ココナッツオイル、ローズマリーあたりも、普段の食事に取り入れられそうだ。増補改訂版の本書は、改訂前と出版元が違うと思ったら、マキノ出版、潰れていたのか。本書の末尾で「精神疾患や発達障害も、この治療で改善した」とか謳われていることが、若干のトンデモ感をかもし出してしまっているが。標準的な西洋身体医学や東洋医学、あるいは心理療法的アプローチでは改善しない不定愁訴の代替医療として、とりあえず自己責任で試してみる分には、構わないのではないか。治療というよりは、QOLの改善を期待して……程度の気持ちで。
腸カンジダ症については、この読書メーターで、誰かがどこかに登録していた本書を見かけて、心をひかれなかったら、知ることがなかった。不定愁訴に関する代替医療系の情報収集は、ほとんど全くしていなかったので(私は、自身の不定愁訴は心因に因るところが大きいと、理解していたからだ)。もし、この除菌治療で不定愁訴が改善したら、この場には感謝してもし足りないぐらいだろう。
> zero1さん ナイスとコメント、ありがとうございました。自主夜間中学には、本当に学びたい方が集っているようですね。近年はインターネットの発展等により、学びたいという人が学べる機会、昔よりも増えている気がします。それでも、対面で教師や学友とふれあう場の必要性は、失われていないと思います。選んだ扉を開いて入った場で出会った人の導きにより、次のステップに進めたら、理想的です。私は、取れずじまいだった博士号の取得を目指していますが。その前に、他分野での学士論文を書くべく、放送大学に学士入学する予定です。
養護教諭が語る「自分を救おうとしている人間しか、わたしは手助けできない」(p.112)ということ。重いけれど真実なのだと、多少なりとも心理臨床に関わったことがあるから、よくわかる。救急救命の現場で言われるトリアージ。それは、心に由来する問題を抱えた人にも、実は当てはまる。「わたしにはすべての生徒は救えない。だったら、誰が救えて、誰が救えないのか」「救急救命の現場で散々目にしてきたトリアージを、結局ここでもやってるの。救急よりきついのは、どれだけ経験を積んでも、正解がまるでわからないってこと」(p.111)
私の母が、胃悪性リンパ腫になった際、割とスムーズに寛解したのは、抗がん剤治療の副作用はほとんどなく、食欲低下もなく、何でもモリモリ食べられたからなのだと思った。60歳を過ぎると、筋力低下、フレイル予防のため、「タンパク質を摂れー、摂れー」と高唱されるが、そういう画一的な栄養指導は、あまりよろしくないと再確認した。栄養指導は、その人の状況をよく知って、個別的になされなければ。
本書では、薬に限らず何事にも「やめどき」が大事だと語られている。一度始めたことは一生続けるのがよいことであるとか、何でもコツコツと真面目に続けるのが美徳であり、途中でやめるのはよくない、という思い込みが日本人にはあるが、それは違うのではないか、というのだ。「やめどきを過ぎても、漫然と続けているからこそ、かえって人生は苦しく辛いものになる」(プロローグ、ページ打ちなし)。確かにそうだと思った。私自身、最近幾つか、思い切ってやめたことがあるが、つくづくと「やめてよかった」と感じている。やめどきを間違えるな!
また、血糖値コントロールに関する基準が緩和され、高齢者のHA1cは、7%台でも問題ないどころか、場合によってはその辺の値が理想的ということになった、という知識を得られたのも有意義だった。うちの母は7%台で、90代の高齢者ゆえ治療はしないが、食べ物には気をつけろ……と言われていたので。さほど目くじらを立てなくてもよいとわかったのは、安心材料だ。母の食事には、他に気をつけることが多いので。
少女マンガ・少年マンガ・青年マンガを扱っているため、やや散漫な印象がある。少年マンガと少女マンガでは、ルッキズムや恋愛のあり方は、様相が異なるだろう。『ブサイク女子…』のように、論じる対象を絞った方が、より深い考察ができたのではないか。それでも「マンガという大衆的なメディアにおいて、メガネキャラとデブキャラがどのように描かれてきたか。それが社会とどのように関係してきたか」(p.5)が端的にまとめられており、「令和の日本においてはメガネもデブも昔ほどネガティブな印象はない」(p.297)ことが示されている。
自分の本名つながりで、昨年ようやく読んだ『花岡ちゃん…』。この作品の主人公は、少女マンガにおけるメガネ女子として、とても画期的であり、男性読者にも人気の出たキャラとして、特筆すべき存在のようだ。/本書はあくまでも「漫画史」であって、「アニメ史」ではなかった。アニメのなかのメガネキャラ・デブキャラだと、また少し様子が違ってくる。「メガネとデブキャラのアニメ史」もまた、別に書かれなければならないかもしれない。
ところで。古書の状態評価が「可」ゆえにかなり安くなっていた(税込2010円→608円❲プラス送料257円❳)ものを買ったのだから、仕方がないと言ってしまえばそれまでなのだが。本のあちこちに、ボールペンや蛍光ペンで書き込みがなされていた。書き込みのある品は、たとえ「可」としても売りに出さない古書店もあるそうだが。その辺の基準は、まちまちのようだ。
共読などで知った他ユーザーの自己紹介文は、割とよく見ます。
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> zero1さん ナイスとコメント、ありがとうございました。自主夜間中学には、本当に学びたい方が集っているようですね。近年はインターネットの発展等により、学びたいという人が学べる機会、昔よりも増えている気がします。それでも、対面で教師や学友とふれあう場の必要性は、失われていないと思います。選んだ扉を開いて入った場で出会った人の導きにより、次のステップに進めたら、理想的です。私は、取れずじまいだった博士号の取得を目指していますが。その前に、他分野での学士論文を書くべく、放送大学に学士入学する予定です。
養護教諭が語る「自分を救おうとしている人間しか、わたしは手助けできない」(p.112)ということ。重いけれど真実なのだと、多少なりとも心理臨床に関わったことがあるから、よくわかる。救急救命の現場で言われるトリアージ。それは、心に由来する問題を抱えた人にも、実は当てはまる。「わたしにはすべての生徒は救えない。だったら、誰が救えて、誰が救えないのか」「救急救命の現場で散々目にしてきたトリアージを、結局ここでもやってるの。救急よりきついのは、どれだけ経験を積んでも、正解がまるでわからないってこと」(p.111)