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浮かれ帽子屋
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(いったんコメント削除して誤字修正しました) こんにちは。 興味深いやりとりだったので、コメントさせていただきます。 議論を結論付けるつもりや皆さんの考えを否定する意図はありません。あくまで「私はこういう考え」というだけです。 私は「X00冊読破おめでとう」的な機能は割と肯定的に捉えています。 というのも、私は「出来るだけたくさんの本を読みたい」と考える人間だからです。 「数を多く読めさえすれば良い」という考えには確かに私も賛成はできません。 しかし少なくとも私は、色んな人に出会えばそれだけ価値観やモノの見方が豊かになる(少なくともわたしはそう思っています)のと同じように、たくさんの本と出合うことが、それだけ価値観やモノの見方を広げてくれると考えています。 もちろん私にも「大切な一冊」「無人島に持っていくとすればこれだけは、な一冊」というものはあります。繰り返し読んだりもします。本棚に飾ったりもしています。 でもその一冊と全然傾向もジャンルも違う本をたくさん読めば読むほど、それだけ私の「大切な一冊」が「どういう性質のものなのか」「私の人生のなかでどういう位置づけなのか」「なんでこんなに好きなのか」などなど、たくさんのことがより相対化されて浮かび上がってくるような気がします。 木を見て森を見ず、というか、むしろ森の性質を理解することでより良くその木の性質を理解できる、という感じです。しかもその森にはより広域に広がる水源があって、地球規模的な気象状況や環境、生態系の中に根づいているものです。一本の木をその木たらしめている要因はたくさんあります。だから私は全然違う木も気になりますし、土のひとつひとつ、風のひとつひとつにだって関心があります。 (例えが下手ですいません) だから私にとって読書は、一冊一冊完結するものであると同時に、延々と連鎖して広がっていくひとつの生態系みたいなものです。その生態系を知るためには、何冊読んでも完結することはありません。 それに、「自分にとって最高の一冊」を選ぶのに、その候補はいくらあっても足りないじゃないですか。やっぱりそれがどんな本かは、読んでみないと分かりません。読んでいない本のなかに「自分にとって最高の一冊」が眠っているかも知れないと思うと、気が気じゃありません(笑)。だから私は無理だとわかっていても、気持ちの上では好きなジャンルで出版された大抵の本を読んでと思っています(笑)。 そういう意味で私は自分を「多読主義」であると思いますし、たくさん本を読んでいる人を尊敬もしています。 (もちろん、読んでもいないのに読んだふりして登録だけして悦に浸っているのは嫌いですけど) 長くなりましたが、そういう意味で「ランキングを不正利用して自己実現している個々人」は確かに嫌いですが、ランキングそのもの、冊数が多いことそのものは、全然ありと思います。 以上の理由で、この提案は、私はありだと思いますよ。長文失礼。