もう一つ。仕えている相手に対してではなく、自分に忠誠を誓っている、というあり方。これって、セラピーの世界においても、とても大事なことだよなと思った。そして、『サムライトルーパー』において「忠」の徳の戦士が、現在仕えている相手(悪の帝王)にではなく、正義を求める自分の心に忠実に行動したことなどを、思い出した。
この世の中に絶対などというものは存在しないが、それでもあえて「絶対」という語を使う。「私は絶対に、介護殺人はしない」と語ってみせた。つまり、そうでもしなければ、そうしてしまう危険があるということを、示していたにもかかわらず。通りすがりの他人ならともかく、ブログの常連読者というよりは既に、個人的な交流のある友人と認識していた相手でさえ、「ビックリしてしまって」そんな反応をしてしまったという。普段から、恩を返すの、役に立ちたいの、助けになりたいのなどと言っておきながら。イザとなったら、そんなものでしかない。
「ネットの向こうにいる読者などという、アテにならない存在に何かを期待することは止めにして、もっと有効な対策をとろう」と、いい意味で見切りをつけるためには、あの体験も役には立ったかもしれないが。
用法の変化は、用途が広がる─本来は悪い意味のみに使っていたのに、よい意味にも使うようになる、というように─というケースが多いわけだが。「手を染める」に関しては、用途を狭める(悪い意味のみに使う)ように変化してきているというのが、興味深かった。
「これだけをやっていても、ほとんど意味がない=対症療法的な効果はあるかもしれないが、根本的な治療効果はないに等しい」対策と、「これをやらなかったら、根本的な治癒はかなり困難(もちろん、これをやらなくても治る人も、いることはいるから、絶対に必要とまでは言えない。だが、やらないと治るのが難しいことは確か)」なことが、一見等価に、並列的に示されてしまっている。そのことに関して、「いいのか? これで」と、老婆心が起こってしまうのである。
ただ、うつの治療法としてではなく、ストレスコーピングの技法一覧として見るならば、このマッピングはかなり有益だと思う。個々人が、自分なりのマップを作成して活用すればよい。また、例えば私自身が、身体症状症(いわゆる広義の自律神経失調症を含む)への数々の対処技法を、このようにマッピングして発信するというあり方は、十分にアリだと思った。
この場は、既に文庫版等が出ている書籍の単行本版は、登録できないことが多い。このサービスの性質上、わからなくはない仕様だが、ちょっと不親切だと感じる。無料で使わせてもらっている以上、贅沢言うな……であるのかもしれないが。
もう一つ。仕えている相手に対してではなく、自分に忠誠を誓っている、というあり方。これって、セラピーの世界においても、とても大事なことだよなと思った。そして、『サムライトルーパー』において「忠」の徳の戦士が、現在仕えている相手(悪の帝王)にではなく、正義を求める自分の心に忠実に行動したことなどを、思い出した。
基本的には家族論でありながら、最終的には、「創作者は、どのような作品を世に送り出すべきか?」という創作論で締めくくられている。「アニメとは『公』のもの」(p.190)、「クリエイターを名乗る人なら、公の場に『病気』を垂れ流さないでほしい」(p.193)。そして出てくるのが「時代が求める物語を」(p.222)ということ。それは、「流行に則ったり、観客の欲望に応える物語という意味ではない」(p.223)。「時には、時代に対して反語の姿勢をとることも、時代の求めている物語を提供することとなる」(同)。
『Ζ』の劇場版があのようになったのは、正にこの理念によるものなのだろう。自分が描きたいこと、自分の好きなことを垂れ流すのではなく、観客の望みに迎合するのでもなく、商業第一主義でもなく。これらの微妙なバランスを成立させるために必要なのが、「時代が求める物語」というキーワードだという。そうした、時代が求める物語を見極めるためには、様々な勉強や思考の鍛錬が必要になる。氏がよく「アニメだけ見ていては駄目だ」と言うのは、これに由来するだろう。あと、あちこちに出てくる「『家族』とは修業の場」という語が印象的だった。
「『母親を殺してしまうかもしれない』という主訴」のクライアントに関し、常識による説教は全く無意味であるとして、「常識では人は救われません」(p.68)。これは本当にその通り。よくぞ言ってくれたと思う。「親を殺したい」でも、「殺してしまいそうだ」でもなく。ただ、「殺してしまいそうならば、そうなる前に施設に入れるのが、双方のためになる」と語ることすら、受け入れてもらえないのが、この世の中というものであるのだから。前々から、「(今にも、そうしてしまいそうなのだが、でも、)介護殺人だけは、絶対にしないと誓う」と、
言っていたというのに。受け手に伝わっていたのは、「介護殺人は、絶対にしないと誓う」という、誓いの部分のみだった。「今にも殺してしまいそうだ。それ程までに追い詰められた、ギリギリの所にいる。けれども」という前提の部分は、少しも伝わってはいなかったのだ。だからこそ、「殺してしまう前に……」と語れば、「親を殺すなんて、何ということを言い出すんだ」という反応になってしまう。「いや、だって、私は。前々から。『介護殺人をしてしまいそうだけど、絶対にしないと誓う』と、言っているでしょう。なのに、何を今更、驚くわけ?」
私はあくまでも、日本のアニメで語られるような物語が好きなのであって、動きそのものは、どうでもいいのだ。そうした意味で。ブートキャンプのディレクターが、今の若い人たちは、ちゃんと動かすよりは「綺麗な止まった絵で勝負したいという人が増えている」(p.172)と、否定的なニュアンスで述べているのに対し、外国人のアニメーターが「それは悪いことでしょうか。綺麗な絵やあまり動かないアニメーションであっても、ストーリーが伝わるならそれでいいのではないかと思います」(同)と応えているのに、思わず同意してしまった。
私自身は自力更生が可能ゆえ、業者に片づけを頼むことはないが、「悪質業者を見分けるコツ」は、ためになると思う。著者が同行した会社は、えらく良心的な感じだが、そうした業者ばかりではないだろうから。我が家も、一時期は本当に、ものすごい状態であったわけだが。上には上がいるというか、病理がより重く、深刻な状況の人はたくさんいるのだと痛感した。治療や援助の手法については、あまり突っ込んだ記述はなされていないが、一般書としては、この程度が限界なのだろう。当人が救いを求めないケースは、本当に対応が困難であるだろうから。
より具体的なセルフマネジメントの技法は、人によって向き不向きがあるという。「ある人にとってとても効果的なセルフマネジメントの方法であっても、他の人にも同じように効果的かどうかはわからないのです。/自分に合ったセルフマネジメントの方法を探すことが大切です」(p.138)。それはそうだろう。本書はあくまでも基本的な原則、理論を教えるものであろう。理論の具体的な適用法は、自分の行動を分析し、工夫して、自身で探し出していくしかない。そうした意味では、安易に答えだけを求めるような人には、向かない本かもしれない。
共読などで知った他ユーザーの自己紹介文は、割とよく見ます。
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