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近年問題になっている,愛国者を自称する人々による排外的主張やヘイトスピーチに対してどう対処するか?というアクチュアルな要求に答えられるかと言われれば少し弱いような気もする。
著者はSDGsはアヘンだとはしがきで糾弾してましたが、今の「SDGsブーム」も、長くて2~3年で下火になるだろうと思われます。何せ熱しやすく冷めやすい日本人気質、2030年までこのブームが続くとは思えません。
コメントありがとうございます。僕もそう思います。日本では(日本以外もそうなのかも?)SDGsが企業のイメージ戦略として利用されてしまっている節があり,どうにも表層だけというか単なるコンテンツに留まっている印象を受けますね…。
新左翼は日本人を「総ノンポリ化」したこと,新左翼から学ぶこととして「過激化する論理」が挙げられていたが,現代においては政治的な話を嫌うのは現政権を支持するものが多く(政権批判は「政治的」として忌避されるが逆はそうでない傾向がある),後者から連想されるのはホモソーシャルなオタクコミュニティや,研究者が自身のSNSアカウントで他の研究者への誹謗中傷を行っていたとされる件の騒動である。「左翼」とタイトルに掲げられているものの,ここで挙げられている課題はそれ以外にも適用しうるものだと思う。
コラムの中で,「逆差別」への喩えとして用いられている言葉が「魔女裁判」なのだが,それ自体がフェミニズム研究の文脈では「女性によるみずからの再生産機能の管理を破壊し、家父長制的体制の発展を目指す」ものとして捉えられていることも考え併せるとなかなかグロテスクなのでは。
読んでいて気になった部分をいくつか。日本でも猛威を振るっているネオリベラリズムについて,一般的には市場経済にすべてを委ねる,国家と対立するもののように捉えられているが,実際は国家の介入を必要とすること,新自由主義に特徴的な市場における「競争」は自然には生まれず,いわゆる「レッセ・フェール」は国家によって人為的に構築される必要があるものであるという指摘は興味深かった。言われてみればネオリベ的人物として世間でも悪名高い竹中氏も,政府(自民党)と対立しているどころか強い繋がりを持っている。
もう一つは「エッセンシャル・ワーク」について。特にコロナ禍で耳にする機会が増えたこの言葉だが,そういった世の中を維持していくのに必要な,社会的価値が大きい仕事(そして大体負担が大きい)ほど賃金が少なく,そうでない仕事ほど賃金が高くなるという逆説が提示されていた。自分の体験を思い出しても,これまで携わった仕事(といっても片手で数えられる程度しかないが)も時給が少ないものほど実際の仕事は大変だった。
ついでに言うと日本で「ホロコーストはなかった」「ナチスは良いこともした」というような主張をする人々の多くは,歴史の捏造を行おうという大仰な意図はあまりなさそう(どちらかというとネットやトンデモ本で真実に「目覚めた」?)なので,そういった意味でもこの用語はそぐわない気がする。
もう一つがヨーロッパでの法規制について。規制の焦点としては「歴史の真実」が損なわれるというよりも,否定論が個人や特定の集団の尊厳を傷つけるいわばヘイトスピーチにあたることだという。ただ規制というとどうしても「表現の自由」の問題になったり,国家がこれを悪用して思想統制につながったりする可能性もある。この点については,国民が規制について社会的な合意がとれていること,権力側もこれを濫用しないよう抑制的に動くことが必要であり,つまるところ社会が十分民主主義的でなければ機能しないらしい。
歴史(学)の本がメインです。時々頑張って哲学や思想の本を読んだりしますが、たいてい意味は分かってないです。
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近年問題になっている,愛国者を自称する人々による排外的主張やヘイトスピーチに対してどう対処するか?というアクチュアルな要求に答えられるかと言われれば少し弱いような気もする。