ディナミスム、アナロジズム、アニミズム、客体化された自然、全部ある、という締め方は、二項対立ではなく四つあるのが大事という主張はわかるものの、折衷主義ないしは加算主義のようにもみえた。
だから「一回的でありかつ反復的である」というのは、確かに考えにくいことではあるが、(人間を含めたあらゆる生物の)生についての考察の原点にあるべき事実なのである。生は本来的に一回的なものと反復的なものの間にある。(305ページ)
訳者あとがきからも。/チョルダッシュの視点からすれば、ギアツ流の解釈人類学が「解釈」の対象としてきたものの状況や文化という文脈に即してその意味が読みと取られるべき「テクスト」としての行為や出来事は、既に客体化されたものの次元に属する。これに対して、チョルダッシュの提起する文化現象学では、とくに、世界に棲まう身体についての反省をベースとするメルロ=ポンティの現象学に依拠しつつ、身体性/身体化を「方法論的出発点」として、人びとの生きられた経験を把握しようとする。
チョルダッシュの文章はやや周りくどくてわかりにくいところもあるが、古典的な文献の精読と、引用しやすい適切なワーディング、決して派手ではないが綿密な観察に基づいたエスノグラフィックな記述、と学ぶところが大変多く、また一朝一夕で書けるものではないということも説得させられた。インスタントに凄そうなことを言うのではなくて、こういう丁寧な仕事をしなければならない。
「すでに起きてしまったことに気づく。 そのくり返しが人生」
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