60年代アメリカを席巻したフォーク・ロック・ブームの代表格、ザ・バーズの初期メンバーだったジーン・クラーク。リーダーのロジャー・マッギンと共に、ソングライティングの要として活躍しましたが、絶頂期に離脱。その後はソロとして地道に地味な活動をしておりましたが、ヒットに恵まれるわけでもなく、91年に心臓疾患のため急死。47歳位だったと思います。知る人ぞ知る渋い目の歌い手ですが、わが国の古参の洋楽シンガーソングライターファンの間では、一部に根強い人気があると思います。特に二枚目に作ったソロアルバム「ホワイト・ライト」(71)は傑作、名盤の誉れも高く、ファンの間でも「ひとつの規準」を作ったと称されました。独特の声から繰り出される「泣き節」の数々は、カントリーミュージックの伝統に則ったものだとも言えそうですが、それにしても「泣かせすぎます」(笑)どこまでも切ない曲を書かせたら天下一品でした…
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