 一方、多神教を価値観の根底に持つ日本では、一人一人が魂を持った存在であり、自分が認識出来る個人との環で作られる「世間」の中で生きてきた。 しかし、最近の日本社会を見ていると、「世間」を理解できない外国人の急増により「世間」が破壊されつつある。 さまざまな価値観が混在する中で、日本社会がどうなっていくのか? 全く予想できない。。。
0255文字
tomso26181063
新着
日本は欧米でいうところの「社会」とは少し異なり「世間」の集合体として成り立っている。時代により変わるところはあり、それを著者は説明するが、今でも世間という概念で理解できることは多い。
0255文字
まだい
新着
「多くの日本人が自分の意見を持てないのは、世間(という言葉)に対する認識が漠然とし過ぎていて、距離感を測りかねているからだ」と要約できるのではないでしょうか。書かれたのが30年近く前で、今は少し状況が変化しているなという印象はあるけど、根底にある価値観としてはその通りだと思った。 最近個人的に読んだ『人間失格』にも繋がる部分を感じ取れて、自分の中で解釈がより納得感のあるものになったので、読んで良かったと思える。ただ、歴史文献のウェイトが重くて、主張が掴みづらかった。
0255文字
静かな生活
新着
Review Scores 80/100
0255文字
manabu
新着
生きづらさの原因は「世間」にあるのかもしれない。「日本人にとって周囲と折り合ってゆけるかぎりで世間の中で生きるほうが、競争社会の中で生きるよりは生きやすいのである。しかしこのような人間関係の中で生きていると、個人どうしがつきあうときでも周囲を気にし、闊達とは到底言えない雰囲気を持っていることになってしまう。」また、夏目漱石『坊つちやん』の引用においても、「考えてみると世間の大部分の人は悪くなることを奨励しているように思う。」いずれにおいても、思い当たる節がある。「世間」の中での生き方が私の課題であろう。
0255文字
あっぺ
新着
う〜ん。難しかった。もう少し色々なことを学んでから読めば分かるかな?
0255文字
おいりー
新着
理性的、個性的に生きる上で日本でも時間的な繋がりをもったインテレクチュアルヒストリーを追究すべきだと問題提起した丸山眞男と同じ問題意識をもつ著者が世間という概念の時代ごとの変遷を考える試みを本書でしている。兼好法師、井原西鶴、夏目漱石を個性的な人物として分析している。漱石は社会を建前とした世間の内にある個人について考えた。社会は一人一人が権利をもっているという前提から始まるが日本では世間が優先されてそのことが意識されていないというのは現代にも十分通用する考え方だろう。
0255文字
ホリエッティ
新着
読むまで文芸評論だとは思っていませんでした。
0255文字
youhey
新着
日本特有の社会事象について西洋を専門とした歴史学者がここまで分析するのは驚嘆しました。自分の内面化された前提や思い込みにとらわれていることを改めて感じました。
0255文字
ほじゅどー
新着
★★★日本人は誰もが《世間》を意識しながら生きているが、世間とは何か?親戚、隣近所、会社、同窓、趣味のサークルの人々など、自分が日常的に関わりを持つ人との世界が世間に該当する。つまり世間は欧米人の考える《社会》よりも範囲が狭くあいまい。世間のしくみは排他的で、自分達の利害が最優先される。一方、世間の名誉を汚すとその一家もろとも世間から追放されてしまう。これは欧米人は理解できない。
0255文字
めっかち
新着
 「世間」を「非言語型の知」と捉えた視点は素晴らしい。問題意識にも共感! ただ……「不の側面と正の側面の両方が見えてくるはずである」と阿部欣也氏は書いてるが、「不の側面」しか書いてないじゃん! 阿部氏を「日本人である自分が嫌でたまらない病」と『長谷川三千子の思想相談室』にあったが、本当にそうだと思う。で、「世間」への分析は冒頭のみ。後は、良く言えば古典の考察、悪く言えば読書感想文。帰納法に見えるが、自説に都合の良い物を集めてるだけではとの感は否めない。かかる問題意識なら山本七平『「空気」の研究』のが優良。
めっかち

 所で、戦後で「世間」と戦った文学を挙げるなら、三島由紀夫の文学が筆頭に来るよね。彼ほど、戦後日本の「世間」を冷笑して、その死で以て表現した文学者はいない。でも、著者は当然の様に無視。これどういうことかと言えば「異常であった」ということと「世間と戦い個人を確立せんとした」の境はどこにあるかということ。三島は一般に「異常」と語られる。では、本書で引例されてる物の中にもただ単に「異常」なものが含まれてるのでないか。三島文学の様な、阿部氏の自説に都合の悪い物を無視してるのが本書の大問題。

12/19 16:03
0255文字
satton
新着
・世間とは自分が関わりを持つ可能性がある人々の関係の世界。・日本の個人は世間の中でしか自己を表現し得ない。・日本では神判の歴史に断絶がない。・兼好は近代人。個人の行動に焦点をあてて世間を観察した最初の人。・江戸時代には人間存在をそのまま肯定する考えが出現。・日本では個人の意識が確立せず、社会は個人の尊厳、人間関係と切り離された法・経済制度、インフラの意味に。・漱石の全作品を貫く主題は、日本の社会の中での個人のあり方の問題。・世間を対象化する。世間はなくならないが、その中での個人の闊達なありようを考える。
0255文字
火曜日
新着
西欧式の「個/社会」の図式以外にも「私/私以外」の図式が「ある」とまず仮定する。つまり「私」がある。これは著者の譲れない一点だと思う。次いで日本人にとって「私以外」は何だったかを、「私」が「私以外」を名称で呼び対象化した形跡を探すところから始める。ということで「世間」の語の用法を万葉集以降の具体に探す。著者は「個が世間に溶けてしまう」といったわかりやすい日本社会批判をしない。「私/私以外」の関係のとり方が確実にあったのだということを淡々と言い立てる。これが著者の「私/私以外」の関係のとり方だと思う。偉い。
0255文字
いっちゃ
新着
日本において、明治期に導入された社会や個人はいまだ成熟しておらず、世間に縛られている。それを日本の文学作品を例に解説していく。海外と比較して分析するのではなく、日本の文学から分析していくのが良かった。その分、世間について過剰な批判は少ない。少し予想した内容と違ったけど、この本をきっかけに兼好法師「徒然草」と、井原西鶴「日本永代蔵」を読み出した。
0255文字
エムワイ(emuuwaii)
新着
西洋では社会というとき、個人が前提となること。日本では明治になるまで、西洋的な個人や社会に相当する言葉がなかったこと。日本での個人という概念は訳語としてできたものの、欧米の個人とは似ても似つかぬものであったこと。そのようなことが、万葉集などの古典から、近代の文学までを参照しつつ、述べられていました。「日本の個人は世間との抜き差しならない関係の中でしか自己を表現し得なかった」との言葉が心に残りました。「社会」「個人」といったとき、日本という文脈ではどのようなものが名指されているのか、注意してみていきたい。
0255文字
yutaro sata
新着
今生きているこの環境に対して理解を深めるには、自分を知るだけでは足りない。自分が今泳いでいる「世間という水」のことも知らなければならない。しかしずっと泳ぎ続けているものには水のことがよく分からない。だからこの世間というものに対する研究はいつも水の外にいる人が行ってきた・・・。という訳でこの本は隠者が中心になっている。世間から外れたかった人、外れざるを得なかった人、外れるのが必然だった人。 読んでいて驚くのは、日本人ならばよく分かる話法や罪などの感覚の起源が、『大鏡』や、鎌倉時代の起請文の中にあることだ。
0255文字
Akiro OUED
新着
神VS個人から世間VS個人へ、というキリスト教社会の図式を、日本における世間VS個人の事例に対比させたのは、ピントがずれた。洗脳の対象は個人だけど、プロパガンダの対象は、世間だよ。個人の側から見える世間ではなく、個人をも殺す世間をこそ直に解明すべきだった。視点のよい駄作。
0255文字
テツ
新着
日本人にとっての「世間」について。息苦しさを感じたりありがたかったりと、そのときどきで毒にも薬にもなる世間だけれど、基本的には生きている限りそこから完全に離れることなんてできやしない。個として屹立し、ただ独立して存在するなんて日本に限らず何処の世界に行っても至難の生き様なのだ。それにどう沿い(沿っているフリをして)生きていくのか。世間様というあやふやな存在を自分の利益のために使用するにはどうしたらいいのか。古から世間に助けられ苦しめられながらも思考を重ねてきた人々の姿がヒントをくれる。
0255文字
masakazu
新着
期待外れ。本書はいわゆる「日本には世間はあるが社会はない」という主張の実質的なソースか。表題と内容に乖離を感じる。引用がとにかく多く、内容は大学生の一般教養レベル。全体を通じ、新たな視点を授けるものではない。江戸時代(井原西鶴)の項目にて説明された、旧来の支配層(貴族や僧侶)から町人が創作の主体になることの意味については興味深かった。欲望の肯定、金と色の物語。憂き世から浮き世へのシフトなど。その一方で、明治維新以降からの趣旨は新情報は少ない。また、奈良・平安時代の和歌や長歌の分析はほぼ意味をなしていない。
0255文字
ふみ
新着
万葉集に始まり、徒然草、西鶴、漱石や藤村と、これでもかというほど引用と解説の部分が多く、こんなに必要なのかねと疑問に感じた。とは言え、大変興味深く読み進められたのだが、途中で惰性に陥る人結構いるのではと気になった。印象深かったのは、「坊っちゃん」が世間と抗う姿に人は共感を寄せてきた、という指摘。著者は別の人だったと思うが、坊っちゃんではなく赤シャツこそが漱石、と同じくらいハッとさせられた。結局この国にいる限り世間のしがらみから解放されるなんて無理では?が読了直後の感想。
0255文字
houraiken
新着
日本を古代から近代まで世間を切り口に考察した本です。万葉集など和歌から当時の社会や考えを読み取ることができることは、古典の授業で和歌は単なる歌の解釈をするものでしかなかったので新鮮に思いました。ただし古語でそのまま和歌を理解できるほどの教養は私にはないので辛かったです。
0255文字
nobidora
新着
日本には社会はなく、世間が万葉の時代からあり続けた。世間というのは日本人にとっては絶対に逆らえない概念であり、世間は自分や親族の生命/社会的生命に優先する。これは、21世紀の現代でも犯罪者の親族がフルボッコにあうという実質的な社会的連座から見ても明らかである。一方で、「世の中、世間はままならないものだ」という当たり前のことを何百年も嘆く私たち日本人は、実はその「世間」にいることで多くの恩恵を得ていることを忘れがちである。世間の同調圧力から逃れるには隠者になるという方法が古来からあるが、さて現代は?
0255文字
Jas
新着
流し読みを交え。かねてから「世間」に対して違和感を抱きつつも、「世間」にとらわれ、自己のあり方について悩み苦しんできた。「世間」に溶け込んでいるように見える多くの人も、多少なりともこの息苦しさを感じているのかもしれない。個人としてのあり方が盛んに叫ばれるようになった昨今ではあるが、想像以上に根深い日本人にとっての「世間」の本質を理解している人は多くない。自己の中で自身の基準や考えを成熟させている人はどれだけいるのだろうか。自分自身を含め、個人主義を謳った「世間」に身を置いているだけのように思えて仕方ない。
0255文字
yo_c1973111
新着
西洋的観念としての社会ではなく日本独自の世間というものを如何に定義できるか?という学者が横目に見てきた(らしい)ことがテーマ。人がそれと認識する実態であるから、主に文学の中にそれを見出そうということで中世〜近代をそれぞれ和歌、西鶴、漱石、荷風、光晴を探ってゆく。諸作家が外側から世間を捉えた事例は時代背景を伴って分かりそうだが、著書はいずれの作家の個性(エピソード)に傾倒する趣が散見される。それはそれで面白いが本題とはズレる。中世ドイツ史の権威の個性が見られる所がポイントだが、これも本題とは関係ない。
0255文字
CBF
新着
(★★☆☆☆) 古来から、日本人の生き方を支配してきた「世間」という枠組。兼好、西鶴、漱石らが描こうとしたその本質とは。西洋の「社会」と「個人」を追究してきた歴史家の視点から問い直すー。 様々な古典が引き合いに出されていて、学生時代に勉強した内容を思い出して面白かった一方、原文のみで訳が無い箇所も多く、この引用と「世間」に何の関係が?と、著者の言いたいことを理解し切れない部分もあって難しく感じた。その点で、古典メインの前半よりも、夏目漱石や永井荷風を扱った後半の方が分かりやすかった。
0255文字
SFTT
新着
本邦における「世間」について、古代の和歌や中世~近世の古典(兼好、西鶴ら)から近代文学(藤村、漱石、荷風ら)までを通して読み解こうとした一冊。「個人」という概念を日本人は歴史的に体感したことがほとんどなく、あくまで「世間」との関係性の中で自己を形成してきたものだから、「社会」というものを対象化して考えることができなかったという指摘は的を射ていると感じる。引用の古典も興味深い。
0255文字
jackbdc
新着
世間とは何かが分かった気がする。世間とはリアルではないか?自分と物理的距離が近く、身体的精神的に近接性の高い集団のことを意味するのだろう。現代風に言えばコミュニティか。ヒトは生き残るために集団生活をした。個人の生存は集団の生存と一蓮托生であり、この呪縛的な条件の下で自己意識が存在したと考える。一方で社会は幻想か。欧米由来の法治国家概念の移入により、国と個人による社会契約概念という非リアルな想像上の関係の下に、個人は世間の呪縛から解き放たれ、そこで初めて尊厳という便利な手形が与えられたように思えた。
0255文字
YASU
新着
コロナ禍での「同調圧力」の源には日本特有の「世間」があるといわれるなか,その「世間」について論じられた古典.古来の諸文学や仏教から「世間」の成り立ちを説いている.
0255文字
りやう
新着
好著。日本的感覚では「社会」を正確に捉えられないとするならば、欧米的感覚では「世間」を理解できないのだろうか。
0255文字
のの
新着
授業で指定された課題本だった。「世間」について様々な文学作品(和歌や詩など)を用いて述べられていた。テーマ自体はやや難しめだったが、日本古典作品を扱っているという点では非常に面白かった。いろいろな作品を通して「世間」や「社会」について考えることができたと思う。
0255文字
ひこばえ
新着
ネタバレ日本には「個人」や「社会」という言葉は明治以前なかった一方、「世間」という言葉はなんと万葉集の時代から存在するそうだ。日本の個人は世間との抜き差しならない関係は千数百年続けており、現在の人間関係においても呪術的信仰が慣習化された形で奥深く入り込んでいる。御霊信仰。1834年にも入札が行われており、神判の歴史には実質断絶がない。世間を相対化することができたのは隠者的な暮らしをした者だけである。
0255文字
KJ
新着
面白い。やはりこの手の文化論・社会心理学的な話は僕の好みにあっているのだなと思う。内容としては、徒然草から西鶴を通して漱石に至るまでの日本の文芸作品を参照しながら、日本人における個人と社会(世間)の関係を論じたというもの。読んだことのない話がほとんどだったので、その全てを理解できたわけではないけども、日本人における個人と共同体の関係というのは今後を考える上でも考慮すべきものだと思う。なかなか難しいところがあるのは確かだと思うけど、個人的には「人」の「間」に個人を見出す視点自体は間違ってはいないと思う。
0255文字
コウヨウ
新着
なろうかな、隠者に
0255文字
アナクマ
新着
【全集版を読了】なんだろね。藤村、光晴、慈円ら、古典に親しみがないせいか全体像を結ばず。次のメモを加えていったん閉じる。◉「狭い枠組み(どっこい生きている)」「そこに個人主義(対する社会)」「多重アイデンティティ円の受容と変態」◉(p.16)日本人にとって周囲と折り合ってゆける限りで世間の中で生きる方が、競争社会の中で生きるよりは生きやすい。自分以外の権威に依存して生きている(協調的・没個性的とも)(p.21)日本の個人は、世間との関係の中で生まれている。…とすると、個人の責任とは?問題が発生。
0255文字
マネコ
新着
世間とは社会と近しい言葉ですが、辞書的以上に曖昧な概念です。日本では社会は海外の言葉の訳語としてつくられ、個人という言葉も訳語として定着しました。それ以前にも社会も個人という言葉は日本になかったといいます。そこで古くから使われていた世間という言葉を通して、日本の個ではない集団とはどういうものかに踏み込んだ一冊です。
0255文字
全153件中 1-40 件を表示
「世間」とは何か (講談社現代新書 1262)評価65感想・レビュー153