「別に深い交際でもないのに、あの故郷を何千里も離れた異郷の町で、野で、林の中で、同僚が或る瞬間とった姿勢とか表情が、まるで私の一部となってしまったかのように、思い出されて来る。そしてその人がいまは亡いということは、なにか重大な意味を持っているらしく、思い出すだけで、まるで実在しているかのように、働きかけて来る。死者がいつまでも生きているように感じられる時、生きている者は、涙を流すほかはないらしいのである。サンホセ警備隊六十余名の死者はそのように私には生きている…」(18頁)
一方で、大岡は決して自分の感傷だけに閉じ籠もろうとせず、自分たちの存在がフィリピン人にとってどのようなものであったかにも目を向けている。戦後四半世紀を経た段階でなお、日本人はフィリピンでのひとり歩きが憚られるほどの憎しみを受けていた。それからさらに半世紀を経て、日本人がフィリピンでしたことを丸きり忘れてしまっているという事実には愕然とする。贖罪も開き直りもない。ただ単に、そういう事実があったこと自体が知られていない。記憶の風化の残酷さ。
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「別に深い交際でもないのに、あの故郷を何千里も離れた異郷の町で、野で、林の中で、同僚が或る瞬間とった姿勢とか表情が、まるで私の一部となってしまったかのように、思い出されて来る。そしてその人がいまは亡いということは、なにか重大な意味を持っているらしく、思い出すだけで、まるで実在しているかのように、働きかけて来る。死者がいつまでも生きているように感じられる時、生きている者は、涙を流すほかはないらしいのである。サンホセ警備隊六十余名の死者はそのように私には生きている…」(18頁)
一方で、大岡は決して自分の感傷だけに閉じ籠もろうとせず、自分たちの存在がフィリピン人にとってどのようなものであったかにも目を向けている。戦後四半世紀を経た段階でなお、日本人はフィリピンでのひとり歩きが憚られるほどの憎しみを受けていた。それからさらに半世紀を経て、日本人がフィリピンでしたことを丸きり忘れてしまっているという事実には愕然とする。贖罪も開き直りもない。ただ単に、そういう事実があったこと自体が知られていない。記憶の風化の残酷さ。