甲府の躑躅ヶ崎館が実は豊臣期に改修された可能性が高いとか(曲輪の配置が同時代の城郭と激似)、聚楽第は滝山城の系譜に属しているとか、意外な話がたくさん出てくる。「○○城は△△氏の築城技術による」という先入観はやはり危険。また、権威や格式、宗教性など目には見えない要素の重要性も改めて思い知らされた。確かに難しいが、これらこそが近代要塞とは異なる城郭の奥深さを担保している。
縄張り研究の功罪を論じた5・6章は深刻な内容。城好きなら誰でも惹きつける縄張り研究だが、一方で考古や文献史学など伝統的な研究部門と上手く関係を作ることができず、「俺たちだけで勝手にやるからいいですよ」という不健全な状態を招いた。類似の状況は、広い意味での軍事史学でも起きているような気がする。学問を狭いアカデミズムの世界に閉じ込めることなく、一方で野放図な「言いっぱなし」の歴史論とどう対峙していくべきなのか。ネットを通じて個人の研究成果が拡散しやすくなった、21世紀に特有の課題なのかもしれない。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
甲府の躑躅ヶ崎館が実は豊臣期に改修された可能性が高いとか(曲輪の配置が同時代の城郭と激似)、聚楽第は滝山城の系譜に属しているとか、意外な話がたくさん出てくる。「○○城は△△氏の築城技術による」という先入観はやはり危険。また、権威や格式、宗教性など目には見えない要素の重要性も改めて思い知らされた。確かに難しいが、これらこそが近代要塞とは異なる城郭の奥深さを担保している。
縄張り研究の功罪を論じた5・6章は深刻な内容。城好きなら誰でも惹きつける縄張り研究だが、一方で考古や文献史学など伝統的な研究部門と上手く関係を作ることができず、「俺たちだけで勝手にやるからいいですよ」という不健全な状態を招いた。類似の状況は、広い意味での軍事史学でも起きているような気がする。学問を狭いアカデミズムの世界に閉じ込めることなく、一方で野放図な「言いっぱなし」の歴史論とどう対峙していくべきなのか。ネットを通じて個人の研究成果が拡散しやすくなった、21世紀に特有の課題なのかもしれない。