形式:単行本(ソフトカバー)
出版社:花伝社
形式:Kindle版
能力社会で生きる我々が感じる疲労・疲弊は、我々から活力を奪い、ギスギスした人間関係をもたらす。それに対して、遊び疲れるときに感じるような疲労は、友人とのつながりをもたらすような疲労である。労働のように、一定も目的のために自分を疲弊、疲労させるのではなく、何の目的もなく無為に過ごすこと、遊ぶことによる疲れこそが現代人に必要なものらしい。
フーコーにおいては否定性はどちらかと言えば規律権力ではなく主権権力に結びついていると思うのだが、そうした点はさておき、アガンベンを批判的に活用している点や、一般に「新自由主義的統治」などと批判されるものを、後期近代に特有の現象と見定め、批判していく手つきは非常に面白い。たしかに、現代は「できる」ということを証明し続けることを要求されているし、それに失敗すれば「無能」の烙印を押され、「廃棄」されてしまう。
現代が「鬱の時代」であるという断定はマーク・フィッシャー、與那覇潤と近い。「疲労」を多様な意味からくみ取るところが違う。
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