僕は「本は全部精読しなければ何も頭に残らない」みたいな考えに悩んでいるが、バカバカしさも感じていて、そこを抜け出す手掛かりとして手に取った。脳は脳で、本を読んだり話を聞いたりすると勝手に情報を取捨選択し始める。聞き流し読み流すほうが自然。大事だったら記憶のどこかに眠っている。もちろん忘却はままならないが「大体そういうもん」なのはわかる。もうすこし流し読みしてもいいかもしれない。外山の体験を大切にする姿勢も見習いたい。一方で、実は手元に置きたいのは『忘却の効用』の方。やけに"軽い"のは気になった。(2/3)
またメモやノートに否定気味なのも気になった。おそらく後で見返すためのノートを批判してるのであって、情報の整理としてのノートとは違うと思うが……。どちらがいいという話ではなく、インプットのあり方も多様なのにそんなにあっさりなの?という印象。それでも本書は一貫して「もっと自分のからだを信じよう」と言っている。精読も乱読もなにも、読むためのからだがなければ始まらない。もう少しだけ、楽に読む自分を、忘れる自分を、許したいし労わりたい。そういうところに立ち帰れるので評価している。(3/3)
『思考の整理学』ではメタノートでアイディアを育てるような話をされてたので、不思議ですね。単に記録すればいいというものではないというような趣旨なのかしら。
そうですね。まさに、板書をひたすら書き留める記録の批判のみでした。従来の使われ方が、いかに忘却による情報の取捨選択を邪魔するかという趣旨でした。この本が忘却=悪というイメージを覆し、忘却の意義を理解し、忘却する自分(の脳)を信じてやってみようというテーマなので、そちらに集中させたい感じですね。とはいえ、先に書いた疑問や、別の著者の本でノートの使い方を言っているのに「ノートなんかとるな」はどうなの?という疑問は、さすがに湧きます。活用は別の本に委ねているという感じですね。
なるほど,そういう趣旨なのですね。「どれだけ頑張って記録したところで忘れるときは忘れるから大丈夫だよ,それこそ身体・脳(のポンコツさ加減)を信じましょう」的な戯れ言が浮かびます笑 ▽忘れないと取捨選択に支障が,というのはライトノベル『フォーチュン・クエスト』の賢者を思い出させます。目にしたものすべてを記憶する呪いをかけられたために,大切な人との思い出が日常の些細な出来事の記憶に埋もれていってしまうという。
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僕は「本は全部精読しなければ何も頭に残らない」みたいな考えに悩んでいるが、バカバカしさも感じていて、そこを抜け出す手掛かりとして手に取った。脳は脳で、本を読んだり話を聞いたりすると勝手に情報を取捨選択し始める。聞き流し読み流すほうが自然。大事だったら記憶のどこかに眠っている。もちろん忘却はままならないが「大体そういうもん」なのはわかる。もうすこし流し読みしてもいいかもしれない。外山の体験を大切にする姿勢も見習いたい。一方で、実は手元に置きたいのは『忘却の効用』の方。やけに"軽い"のは気になった。(2/3)
またメモやノートに否定気味なのも気になった。おそらく後で見返すためのノートを批判してるのであって、情報の整理としてのノートとは違うと思うが……。どちらがいいという話ではなく、インプットのあり方も多様なのにそんなにあっさりなの?という印象。それでも本書は一貫して「もっと自分のからだを信じよう」と言っている。精読も乱読もなにも、読むためのからだがなければ始まらない。もう少しだけ、楽に読む自分を、忘れる自分を、許したいし労わりたい。そういうところに立ち帰れるので評価している。(3/3)
『思考の整理学』ではメタノートでアイディアを育てるような話をされてたので、不思議ですね。単に記録すればいいというものではないというような趣旨なのかしら。
そうですね。まさに、板書をひたすら書き留める記録の批判のみでした。従来の使われ方が、いかに忘却による情報の取捨選択を邪魔するかという趣旨でした。この本が忘却=悪というイメージを覆し、忘却の意義を理解し、忘却する自分(の脳)を信じてやってみようというテーマなので、そちらに集中させたい感じですね。とはいえ、先に書いた疑問や、別の著者の本でノートの使い方を言っているのに「ノートなんかとるな」はどうなの?という疑問は、さすがに湧きます。活用は別の本に委ねているという感じですね。
なるほど,そういう趣旨なのですね。「どれだけ頑張って記録したところで忘れるときは忘れるから大丈夫だよ,それこそ身体・脳(のポンコツさ加減)を信じましょう」的な戯れ言が浮かびます笑 ▽忘れないと取捨選択に支障が,というのはライトノベル『フォーチュン・クエスト』の賢者を思い出させます。目にしたものすべてを記憶する呪いをかけられたために,大切な人との思い出が日常の些細な出来事の記憶に埋もれていってしまうという。