この女優は四十代でも若さを保つ。アンチエサイジングだとしても、健康食品やら美容体操とか、なかなか出来ることでない。歌劇団出身女優白木カオルの話。甘いものも制限で脂肪の代謝のためにエクササイズも絶やせない。伊良部病院の地下でエクササイズするため。そんな目的での来院もある。しかし伊良部の診断は自然体が一番、逆立ちでもしたら。カメラの前の彼女は見せ掛けで、実際の姿はカロリーにびくびく。甘いものやエビフライも我慢。最後は町長選挙。離れ小島の選挙の凄まじさ。中立は許されぬ。札束も飛び交う。かって自民党でもあったか。
ナベツネさんは強引だった。生前葬までやったと。自己顕示欲が深かいのか。アンポンマンはホリエモンのことか。「稼いで悪いか!」のサイン会とか何かと話題になった。IT長者とか一時は企業買収で名をはせた。プロ野球チームの買収まで。そんな彼は突然ひらかなが書けなくなり、伊良部病院の神経科で伊良部と相談。そんなことがあるのかと引き込まれる。まずは看護婦のマユミの注射を受ける。胸の谷間に視線が吸い寄せられる。ひらがなを思い出せないのは若年性アルツハイマーだと伊良部は言う。本当のことなのか?次のカリスマ稼業は女優の悩み。
この女優は四十代でも若さを保つ。アンチエサイジングだとしても、健康食品やら美容体操とか、なかなか出来ることでない。歌劇団出身女優白木カオルの話。甘いものも制限で脂肪の代謝のためにエクササイズも絶やせない。伊良部病院の地下でエクササイズするため。そんな目的での来院もある。しかし伊良部の診断は自然体が一番、逆立ちでもしたら。カメラの前の彼女は見せ掛けで、実際の姿はカロリーにびくびく。甘いものやエビフライも我慢。最後は町長選挙。離れ小島の選挙の凄まじさ。中立は許されぬ。札束も飛び交う。かって自民党でもあったか。
三浦綾子さんは本当に聖書を読んで研究されたのだな。特にこの旧約聖書の解説は見事だな。まだ全体を良く理解していないので、今回は気になる預言者についてまとめてみる。イザヤ書53章はイエスの到来と報われなかった生涯の記録がある。ただ黙々と人の罪を負いつづけ、そのゆえに十字架に最後を遂げたイエスの姿がある。〈彼は我々の病いを負い我々の悲しみになった〉〈主は我々すべての者の不義を、彼の上におかれた〉〈彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした〉。ここで彼とはイエスのことであり、最大の預言者である。
読み易いようだが、聖書の理解は相当難しい。仏教も哲学的に難しい。12.3神の霊により語る人は、誰も「イエスは神から見捨てられよ」とは言わず、聖霊によらなければ誰も「イエスは主である」とは言えぬ。注では神の霊とは聖霊のこと。聖霊はキリスト者に福音の証人になり、神の望まれる民となるように教え導く。この聖霊の働きの理解が難しい。12.7霊の賜物だが、聖霊の働きによる。その働きは色々。その霊はある人には知恵の言葉、またある人には知識の言葉、ある人には信仰、またある人には病気を癒す力、ある人には奇跡や預言を与える。
13.4~13愛について。愛は忍耐強い。愛は情け深い。妬まない。愛は自慢せず、高ぶらない。5.礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。6.不義を喜ばず、真実を喜ぶ。注では、ギリシア語のストルゲー(家族の愛情)。エロース(性的な愛)。フィリア(友愛)。ここではアガペー(神の愛)のことで、他者に与える愛だと言う。しかし神への愛は最も難解である。13更に、信仰、希望、愛の三つが重要だが、最大なのは愛と言う。また理性だけでは実を結ばないで、霊に祈り、理性でも祈ると良いと言う。理解は難しい。
17.3モーセとエリヤの注。この二人は旧約聖書の二つの主要な書物群を象徴する。モーセは律法を、エリヤは預言者の書を象徴している。またこのマタイによる福音書では、イエスが旧約聖書の成就者であることを示唆している。その前に16.18イエスが言う、あなたはペテロ、私はこの岩の上に私の教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できぬ。私はあなたに天の国の鍵を授ける。16.20しかしイエスは自身がメシアであることを誰にも話さないように命じた。16.21イエスは殺され、三日後に復活することになっていると弟子たちに打ち明けた。
まあルリ子はタコ部屋に入れられた浮浪者に殺された。哀れな男だった。その後自殺した。しかしその後夏枝はルリ子の代わりにもらい子でも育てたいと言う。友人高木は乳児院で働いていたが、もらい子の斡旋を頼まれた。夫の辻口は妻の不倫の疑いに尾を引かれた。自殺した犯人の女の子を引き取りたいと高木につげた。そんなことがあるのかな。妻への緩やかた復讐なのか。なんかドロドロしい。そのもらい子は陽子と名づけられた。七年が経過すると陽子は明るい子供になった。子供を育てたい母性愛は男には理解出来ないことかな。夏枝も明るくなった。
深い書であるから中級と見て良い。最初はマタイによる福音書。イエス・キリストの系図。〈アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図〉。アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブ父、・・。相当長い。バークレーの注解書も参考に彼女は説明。ユダヤ人は民族の純血を尊だよう。日本の天皇の系図も血筋を大切にして似てる。旧約聖書ではラハブは遊女でルツは外国人とか純血でない結婚もあったとか。第二の関門は、処女マリアの懐妊。〈イエスの誕生。母マリアはヨセフと婚約したが、一緒になる前に、聖霊により身重になった〉。
インドの「マハーバーラタ」でもクンティーが処女のまま神の子の五王子を産んだ話もある。科学的には刺激があれば卵の細胞分裂は始まるとか、これは味気ない話だが。次は「山上の垂訓」。〈第五章 イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄った。そこでイエスは口を開き、彼らに教えて言われた〉。啓示の意味。古来から山は人と神が出会う。そこでイエスは神の教えを垂れる。〈心の貧しい人たちは、幸いである、天国は彼らのものである〉。最初の言葉の解釈は難しいが、要するに心の貧しい人とは謙虚な人のこと。
著者はなかなか哲学的な人だな。私はただ一神教の根源まではこだわらず、ざっと目を通す。旧約聖書は三つの部分あり。第一部律法。モーセ五書。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記。第二部預言者。ヨシュア記、サムエル記、列王記。その後大預言、小預言が続く。第三部諸書。ヨブ記、エステル記、・・。モーセの召命で、エホバは名乗る、「私はあなたの父なる神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。私は有るように有る者」。天地創造からモーセへの介入。神の恵みなのか理解は難しい。ユダヤ十二部族の戦いの歴史と預言者の物語。
2.15その心に記されている。律法をまだ一度も聞いたことがない人でも、何が正しくて何が間違いかを、心は理解している。パウロは言う、心は内側の本当の自己、考えや意志が出て来る場所だと当時の人々は考えた。3.9正しい者は一人もいない。まあこれはびっくり。11.悟る者はいない。神を探し求める者もいない。善を行う者もいない。彼らは舌で人を欺き、その唇には蝮の毒がある。彼らのその原因は18.彼らの目には神への畏れがない。まあ一般的なことで畏敬の念のことでしょう。彼らとは律法者のことで、本当の義は神の恵みによると。
7.25「心では神の律法に仕えていますが」、肉では罪の法則に仕えている。自己中心的な欲望は、罪に向かわせる。9.1わたしの良心。心は内側の本当の自己、考えや意志が出て来る場所。聖霊が彼の良心に語りかけ、心の最も深い所の思考や願望を形成する教師として役割を果たす。9.14神に不義があるのか。15神はモーセに言う、「私は自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」。16これは人の意志や努力ではなく、神の憐れみによる。次は神の怒りと憐れみ。神の御心に逆らう者には怒りを、信じる者には憐れみを注ぐ。
二人がヨルダン川に出た時、エリヤは外套を脱いでその水をうつと、水は左右に別れた。その上を渡り終えると、エリヤはエリシャの願いを聞く。エリシャはあなたの霊の二つ分を下さいと言う。エリヤの答えは、わたしがあなたのもとから取り去られのを見たら、願いはかなえられると言う。すると火の馬車とそれを引く火の馬が天から降りエリアをその馬車に乗せて、天に上って行った。これでエリシャはエリヤの二倍の霊力を持った。やがてエリシャもエリヤもらった外套で川の水をたたくと水は二つに別れた。 それからエリシャは奇跡を起こす。
シドンのやもめに会ったエリヤはパンを一切れ下さいと頼む。だがやもめの壺には一握りの粉と瓶に油が少しあるだけ。エリアは小さいパン菓子を作って私に下さいと言う。更に主の仰せで言う、「雨を降らせる日まで、壺の粉は尽きず、瓶の油もなくなることはない」。やもめはエリヤの言葉どおりにした。エリヤもやもめも何日もそれを食べた。主の仰せのとおり、壺の粉は尽きず、瓶の油も尽きなかった。アハブの宮廷長オドバヤにエリヤはここにいると主人に言いなさい。エリヤはアハブのバールの預言者八百五十人をカルメル山の彼のもとに集めよと言う。
バアルの預言者たちは四百五十人もいる。彼らは一頭の雄牛をばらばらに切り薪の上に載せた。エリアも雄牛を同じように薪の上に載せた。両方ともまだ火はついていない。エリアは私たちの神、主の名を呼ぶ。火をもって応える神。またバールの預言者たちも彼らの習慣に従い火がつくように大声で叫んだ。だが火は付かない。エリアはイスラエルの神に祈り火のつく答えを出してくれと言う。やがてエリアの薪に火が付いた。主の火が下り献げものと薪を焼き尽くす。民はそれを見てひれ伏した。エリアはバールの預言者たちを捕らえと命じ、川で彼らを殺した。
さて、内村鑑三さんの「ヨブ記講演」の参考があったから多少は読めたが、旧約聖書の記録は文学作品であるから多様な解釈が可能である。真意の追求はなかなか難しい。内村鑑三さんの理解では、義人ヨブの悲惨な体験は厳しい試練だな。神を怨むヨブの気持ちも分かる。三人の友人の言う罪の結果か因果応報なのか、なかなか分からない。ヨブは神と話し合いたいと思う。それが出来るのはスウェーデンボルグの霊界通信で死後の霊界を知ることも必要だろう。内村鑑三さんはおそらく知っていたのだろう。エホバの答えも見神体験と天使の手引きがあるのだろ。
岳飛伝をコメントするつもりで書いた。今思うと水滸伝の続きが岳飛伝だから描き方は同じかな。でも気になってこの水滸伝も読んでみる。北方謙三さんは三国志も書いている。まあ三国志に飽きたらな人は水滸伝を読むのかな。さすがに北方謙三さんの水滸伝は登場人物ひとり一人の内面、生き方を丁寧に描いてさすがだな。最初は乱暴者の武松の話。彼は一度は故郷を捨て放浪し、宋江や魯智深に出会う。梁山泊の高い志に会い少しずつ感化される。ふと故郷に戻ってみたくなる。故郷で彼は兄と兄嫁金蓮に歓迎される。しかし金蓮への慕情は深くやるせない。
宵待草さんありがとうございます。悪いカゼで立てないことあり、健康が何処まで続くか少し自信がなくなりました。頭がすっきりする散歩で歩けるのはせいぜい八十代前半までかな。どうなるか後は所詮運任せかな。大陸的な北方謙三の語りは妙に嬉しいです。それは三国史や水滸伝の好きな私の世代であります。
高校時代より、読書が始まりました。最初に感動したのヘルマン・ヘッセの作品でした。最初に読んだのは、「郷愁」でした。最初は文学、しだいに歴史、考古学、プラトンの作品とか、スウェデンボルグとか、ギリシャ神話、インド神話、ジュセフ・キァンベルの作品、ユング心理学の作品、ルドルフ・シュタイナーの作品、聖書、バガヴァット・ギーターとか、UFOの小説・実録、などなど様々です。頭を柔軟にして、グノーシスとかナグハマディ文書とか最近の新しい発見とか、古代の見解と最新の見解を比較・検討してみたいのです。また最近の潮流のレイチェル・カーソンから始まったエコロジー運動、水や森林や土壌や微生物学の発展も興味深いものです。七十歳を過ぎて、アリストテレスやカントを知り、その博学さに感銘を受けた。ともに「形而上学」に大変に驚かされました。それまでプラトンにも飽き気味でした。ゲーテもとても好きになりました。こんな近況です。
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ナベツネさんは強引だった。生前葬までやったと。自己顕示欲が深かいのか。アンポンマンはホリエモンのことか。「稼いで悪いか!」のサイン会とか何かと話題になった。IT長者とか一時は企業買収で名をはせた。プロ野球チームの買収まで。そんな彼は突然ひらかなが書けなくなり、伊良部病院の神経科で伊良部と相談。そんなことがあるのかと引き込まれる。まずは看護婦のマユミの注射を受ける。胸の谷間に視線が吸い寄せられる。ひらがなを思い出せないのは若年性アルツハイマーだと伊良部は言う。本当のことなのか?次のカリスマ稼業は女優の悩み。