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読書データ

プロフィール

登録日
2021/01/09(1197日経過)
記録初日
2021/01/09(1197日経過)
読んだ本
182冊(1日平均0.15冊)
読んだページ
50109ページ(1日平均41ページ)
感想・レビュー
182件(投稿率100.0%)
本棚
1棚
性別
現住所
兵庫県
自己紹介

【自己紹介】60代。医療従事者。

【読書歴】中高生時代はドストエフスキーや実存主義文学を読む。この時代は自己の探求を求めず、作品の素晴らしさに、ただ感動して本を読んでいた、幸せな時代だった。

大学では、まず、亀井勝一郎「愛と認識の出発」の"精神は1つである。"という言葉に出会う。今まで自分の思想だと思っていたものが、折に触れての意見や感想にすぎず、すなわちリアクションにすぎないので精神と呼ぶに値しないと思い至り、衝撃を覚えた。以降、1なる精神を希求するようになった。
次にフロム「生きるということ」との出会い。自分が価値のある人間だと思っていたのが、実は商品価値(学歴、知識、論理的思考力…)にしか過ぎなかった、と悟ったとき、裸の自分は無知で馬鹿で傲慢なだけであった。しかし、このソクラテス的無知の知の経験が、周囲の人々や未知の世界に対して自分を開き、世界が一挙に広がった。それまでで最大の読書体験となった。

この後は社会に対して新たなかかわりを求める活動をおこなうが、読書はそれを支えた。また活動から浮上した問題を、突きつけられたのも読書からだった。
デューイ「ブラグマチズム」では、言葉を、行動の前段階(インスプリット ディスポンス)であると定義する。ならば、言葉は関わりのあり方をその不在も含めて正確に表してしまう。
吉原吉郎「望郷と海」の中に‘言葉の主体である自己が虚しいとき、言葉が耐えきれずに状況を離脱する。‘という意味の文がある。言葉は、状況を離脱する事により、自己の虚しさを突きつけるのだ。言葉=自己であることにより、私は自己から出る最大の根拠と考えていた言葉が根拠であり得ない事を知って、途方にくれる。
この悩みは、ベルグソン「思想と動くもの」にある直観という思想、すなわち物を直接見ることが出来るという思想により一応解消される。

しかし、最初の就職先が、労働時間が15時間で残業代がでないといったブラック企業だった事から、この社会はあまりに悲惨で個人の思想なぞ無に等しいと絶望した。それで自己探究を基礎とした大学時代のパラダイムが吹っ飛んで、頭も空っぽになった。それは仕事を変わってからも長く続いた。
この状態から抜け出したのは、10年たってヴェイユの本「重力と恩寵」に出会えたからだ。ヴェイユは、恩寵以外のものは全て重力に似た下に降ろす様な力が働くという。だとすると、すべての事は"重力"か"恩寵"かである。"恩寵"の事は自分には分からなくても"重力"の事は分かるのではないか、"恩寵"はかっこに入れてひとまず置いとこう、人間にかかる"重力"について追求しよう、このように考えた。これで混乱状態にあった頭が整理された。そして構造主義を中心に"重力"の本を読むようになった。
1995年ブルデュー「ディスタンクシオン」人間は普遍的人間として生きているのではなく、ある階級に属する人間としてのみ生きているのにすぎないと知った。例えば、ある人は上昇傾向にあるプロレタリアとして生きている。
2001年ラカン「フロイトと精神分析技法における自我」"自我は自分に嘘をつく為にある"という革命的な認識が、この時期全体のパラダイムになる。
アルチュセールは、'主体性は権力から呼びかけられて生じる'とし、フーコーは'真理は権力によって作られてある'と言った。(真理は存在しないのではなく、権力、あるいは社会に配置された"装置"により作られたものだ、と言った。)
そして、2004年バルト「ローマ書講解」の"人は土から作られた者で、全ては死に支配されている"、という思想がこの時期を終わらせる。思考がどん詰まりになり、これ以上先に進めなくなってしまったからだ。

 思索をゼロから始めるべく、ハイデガーを読み、2008年アンチハイデガーのレヴィナスに出会う。レヴィナス「全体性と無限」により、私の今までの思考が、"水平"="重力のかかるもの"="全体性"として総括され、それとは異なる"垂直のもの"="無限のもの"="恩寵"を目指す、という新たな道が示された。これにより、私も全体性を求めるのではなく、垂直なもの=恩寵=神を求めるようになった。

しかし、現在はキリスト教の求道生活に行き詰まった事もあり、"恩寵"に向かう道は挫折している。アガンベンは欧米起源の概念-政治.経済.義務.意志…-の神学的起源を示すと同時に神学の権力的起源を示す。"重力"と"恩寵"というデカルト的直交座標はもはやない。"重力"と"恩寵"はそれぞれ絡み合っている。いま向かおうとしているのは、この絡み合いだ。ただし、アガンベンにとって"恩寵" は、原初のキリスト教の中に原点の様に存在し、世界を変える起爆点として指し示されるのであるが。

ここまで書いて、神無しに自力で救済を求めるのは罪である、というのが自分の姿だと思う。明日に何がどうなるかは、もちろん見当もつかない。自分が何処に連れて行かれるのか、自分に何が起こるか解らない、これが読書の最大の醍醐味である。(2023年3月30日現在の総括)

PS. 読書は文学、歴史、美術、科学、ルポなど、割と幅広くやっている。最近は芥川賞作家を好んで読んでいる。

【読メレビューについて】基本的に"感想"はあまり書かずに、テキストをまとめる事に重点をおいている。"感想"の多くはリアクション、すなわち文に触れての自分の心理的反作用の如き物で精神とは別物だと考えるからだ。特に本を理解するかわりに"批判"で終わる事を避け、その本の可能性の中心を掴む事を目指す。耽美的な事項のレビューは避ける。

【私の読書技法】○論理的な本を読む場合には、まず線を引きながら読みます。次に線を引かなかった所を飛ばして読みますが、線の横に線を引きながら読みます。以降これを納得がいくまで繰り返します。(この時、鉛筆やラインマーカー、サインペンを使います。)大概の本は5回も読めば理解できるので、難解と言われる本もこの方法により比較的短時間で理解できます。この方法の利点の1つは、何十年後でも本が残っている限り、短時間で読み返せる事です。理想は読んだ全ての本がまとめられ、関係付けられる事です。
○小説を読む時は、引っ掛かりがあった会話やイベント部分に線を引きながら読みます。読み終わってから、線を引いた所を読み返して、そこに何か意味があるかどうか、全体との関連があるかどうかを考えます。これで、表のストーリーではない、深層のストーリーが明らかになる事が多々あります。
○上記以外にも、本屋に行って、拾い読みをしたりします。この読み方だと1時間で10冊以上読めます。本はネットで買う事も多いですが、本屋は自分の基地だと思って大切にしています。
○分厚い本を読む時、持ち運びの利便のため、本を分割する事をよくします。見開きを開いて、垂直にカッターで切断します。そして、切断面に水溶性ボンドを厚く塗っておくだけです。切断すると、見栄えが悪くなるのと、整理がしにくくなるので、主に箱入りの本の場合におこないます。

【好きな思想家】❤️アガンベン(ホモ サケル)、アルチュセール(資本論を読む)、❤️ヴェイユ(重量と恩寵)、❤️ウォーラスティン(世界システム論)、ヴィトゲンシュタイン(哲学探究)、カネッティ(群集と権力)、❤️キルケゴール(哲学的断片の完結的、非学問的後書き)、グラムシ(獄中ノート)、サルトル(存在と無)、❤️ドゥルーズ(千のプラトー)、❤️ニーチェ(権力への意志)、ハイデガー(存在と時間)、K.バルト(ロマ書講解)、ハーバーマス(イデオロギーとしての科学と技術)、❤️ブルデュー(ディスタンクション)、ブルトマン(新約聖書神学)、フロム(生きるという事)、フッサール(内的時間感覚の現象学)、ベンヤミン(歴史哲学ノート)、ベルグソン(時間と自由)、❤️ボンヘッファー(キリストに従う)、❤️マルクス(資本論)、マルクーゼ(1次元的人間)、❤️モルトマン(組織神学叢書)、ヤスパース(実存開明)、❤️ラカン(フロイトと精神分析技法における自我)、❤️レヴィナス(全体性と無限)
【好きな作家 日本】❤️大江健三郎、夏目漱石、太宰治、❤️椎名麟三、❤️石川淳、遠藤周作、石牟礼道子、今村夏子、灰谷健二郎
【好きな作家 海外】❤️ドストエフスキー、❤️サリンジャー、❤️カフカ、カミュ、❤️リルケ、ボルヘス、ウルフ、ホフマンスタール、ヘッセ、マン、ジッド、ロレンス、ジョイス

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