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後半の方で、旦那が言っていた「なんで国のために働いて子孫を残さないといけないんだ」みたいなくだりの話は、最近考えさせられるような本を読んだり、「1984」を読んだ時に思ったような、「全体主義的」な自分のためじゃなく社会の1部みたいな部分なのかな、と思ったりした。今は、昔よりも結婚のこととか子供のこととか、いろんな面で選択肢があるはずだから自分の納得して生きていける道を選べたらいいなと思う。ただ、最近よく思うけど、極端に偏りすぎるのはよくないよね。合理性を求めすぎて他人に危害を加えるのは違うと思うし。
自分たちの中で完結することなら好きにやって、って思うけれど。これをうまく中間に持っていけるといいんだろうな。でもそれが難しいから、お互いが干渉してしまうことで「悲劇」と言われることが起きるんだろうな
思った。『 現実』であってほしいあまりに、いろいろ試すような言葉をかけては恋人の反応を見ているが、そんなやり取りにも私は悲しく、切なく、苦しくなって、主人公を抱きしめてあげたい気持ちになった。幸せの象徴だった、大好きなウエハースで作る椅子。でもそれはとても脆くて、まるで、この主人公のようで、2人の恋愛のようでもある。
とことん、自分がどう考えているのか話す、聞く。時には私みたいに過激な言葉が飛ぶこともあるのかもしれないけど、でも突き詰めて話す以外はないと思った。親子といえど所詮は他人で、同じ考えを持っているとは限らないよね。結局はそういうことなんだろう。
にしても、他の本を読んでいても思うが、母と娘という独特の世界観というか関係性ってなんなのだろう。気になる。社会学の研究とかでなんかないかな…
いられるというか。だから、p224を読んで、教員だった時の自分はまさしくこれに当てはまっていて、「異常さ」に気づけていなかった。だから、バカみたいに忙しく働いている人の中には、他に考える余裕がなくて異常に気がつけなかったり、何かをおろそかにしていることがいくつかあって、そうすることで考えさせないことでいいように使われている可能性もあるな、と思った。一種の洗脳のような。自分の気づかないところでそう操作されているとしたら…?それほど馬鹿げていて、愚かなことは許せない。
だから、私は、そんな虫人間みたいに、思考させないような状況を生み出す社会はあってはならないと思う。それは、つまり最初に述べたような人権などないということの表れで、人を社会のために存在しているコマとしてしかみていないと感じるからだ。
これだから、本を読むのはやめられない。なにか本を読む度に、私の興味が広がっている。この作中にもあったように、「好き」が新たな「好き」を連れてきてくれている。そう考えると好きな「人」もそうだなあ。好きな友達や恋人から新しい「好き」を連れてきてもらっていたな。そうやって私が広がっていくというか、構築されていって、幸せに満たされるものが増えていってるなあ
というと、"No"だけど、だいちまると一緒なら自分が選ぶ以外の選択があって、そして心強い気持ちになって勇気が出て、思いきり楽しめるだろうと思った。つまり、2人で行けば2倍楽しめると思った。だから、逸佳と礼那の2人もひとりじゃダメだったんだと思う。2人で続けることに意味があった。だから礼那は『約束』にこだわったし、家を思い出さないようにして、『帰りたい』と思ってしまうことを怖いと思ったのだろう。
あることを思い出してしまった。楽しい時間を過ごしているのに、別れの時間を意識してテンションが下がってしまうみたいな。きっとクリスといた時の逸佳はとても満たされていて、逸佳にとってクリスは自分の完全体を引き出してくれる人だったんだなあって思った。
あと、元教員として思うのは、深く、あらゆる立場(多面的、多画的)に考えることが大切だということを改めて感じる。先ほど述べたような背景があるなら尚更、道徳教育は必要だと思う。でも、1つの物語(価値項目、題材)に対しての時間が圧倒的に足りないと思う。だから、長ったらしい文章とかじゃなく映像にするとか工夫が必要で(題材の提示に)、考える時間、共有する時間が圧倒的に必要で、足りないと思った。ただ、そこを豊かにするために題材の理解が必要なのも事実で、それに時間がかかってしまうんだよな。だからもう、この本みたいに↓
「⚪︎⚪︎について考える」って言ってしまって、イメージしやすいように「こんな場面なら?」とか、意見共有を豊かにするためのヒントとして与えるのがいいと思う。そう考えると、こんなこと言ってはいけないかもしれないけど道徳の教科書は邪魔だったな。しかも教科書の内容じゃないと通知表の所見書いちゃダメとかあったし。ちょっと方向性考えた方がいいと思う
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後半の方で、旦那が言っていた「なんで国のために働いて子孫を残さないといけないんだ」みたいなくだりの話は、最近考えさせられるような本を読んだり、「1984」を読んだ時に思ったような、「全体主義的」な自分のためじゃなく社会の1部みたいな部分なのかな、と思ったりした。今は、昔よりも結婚のこととか子供のこととか、いろんな面で選択肢があるはずだから自分の納得して生きていける道を選べたらいいなと思う。ただ、最近よく思うけど、極端に偏りすぎるのはよくないよね。合理性を求めすぎて他人に危害を加えるのは違うと思うし。
自分たちの中で完結することなら好きにやって、って思うけれど。これをうまく中間に持っていけるといいんだろうな。でもそれが難しいから、お互いが干渉してしまうことで「悲劇」と言われることが起きるんだろうな