かつてハイデッガーは、私や貴方といった現存在を「本来的」に「死へと臨む存在」である、と語りました。
死んでしまうことの仕方なさを存在の本来性の名のもとに擁護するこの議論は、ハイデッガーがナチスに加担していた事実とともに批判されることも多いわけですが、とはいえ現状どうやら「死んでしまう存在」である私たちは「死」を思想することから逃げられません。
他方で「生」はいつだって私たちの直近の問題を規定しています。
生きるとはどういうことか、「生」の範囲はどこからどこまでなのか……多様な人生論や幸福論、権利主張や思考実験を伴いながら、私たちは私固有の「生」を生きています。
死んだように生きる、という比喩が存在する一方で、生きるために死ぬのだ、という理想が存在します。
反‐出生主義が思想界を賑わせる一方で、ゾンビはもはやエンターテインメント業界に欠かせない存在となっています。
……このトピックでは、皆さんの「死」あるいは「生」についての思考(ふとした思い付き程度でも構いません)を自由に書き込んで頂ければ幸いです。
もちろん哲学書や小説などのなかで語られる「生」と「死」について語り合うことも歓迎です。
それでは、よろしくお願いしますm(__)m
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