
10億円のアート作品には、10億の「使用価値」はなく、購入できる身分を誇示するための顕示的消費となる。このようなような欲望は観念的なもので実体がなく、満たされることがないので際限がない。欲望の追求を繰り返してしまう原因を、ラカンは「欠如」という概念で説明した。「欠如」は決して埋まることがなく、その代償として目先の欲望に振り回されてしまうのかもしれないと思った。
理系のツールは数学だが、人文系のツールは構造主義だと聞いたことがある。定量ではなく定性なので根拠のない疑似科学という批判もあるそうだが、自分が納得すればそれでいいと思う。論理的にハマっているので納得してしまうところがある。
解説で三浦朱門と高橋健二の対談があり、こちらもとても面白く、ドイツでは人の成長を描いた教養小説の名作かあるらしい。ゲーテ「詩と真実」、ヘッセ「車輪の下」など。「人生の門出に立った若い人たちは、青春や人生は一回限りだしどう生きたらいいかで迷う」とあったが、私は全く考えていなかった。そもそもどんな選択肢があるのかも知らなかったから漫然と進学や就職や恋愛をし今に至る感じだが、そういうものなのだろうか…。
森鴎外「山椒太夫」の精神分析的論考も素晴らしかった。最近読んで印象に残っていたのだが、登場人物の親子関係から生じる親と子それぞれの心理傾向が見事に描写されているようだ。なお、森鴎外はフロイトの本を読んでいたらしい。
人はなぜ記号を求めるのか、承認欲求や自我実現欲求を埋めるためだろうか。しかしそれは物理的実体のないフィクション(虚像)である。金メダルを取ってもまだ実感が湧かないとコメントするアスリートもいることだし…。本書では人生の基盤になるようなものを持つことを推奨されている。O.ヘンリの言葉を借りれば、「人生を通して考える値打ちがあるものを持つ」などがそうなのかもしれない。
主に哲学や精神分析、社会学に興味があり、人間や社会について深堀りしています。
知らないと不安、知っても不安、そのジレンマを読書を通して感じ続けています。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます