自分で考える人は、まず自説を立てて、あとから権威筋・文献で学ぶわけだ。それは自説を強化し補強するためにすぎない。しかし博覧強記の愛書家は文献から出発し、本から拾い集めた他人の意見を用いて、全体を構成する。(p13)著者を「飾り気がない」と言ったら、それはほめ言葉だ。その著者はおそれることなく、あるがままの自分を見せている、ということを意味する。概して自然で飾らないものは人を惹きつけ、これに対して何事も、不自然な気取りは、思わず人をしりごみさせる。
→また真の思想家はみな、思想をできる限り純粋に、明快に、簡明確実に表現しよう と努める。したがってシンプルであることは、いつの時代も真理の特徴であるばかりでなく、天才の特徴でもあった。似非思想家のように、思想を文体で美々しく飾り立てるのではなく、思想が文体に美をさずけるのだ。なにしろ文体は思想の影絵にすぎないのだから。不明瞭な文章や当を得ない文章になるのは、考えがぽんやりしている、もしくは混乱しているからだ。(p65)
ハドリアヌスは、小アジアを旅していたときに出会った美少年アンティノウスに目を止めた。アンティノウスの死後、ハドリアヌスは帝国中に彼の石像を立て、評判を落とした。(p76)
第五話では第二次ユダヤ戦争(131~135)が描かれていた。ローマ帝国のもとでイェルサレムは再び破壊され、ユダヤ人の多くは地中海各地に離散(ディアスポラ)した。一方で、戦いはパレスチナ全土に広がり、一時はユダヤ人がイェルサレムを占領して、神殿を復興し、ローマからの解放を記念して貨幣の鋳造も行った。これらのことは、ローマの衰退の始まりを示すものでもあった。
「ここで言えるのは、「利他は偶然への認識によって生まれる」ということです。私の存在の偶然性を見つめることで、私たちは「その人であった可能性」へと開かれます。そして、そのことこそが、過剰な自己責任論を鎮め、社会的再配分に積極的な姿勢を生み出します。(中島岳志「思いかけず利他」)( P217)」
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