そういえば、WW2後のアメリカが(西)ドイツを速やかに自陣営に取り込むための方策のひとつとして、自国の軍人と旧ドイツ軍人の交流を利用したという話が、大木毅先生の著書にありました。そのおかげで、欧米や日本でも「ナチスは悪だったがドイツ軍人は有能でモラルもあった」「ドイツ軍は強かったが(欧米や)ソ連の物量に負けた」といったイメージが現在まで残ったとのこと。結果、旧ドイツ軍人の多くは「ユダヤ人絶滅は知らなかった」と言えるように…。まことにろくでもないです。
確かに、空襲やレイプの被害者の中にはナチスの党員やユダヤ人迫害に加担した者もいただろう。しかしながら、因果応報的な論理で連合軍の暴虐を等閑に付すのは正直感心しない(フェミニストが眉をひそませることなく本書を読むことができるだろうか?)。加えて、「爆撃作戦は、戦争を終わらせることがドイツ国民の苦しみを止める唯一の方法という数あるサインのひとつだった」などと論じられると日本人としては少々憤懣を覚えてしまう。それはちょうど、広島と長崎に原爆を落とした言い訳としてアメリカ人がしばしば採用している論理だからだ。
結局のところ著者もまた戦勝国アメリカというアイデンティティに同化しているだけではないか、と問いかけたくなる後味の悪い一冊だった。(ちなみに、本書の締めとして採用されているアーレントもまた『エルサレムのアイヒマン』において連合軍の空襲や原爆投下を批判的に論じているのだが、著者はそれを知っているのだろうか?)
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