私はいま原稿作成中ですが、試行錯誤が続いています。私がいま抱いているプランは、『進化政治学による日本近現代史』を3部に分け、まずは第1冊目として『進化政治学による日本近代史』を完成させようとすることです。進化政治学の基礎知識と、明治・大正時代を扱うことを考えています。その原稿の一部として、次回「『リベラルな帝国主義者」としての福沢諭吉」の原稿を紹介します。日本は日清戦争に勝利を収めますが、その直後に三国干渉を受け、受諾します。そうした政府方針を真っ向から批判したのが、福沢諭吉、犬養毅、尾崎行雄らだったのです。
(引用を続けます)
福沢が唱え、戦後になってよく知られるようになった「脱亜論」は、欧米諸国との連携を唱えたものではなく、むしろその真逆だったのです。
『時事小言』の第四編「国権之事」を執筆してから約10年が経過した福沢は、日清戦争の開戦を強く主張するようになっていました。同じく『福沢諭吉の朝鮮』から引用します。
ところが憲法発布と議会開設を経て、条約改正交渉が大詰めを迎えつつある時期に、さらに日本軍の朝鮮出兵という状況において、福沢は「リベラルな帝国主義者」としての面貌を表すことになったのである
岸田政権については僕も不安に感じております。岸田首相は菅義偉前総理に比べるとマスコミ対応が上手いので、支持率が高いのはそれなりに納得できます。しかし、岸田首相の著書を読んだ時には色々と違和感がありました。
分配重視とか新しい資本主義を唱えておりましたが、経済が不安定な時に限ってそういう主張をする政治家が出てきたり、主流になったりしています。
2009年の民主党政権もそうでしたし、戦時下の日本もかなり社会主義的な経済政策だったと辻先生の著書で学びましたので、そう感じるのです。
別件ですが、岸田政権についてです。
内閣支持率は高いですが、実際は問題山積のように私には思えます。
「宏池会」は反日集団というのが、私の持論です。
岸田政権もその例外ではないように思えます。
明治6年の征韓論争、そして10年の西南戦争。
この中心人物が西郷隆盛であり、その言動は破壊衝動抜きでは理解不能でしょう。
その西南戦争を支持していたのが福沢諭吉です。西郷の「抵抗の精神」を高く評価してのことです。
西郷隆盛は明らかに間違っていたと僕も考えています。
明治政府がやっと成立したばかりの時に征韓論を主張して譲らなかったのですから。あの時代に韓国を攻めていたら、欧米列強から非難されるか隙を突いて攻められるか、良い事は一つもなかったでしょう。
西郷隆盛を理解するというのは問題があります。
昭和になって、日本が東洋の盟主となると考える日本が増えましたが、その源流は明治時代にありました。福沢諭吉などは、その典型でしょう。福沢は、西南戦争における西郷の立場に理解を示し、三国干渉では政府の対応を厳しく批判しています。破壊衝動の持ち主の可能性は大きい、と私は考えます。
次回はまた、私の原稿の引用を続けます。
西洋の帝国主義に飲み込まれていたのを、美しい言葉でごまかしていただけのように思えます。
日本がアジアの盟主になってアジアを西洋列強から守るなんて、傲慢です。
アジアとの関係を軽んじてはいけませんが、深入りしても良くないです。
ここにおいて福沢の主張に、ある種のねじれが生じていることがわかるであろう。西洋諸国がアジアを侵略しようとしている以上、日本がアジアの「遅鈍」にとどまっていてはならず、ますます文明化しなければならないというのは「脱亜」の主張である。ところが、一方で福沢は日本がアジアの盟主となって西洋諸国の侵略に「支那朝鮮」とともに対抗するという「アジア盟主論」を唱えているのである。今日の一般的理解では、「脱亜」論とは日本は西洋文明国の仲間入りをし、ひいてはアジア諸国のアジア侵略に参入すべきだという主張である。(続く)
反対にアジア同盟論だった。福沢は同じ『時事小言』の第四編「国権之事」で日本の独立と近隣諸国との関係について次のように譬えている。(中略)
つまり、ここでの福沢は、西洋諸国の侵略から日本の独立を守るために、「文」(学問)の指導のみならず武力を行使しても、「支那朝鮮」を明治維新以後の日本の経験に依って文明化させなければならないという、「アジア盟主論」を展開しているのである。(続く)
大隈重信と深く交流した人物として、福沢諭吉がよく知られています。そして福沢にしても、アジア主義者としての一面がありました。月脚達彦・東京大学教授の『福沢諭吉の朝鮮』(講談社選書メチエ)から引用します。
西洋諸国がこぞって国権拡張運動という「権道」に向かっている状況において、日本のみが自由とか平等とかいう「正道」を唱えていては国の独立が危ぶまれるというのである。そこで福沢は「脱亜論」を掲げて、西洋諸国のアジアでの植民地獲得競争への参入を宣言した、と考えるのはまったくの早計である。福沢が唱えたのは(続く
ご無沙汰しております。Wikipediaの情報ですが、広田弘毅は三国干渉をきっかけに外交官を目指したとの事です。「吉田茂という病」を読んでおりますが、広田弘毅は日中戦争を拡大するのに一役買っており、死刑の際に言い訳をしなかったとは言え、その罪はあまりにも重いです。
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