読書メーター KADOKAWA Group

2024年11月の読書メーターまとめ

Toska
読んだ本
19
読んだページ
5222ページ
感想・レビュー
19
ナイス
600ナイス

2024年11月に読んだ本
19

2024年11月のお気に入り登録
1

  • ピンガペンギン

2024年11月のお気に入られ登録
1

  • ピンガペンギン

2024年11月にナイスが最も多かった感想・レビュー

Toska
前近代の天皇は「退位」ではなく「譲位」する(18頁)。それは新帝を選定・指名し地位と権威を譲り渡す行為、すなわち人事権の行使に他ならない。そう考えてみると、引退した者が現職より偉いという摩訶不思議な現象も腑に落ちる。しかも、現職と違って制度的な縛りがなく、自由度が高いから始末が悪い。本書で語られる白河院の怪物っぷりは一見の価値あり。
Toska
2024/11/08 19:13

考えてみると、「天皇に皇子なく皇女のみ」「皇弟に男子あり」「上皇が存命」という天皇家の今の状況は、中世だったらかなり紛糾したんじゃないかと思う。秋篠宮家を担いで挙兵したり、上皇に院宣を出させようと工作したりする輩が現れてもおかしくない。皇室典範がある時代でよかったね…

が「ナイス!」と言っています。

2024年11月の感想・レビュー一覧
19

Toska
建礼門院徳子という歴史上の人物が何を語ったのかではなく、物語が彼女に何を語らせたのかを探る。いかにも文学の研究者らしいアプローチ。中世においては、事実を肉付けして物語ができるとは限らず、逆に物語のパターンが先行し、そこへ事実(実在の人物や事件)を落とし込んでいく場合が多い。建礼門院の他、卒塔婆小町や和泉式部などの例を挙げてこれを証明していく著者の鮮やかな手腕。同時に、女性の「罪業」を強調する中世仏教的な世界観の残酷さも感じた。
Toska
2024/11/30 21:05

著者自身「歴史を語る物語というものの面白さと残酷さ」(220頁)を充分に理解し、実在の建礼門院が味わった運命の過酷さを思いやっている。我々は物語の論理(=後代の人々の都合や興味)を無批判に受け入れてしまっているのではないか?という「あとがき」の問いかけは重い。所詮はフィクションと割り切ることもできようが、生きた人間の歴史が基になっている以上、どうしてもそこで立ち止まらないわけにはいかない。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
平清盛の覇道に立ち塞がったのは後白河院だった。彼に比べれば頼朝などは小僧っ子にすぎない。時に協調し、時に激しくぶつかり合い、最後は平家の族滅で幕を閉じる二大巨人の濃密なドラマ。とは言え、後白河の政治的な資質は清盛の足元にも及ばなかったが、それ故に意表を衝く奇矯な行動で相手を振り回すことができた。周囲に期待されないことが彼のフリーダムな性格につながったのか。「英雄」ではなくとも歴史を動かす可能性がある、実に興味深い事例と言えそうだ。
Toska
2024/11/28 17:43

都落ちした平家が討伐されるのは当然のように思っていたが、考えてみれば彼らは現役の天皇と三種の神器を擁していたんですよね。それなのに、朝敵とされたのは源氏ではなく平家の方。当時は天皇家の家長(この場合は後白河院)こそが権力の正当性を保証する「院政の論理」で動いていたわけで、後白河を連れ出せなかったことは平家にとり痛恨の極みだった。源平の武力による対決という構図だけでは見落とすものが多い。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
いきなり白河落胤説という荒れ球を放ってきてびっくりするし、絵巻に込められたメッセージなど大胆な推測も目立つ。とは言え、清盛の如き破天荒な人物を扱うのならこれくらいの冒険でちょうどいいのかもしれない。帯の煽り文句「清盛学の決定版」とは裏腹に、ここから清盛研究を広げていく起点となる一冊ではないか(著者自身もそういうスタンス)。とにかく色々な意味で規格外の人間であったことが伝わってくる。
Toska
2024/11/26 18:36

この本は再読だが、平安時代や院政に関する書籍を何冊か読んだ後だと、清盛の立ち位置についてより理解が深まった気がする。実際、平氏政権には武家政権としての先駆性よりも平安朝からの連続性を強く感じ、著者の言う「六波羅幕府」論はどんなものだろうかと思う。寧ろ、同じ本書の「平氏系新王朝」という表現の方が魅力的。外からちまちまと王権を掣肘した鎌倉幕府よりも、天皇を丸抱えにしてデカいことをやらかそうとした清盛の方がよっぽど気宇壮大だったのでは。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
平家華やかなりし頃に建礼門院徳子の下で女房勤めをした女性が、老境に入った後にまとめた歌集。膨大な詞書が当時の状況を鮮やかに伝え、『平家物語』の舞台裏を平家サイドから覗き見ることができる。作者が自らの青春時代を振り返った、一種の自分史という側面も。激動の時代と、その中で翻弄される個人の悲哀。全文が現代語訳されて読みやすく、註と解説も行き届いている。珠玉の一冊。
Toska
2024/11/25 16:51

作者と恋仲だった資盛をはじめ、平家の公達が何人も登場。女房たちとの恋の駆け引きや歌の贈答など、彼らは宮廷文化にどっぷり浸かって生きていた。その上に戦争までやらされるのだから、そりゃあキツいだろう。たとえるなら『源氏物語』の登場人物が甲冑に身を固めて出陣、負けて都落ちしたり首を打たれたりするようなものだ。そんな非常識な事態が現実のものとなったわけで、当時の人々の衝撃はいかばかりか。

Toska
2024/11/25 16:58

かつて恋人の資盛と共に朝顔の花を見、その儚さをあわれに感じたことがある。だが今にして思えば、花の方が人を見、あわれんでいたのかもしれない(155頁)。この感性の鋭さ、深さと暗さは尋常ではない。だが作者には、この哀切に満ちた記憶を文字の形で残そうとする意志の強さがある。書いて誰のためになるのか、自分でも分かっていなかったのかもしれないが、とにかく彼女は書いて伝えた。そのことに心が揺さぶられる。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
同じ乱世に際会しながら、西行が詩人としての感性で歌の中に時代を凝縮させ、鴨長明が無常観に基づく優れた記録文学を残したのに対し、『平家物語』の作者が選んだのは虚構を通して現実を再現するという方法だった。世の中と人間に対して飽くなき興味を持ち、饒舌に語り尽くす。歴史の研究に生涯を捧げた著者は、こうした「物語精神」を歴史家にも必要不可欠な素質と見、共感していたのかもしれない。
Toska
2024/11/23 19:13

「平氏の滅亡に直接的利害を感じたのは、当時の日本人のなかでほんの少数の人々であった。しかし平氏の滅亡という一つの集中された事件を媒介として、この時代の各地方、各階層の無数の人々の経験が互にむすびつき、共通の話題と記憶のもとに統一されてゆくのである…このような集中性は、事実そのものの構造と発展によって規定されているのであって、治承四年から文治元年にいたる六年間の歴史の迫力とすさまじさは、当時の人々のどのような想像力をもこえたものであった」(55頁)

Toska
2024/11/23 19:22

『物語』において、平重盛・知盛と斎藤実盛の三名は未来を見通す予言者として性格づけられている。中でも、この傾向が最も強いのが重盛であるという(ただしキャラクターとしての完成度は知盛に譲る)。してみると、アニメ「平家物語」で重盛が能力者として描かれたのは古典に忠実だったということなのか。知っていてそうしたのなら凄いし、偶然の結果であるならそれはそれで面白い。史実→創作→二次創作の中で転変する人物像。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
『物語』でなじみ深い平家の人々のキャラクターに真正面から挑み、史料を通じてその実像を探る。兄・知盛のイメージに統合された勇将・重衡、美少年ぶりは確かな記録でも確認できる維盛、後白河院との関係を軸に最後まであがいた資盛、「狐の狡知と獅子のたけだけしさを兼ね備えた政治家」時忠…あまりにも魅力的な。一方、著者は「史実」の高みから虚構の世界を見下すことなく、『物語』の磨き抜かれた人物造形にも賛辞を惜しんでいない。
Toska
2024/11/22 22:03

身分制社会の常で、能力や人柄ではなく血筋が決定的なファクターとなる。平家の面々について言えば、母親の出自や実家の勢力が極めて重要であった。小松家の子供たち(維盛、資盛、清経)について論じた第一章はこの点で興味深い。正妻の子でありながら外祖父が謀反人とされたため正嫡の座を失った清経にとり、世界は不条理に満ちていたことだろう。誰が見ても資質に欠けているのに嫡流の中心として重責を担わざるを得なかった宗盛にも、逆の意味で悲哀を感じる。

Toska
2024/11/23 11:41

謀反人とされたのは清経の「外祖父」ではなく「外舅」でした。訂正すると共に、藤原家成氏には謹んでお詫び申し上げます。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
いわゆる治承・寿永の乱は、単なる源平の争乱ではなかった。院政期以来の社会構造の変化と地方への経済的負担の増大により、各地で対立構造が醸成されていた。以仁王の令旨と源平の角逐は争乱のきっかけにすぎない。頼朝挙兵に際して、北条時政が山木判官を血祭りに上げなければならなかった理由もそこにある。既存の源平イメージを抜け出した広く俯瞰的な考察、一方で重要な事象や人物は集中的に深堀りするミクロな視点も併せ持つ。お勧めの大作。
Toska
2024/11/20 19:11

平家は上流貴族化したため一門のそれぞれが「家」単位の軍事力を持つようになり、加えて主流・庶流の争いが激しく、兵力や指揮系統の統一に失敗した。これは中世の軍隊が持つ構造的な問題で、戦術云々の話ではない。だが明治時代になると歴史家ではなく軍人が戦史を語るようになり、近代の軍事常識を無批判に遡及させた合戦イメージが出来上がってしまった。著者はこの点に繰り返し注意を喚起しているが、適切な指摘と思う。軍事史に対し、よく言われる「戦後史学の軍事アレルギー」よりも甚だしい悪影響を及ぼしたのではあるまいか。

Toska
2024/11/20 19:20

内乱の時代は、一方で飢饉の時代でもあった。複数の同時代史料が飢饉による犯罪行為や人肉食などを描写するのに対し、鴨長明の『方丈記』にはそうした記録がなく、逆に人々の助け合いを書き留めているという(131頁)。これは飢饉を人災ではなく天災と見る長明の世界観によるものだが、史料の扱いの難しさをも物語る。仮に『方丈記』の記録しか残らなかったとしても、それをベースに史実を語るしかないんですよね。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
馬の博物館で行われたパネルディスカッション「中世の馬を考える」と公開講演「東国武士団と馬」の内容をまとめたもの。一回限りのイベントをこういう形で残してくれるのはありがたい。博物館らしく、考古の成果も活用。日本の馬が小さかったのは有名だが、鎌倉などで発掘された武士の乗馬はかなり大きい。馬にも身分格差があったようだ。馬の骨は工芸品の材料に利用されたため、庶民の馬はそもそも出土例が少ないらしい。
Toska
2024/11/18 18:59

一番面白かったのが川合康「中世武士の武芸と戦闘」。大柄な日本の弓を馬上から射る場合、右側(「妻手」)は広い範囲が死角となる。従って、当時の騎射戦は敵の右後方からアプローチしつつ追い越しざまに射つのが常道。位置取りが極めて重要で、馬はスピードばかりでなく小回りも求められる。有利な位置につこうとくるくる動き回る、ドッグファイトのようなイメージか。この技術を鍛えるためには、流鏑馬よりも犬追物の方が有効だった。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
『鎌倉時代の合戦システム』(https://bookmeter.com/books/19488643 )より前に出た著作だが、扱っている時代はこちらの方が後(南北朝期)。実際、この頃から軍事行動の大規模化に伴い恩賞給付の複雑化とシステム化が進展し、文書史料も前代より格段に増加するとのこと。そんな中、足利尊氏の書状は感激屋ですぐ恩賞をやってしまう本人の性格をよく表している。日本史上、最も味のある手紙を書く人物の一人ではあるまいか。
Toska
2024/11/17 18:44

上司が主体となる現代の勤務評定と異なり、当時は「俺の手柄を認めろ。褒美をくれ」という下からの圧が強いから大変だ。恩賞をもらうため将軍への直訴を試みる(これ自体は合法)武士たちに対し、管領クラスの大将がなだめすかして戦線にとどめようとする局面もあった。中間管理職の悲哀。また、当時は自分や郎党の戦死・負傷も重要な功績として数えられ、軍忠状には手傷の様子まで具体的に書かれているのが生々しい。

Toska
2024/11/17 18:57

著者は高校の教員であり、研究者の中では在野に近い立ち位置だが、「歴史学と歴史教育の融合」という高い志を持っている(「あとがき」より)。その意図を汲み、一般の読者が手に取りやすい「ソレイユ」シリーズで本書を出版した戎光祥出版の仕事は素晴らしい。こうした形で、様々な立場の研究者に発表の場が増えていけばと思う。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
華やかなイメージの強い鎌倉武士の合戦の舞台裏を深堀り。強固な防御線を構築して待ち受ける奥州藤原氏に対し、頼朝の軍勢が最初から工兵を準備していた話などは、意外なほど近代的なセンスをうかがわせる。一方、手柄の立てやすい戦場を求めて勝手に持ち場から動いたり、守護と折り合いの悪い御家人がその指揮下に入ることを嫌がったりする一面も。我々にとっての「軍事的合理性」が当時の武士たちにどれだけ通用するのか、よく考える必要がありそうだ。
Toska
2024/11/16 18:56

電話も無線もない時代のこととて、通信連絡には恐ろしく時間がかかった。そんな中、自分は鎌倉から動かず、指示を出すだけで平家を滅ぼした頼朝の統率力と胆力はとんでもないと思う。元寇の際、非常時と称して荘園から兵糧徴発の許可が出された(無論、幕府が勝手に許可したわけだが)一件も印象的。軍事政権による支配は、こうした「非常時」の永続化によって実現するものなのだろう。兵営国家論にもつながりそうな。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
著者の史観を伝える小論を集成した一冊。とりわけ「日本宗教史上の「神道」」が印象に残った。仏教や儒教など外来の思想に対し、神道は日本人の心性を奥底で規定する存在と捉えられることが多いが、本当にそうなのか?という大胆な疑問。本地垂迹説が織りなす壮大な思想体系の中、「神道」は仏教的世界観の一部を構成するものにすぎなかったのでは、と。著者は仏教の影響を大きく見すぎているきらいはあるが、それを差し引いても検討に値する問題と思う。
Toska
2024/11/15 13:10

また、「自立した宗教としての神道が近代になって政策的につくりあげられた」(90頁)結果、神仏習合期に達成されていた高水準の宗教哲学が否定され、却って神道に「素朴な自然宗教」という定義付けがなされるようになった。この指摘もまことに興味深い。明治政府が神道を持ち上げたことの弊害は、想像以上に深刻なものだったのでは。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
『中世的世界の形成』(https://bookmeter.com/books/97153 )では東大寺が古代の残滓扱いを受けていた。また中世史に限っても、大寺院の政治活動はグロテスクな現象として冷ややかに見られることが多い(延暦寺なんて信長に焼かれて当然という風潮)。だけど本当はそうじゃない、寺社勢力は中世の政治史に欠かせないプレイヤーだったんですよという骨太な主張。文体は新書にふさわしく平易で読みやすい一方、読者への迎合に堕すことのない鋭さがある。これもまた古典だ。
Toska
2024/11/14 13:06

仏弟子の集団生活にルーツを持つ僧団の団結力と集会での合議による意思決定。寺の膨大な財産を管理する家政機関。本寺・末寺のネットワークと統制。そして師弟の関係に基づく継承システム。このように列挙されてみると、確かに中世の寺社勢力は貴族や武家に伍して政治の世界で生き抜くポテンシャルを持っていたことが分かる。あまりに成熟しすぎて内ゲバに陥るところまで似てしまう有様。

Toska
2024/11/14 13:13

宗教的権威をバックに嗷訴を繰り返す僧兵たちの姿は確かに見苦しい。だが、専ら暴力と殺戮で権力を獲得していった武士のスタイルがこれより潔いかどうかは好みの問題でしかなく、歴史学が優劣を決める筋合いではない、と著者は喝破する(70頁)。ちなみに「僧兵」という言葉は同時代史料では確認できず、近代以降に(しかも彼らを否定的に見る立場から)作られたたものらしい。個人的にも「悪僧」の方が凄みがあって好きです。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
言わずと知れた古典的名著。伊賀国黒田庄というミクロな一地方を定点観測することで大きな時代の流れを掴んでいく手法は今でも古びていないし、グランドセオリーに目を奪われがちな唯物史観の欠を補う堅実な研究でもある。これを著者33歳の時、しかも在野の立場で書き上げたというのが凄すぎる。石井進の「解説」は必読。本書が誕生した経緯自体がすでに歴史であるとしか言いようがない。
Toska
2024/11/12 19:00

歴史の進歩を所与のものとして捉え、「古代的」な東大寺支配の永続を「頽廃」と断ずるなど、今の目で見ればその史観には独自の窮屈さが感じられる。だが、古代→中世の展開を単純に予定調和的なものとして描写することなく、そこに携わった人々の営みを詳らかに描いていく点に本書の真骨頂がある。「…何故ならばその条件が崩れた後においても、或いは崩れた後においてはじめて人間の必死な努力が始まるからである。この努力が政治だと思う。この努力の成否、すなわち条件と努力との競合が存続の問題を決定する」(283頁)。

Toska
2024/11/12 19:07

無論、相手がどんな大家だろうと恐れ入ることはないし、批判はどんどんしたらいいと思う。ただ、最近の日本史研究者が書いたものを読むと、唯物史観を批判しさえすれば何か意味のあることをやってのけたかのような、自己満足的な薄っぺらさを感じることもある。いやそれは山の裾野を迂回しただけで、山を越えてはないんじゃないですか?と。学術の発展に関しては「巨人の肩の上に立つ」という表現があるが、この恩恵を自ら放擲してしまっているのでは。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
前近代の天皇は「退位」ではなく「譲位」する(18頁)。それは新帝を選定・指名し地位と権威を譲り渡す行為、すなわち人事権の行使に他ならない。そう考えてみると、引退した者が現職より偉いという摩訶不思議な現象も腑に落ちる。しかも、現職と違って制度的な縛りがなく、自由度が高いから始末が悪い。本書で語られる白河院の怪物っぷりは一見の価値あり。
Toska
2024/11/08 19:13

考えてみると、「天皇に皇子なく皇女のみ」「皇弟に男子あり」「上皇が存命」という天皇家の今の状況は、中世だったらかなり紛糾したんじゃないかと思う。秋篠宮家を担いで挙兵したり、上皇に院宣を出させようと工作したりする輩が現れてもおかしくない。皇室典範がある時代でよかったね…

が「ナイス!」と言っています。
Toska
院政それ自体を俎上に載せるというよりは、摂関黎明期から室町までの長いスパンで政治の流れを概観し、その中で院政が果たした役割を浮き彫りにしていくスタイル。院政を知ることは日本の中世史を知ることでもある。白河〜後鳥羽の院政最盛期は上皇たちの強烈な個性に任せたプリミティヴな専制にすぎず、寧ろ承久の乱以降に制度的な洗練が見られる等、新たな発見が多かった。「あとがき」と「増補版あとがき」が妙に文学的。
Toska
2024/11/07 12:58

早くも宇多上皇の段階で院政vs摂関の第一ラウンドが戦われていた。この両者の角逐は、本書の中でも最大の読みどころと思う。著者の指摘する通り、院政も摂関(外戚)も天皇を取り巻くミウチの権力なのであり、天皇の指名権をめぐって競合関係が生じるのは避けられない。政治勢力としての外戚など世界史の中では珍しくもない存在だが、院政のような形で君主が権力を奪還するケースは日本以外に例がないのでは。

Toska
2024/11/07 13:08

後白河が福原で宋人と会った時のエピソードが印象的。古来、天皇は外国人を穢れとして忌避しており、本来は面会など考えられないのだが、後白河は「天皇辞めてる(しかも出家してる)からセーフ」という理屈だったらしい。また、院の近臣による意思決定も、儀礼化された太政官でのそれに比べるとはるかに小回りが利いて実用的だった。この辺りの使い勝手のよさが院政の魅力で、院たちももう天皇に戻りたいとは思わなかっただろう。それにしても、本書の後白河さんは行動がトリッキーすぎて、何がやりたいのか最後までよく分からなかった。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
庶民たちの「平安朝」ではなく「平安京」。特異な人口構成を持つ都に的を絞った結果、登場する庶民はほとんどが貴族の従者に偏っており、その点は注意が必要。それでも、類書の少ない貴重な一冊であることは間違いない。王朝社会を文字通り底辺で支えた名もなき庶民たち。彼らの草根たくましい生き様は、著者一流の活力あふれる文体にマッチしている。大人になることを許されなかった不思議な人々・牛飼童の存在も興味深い。
Toska
2024/11/05 17:03

宮中の行事を見物した挙げ句、興奮して紫宸殿の庭を走り回る群衆。中宮定子の主催する法会に入り込み、施しを求める物乞い。内裏のセキュリティがこれほど甘いとは…無論、身分の壁は厳然としてあり、貴族たちは彼らに情け容赦ない軽蔑の目を向けている。だがその一方で、空間的には距離感がバグったかのように聖と賤が混じり合う。わかんねえなあ。平安時代侮るべからず。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
検非違使庁が残した貴重な文書をネタ元として、平安時代の治安状況を探る。単なるエピソードの羅列にとどまらず、他の史料や文学作品からも情報が補足されている。例えば海難事件の章では、当時の船舶の構造や船長の待遇、『枕草子』に見える航海風景などを紹介することで、状況が立体的に浮かび上がってくる。読者としてはまことにありがたい工夫だ。平安京そのものではなく、周辺地域(畿内近国)にスポットを当てているのも本書の特徴。ただ、これに関してはタイトルで明示しておいた方がよかったと思う。
Toska
2024/11/03 20:18

著者の表現を借りるなら、「鎌倉武士たちの曾祖父の曾祖父たち」が本書の主役格である。一歩都から離れれば、武装し戦いに慣れた集団がそこかしこに蟠踞し、我が物顔に振るっていた。しかし、彼らがいくら暴れ回ろうとも地方の富は確実に吸い上げられ、都の貴族たちの贅沢な暮らしを支えた。また、何か問題があれば頼る先は中央の検非違使庁であったことも事実。平安期の国家システムって実は凄かったのか…と、この辺りは考えれば考えるほどよく分からなくなる。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
ケレン味あふれるタイトルだが、この「かぐや姫」は歴とした実在の人物(のあだ名)であり、平安時代に生きた姫君。父・藤原実資が膨大な日記を残した記録魔で、さらに相当の親馬鹿でもあったことから、当時の貴族女性の実態が分かる貴重な事例となっている。日記を基に彼ら親娘の人生を追っていくうち、著者も感情移入してしまったのか、最後は思いがけず感傷的な筆致に。何が起きたのかは是非本文を読んでいただきたい。
Toska
2024/11/02 18:09

父親の意向次第だが、当時は女性も財産を相続でき、実際「かぐや姫」も実資からかなりの所領をもらっていた。これに伴い、父親から独立した家政機関(政所や侍所など)が構成された。一方で、父や夫が早くに亡くなり庇護者を失うと、どんなに高貴な家柄の姫君でも没落の可能性があった。そうした女性たちは他の権力者(例えば藤原道長家など)に女房として仕えることを余儀なくされたが、これは大変な恥辱と見なされていた。等々、貴族社会の女性たちに関し様々な知見が得られる。

Toska
2024/11/02 18:18

記録を残した実資さんの動きも興味深い。娘たちを溺愛する反面、身分の低い女性に生ませた長男は出家させてしまう酷薄なところも(家督は養子に譲られた)。また、2人の正妻の死を心から嘆く一方で、手近な女性に次々手をつけ何人も子供を作っている。同じ人間だから、現代人と同じく家族への愛情を持っていたはずなのだが、その表れ方は決して我々に理解できるものとは限らない。一筋縄ではいかんよなあ、という感想。

が「ナイス!」と言っています。
Toska
24年6月出版で今年の大河を当て込んだことは間違いなく、内容も少し急いだ印象(引用が多く本文は意外に少ない)。だがそれでこのクオリティを保っているのは流石だし、平安朝にスポットが当たる機会などそうそうないから全力を傾けるのも分かる。この著者は研究対象への愛情を隠さないタイプ。子孫のために「御遺誡」を残したのは天皇家や摂関家の中でも傍流から嫡流に成り上がった代の当主が多い、という結論が興味深い。いわゆる万世一系理念も、こうした歴史的経緯を踏まえて考える必要があるだろう。
Toska
2024/11/01 05:46

「御遺誡」の中では、中国古典からの引用やたとえ話が意外に多い。子孫に対して説得力を持たせる権威的な重しとして、中華帝国の存在感は大きかった。そのくせ、宇多天皇は「天皇たる者、異国の人間に会ってはならない」なんて言っていて、これが外国人との接触を穢れとする考え方につながっていったとのこと。憧れと排除という、日本人の両極端な対外意識はこの頃からのものであったのか。

が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2021/02/26(1392日経過)
記録初日
2020/12/05(1475日経過)
読んだ本
771冊(1日平均0.52冊)
読んだページ
233063ページ(1日平均158ページ)
感想・レビュー
741件(投稿率96.1%)
本棚
0棚
読書メーターの
読書管理アプリ
日々の読書量を簡単に記録・管理できるアプリ版読書メーターです。
新たな本との出会いや読書仲間とのつながりが、読書をもっと楽しくします。
App StoreからダウンロードGogle Playで手に入れよう