ただこれね、敢えて本の感想側だからここで書くけど。この会話の妙、台詞回しと余韻を存分に楽しみむ京極作品にあって、歌舞伎側、特に幸四郎の洲斎様は含みの全然ない早口で解釈違いだった。重みが違う。脚本の細かい違いはいいし見終われば満足感はあったし、板状のキャラクターの明暗というかバランス取るにはああいう演じ方もありかもしれない(と必死で納得しようとしている)がこの原作(中身も装丁まで含めて)の持つ空気は出し切れてないんだよーーっていう不完全燃焼感。多分私が高麗屋と相性悪いんだわ。
おとなになって、本を大量にまとめて買うことが経済的に可能になりました。うれしいです。読む時間が無いです。積読本が減りません。でもしあわせです。
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ただこれね、敢えて本の感想側だからここで書くけど。この会話の妙、台詞回しと余韻を存分に楽しみむ京極作品にあって、歌舞伎側、特に幸四郎の洲斎様は含みの全然ない早口で解釈違いだった。重みが違う。脚本の細かい違いはいいし見終われば満足感はあったし、板状のキャラクターの明暗というかバランス取るにはああいう演じ方もありかもしれない(と必死で納得しようとしている)がこの原作(中身も装丁まで含めて)の持つ空気は出し切れてないんだよーーっていう不完全燃焼感。多分私が高麗屋と相性悪いんだわ。