思い出すことさえ苦痛で、とても人に言えないような体験を強いられた民間人から体験談を引き出すような調査はされていなかったとすら考えていましたが、本書を読むと、それが単なる無知にすぎないことだと分かりました。実は戦後5年の1950年から、沖縄戦体験者の手記や証言をもとにした、誇張や美化の無い戦争ドキュメントが出版されていたそうです。ところが、50年代後半〜60年代前半になると、トーンが変わり、日本軍の勇戦敢闘、至誠奉国を誇張、美化した戦記物が多くなったそうです。
これを、著者は「靖国思想による沖縄戦の再構築」と書いています。ひめゆり部隊の悲劇なども現在の姿になったのはこの頃のようです。60年代末から、やっと民衆の観点からの戦争体験の記録を行おうと言う流れが出てきてはいるものの、やはり皇軍の名誉に関わる部分は未だに強い抵抗があるようで、軍主導による集団自決は無かったとか、住民虐殺は無かったとか、住民は軍隊と協力して勇敢に戦ったという説が、特に本土では幅を利かせています。
本書が出版されたのは1985年ですが、現在でもこの傾向は変わっていないように思えます。大量の遺骨が残るガマは放置され、一方で観光客は、ひめゆりの塔と平和祈念公園を見て満足して帰る状況です。いつになったら本当の沖縄戦の全貌が本土の人間にも明らかになるのでしょうか。そんなことを考えさせられました。
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思い出すことさえ苦痛で、とても人に言えないような体験を強いられた民間人から体験談を引き出すような調査はされていなかったとすら考えていましたが、本書を読むと、それが単なる無知にすぎないことだと分かりました。実は戦後5年の1950年から、沖縄戦体験者の手記や証言をもとにした、誇張や美化の無い戦争ドキュメントが出版されていたそうです。ところが、50年代後半〜60年代前半になると、トーンが変わり、日本軍の勇戦敢闘、至誠奉国を誇張、美化した戦記物が多くなったそうです。
これを、著者は「靖国思想による沖縄戦の再構築」と書いています。ひめゆり部隊の悲劇なども現在の姿になったのはこの頃のようです。60年代末から、やっと民衆の観点からの戦争体験の記録を行おうと言う流れが出てきてはいるものの、やはり皇軍の名誉に関わる部分は未だに強い抵抗があるようで、軍主導による集団自決は無かったとか、住民虐殺は無かったとか、住民は軍隊と協力して勇敢に戦ったという説が、特に本土では幅を利かせています。
本書が出版されたのは1985年ですが、現在でもこの傾向は変わっていないように思えます。大量の遺骨が残るガマは放置され、一方で観光客は、ひめゆりの塔と平和祈念公園を見て満足して帰る状況です。いつになったら本当の沖縄戦の全貌が本土の人間にも明らかになるのでしょうか。そんなことを考えさせられました。