読書メーター KADOKAWA Group

感想・レビュー
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いろはほへと
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ネタバレ免疫学的な否定の社会から、境界が曖昧な肯定の社会へ。このような能力社会では、自分が自分を鞭打って、労働する動物になる。行き過ぎると、うつ病や燃え尽き症候群になる。うつ病が他者を介さない病というのは、ストレス脳という本で、孤独がうつ病リスクを上げるという話と関連するのかなと感じた。
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nakaym
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必要なのは、飽き飽き疲れ、だった!目まぐるしい変化の時代は、誰も止めてくれないから、気づかず自分を搾取してる。自由のために働いているのに、本末転倒甚だしい!ので、自分を蝕まない程度に頑張って、あとは頭をほげっと、「疲れちゃうくらい飽きる時間」を過ごす。やりたいこともやらなきゃいけないこともたくさんあるけど、たとえば電車の時間くらいはなにも入れず、飽き飽き疲れを味わうのも良いかもしれない。
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kinpica
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日々働き疲れる日常の中で、何らかの解決の糸口が見つかるかと思い、購入。正直なところ、自分には難しすぎた印象。著者は21世紀は否定性ではなく(過剰な)肯定性の時代と言う。過剰な肯定性が鬱や燃え尽き症に繋がるのだと。まだ社会は否定で溢れているではないかと思いつつも、過剰な肯定性に疲れる場面も思い当たる節はある。もう少し勉強して、再度挑戦してみたい本。
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ちくわ
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規制によって強制する社会から、自由な現代社会になったものの、自由になった現代は自分で自分を強制するようになってしまった。言っていることはシンプルでしたが、そこに気付くか気付かないかが、自分の身体や人生を守るための重要なポイントだと感じました。際限のない目標や計画といったプロジェクトに覆い尽くされた生活の中から、いかに、生き生きとした「今」を確保できるか。そのためには、やはりいったん立ち止まることが重要でしょうか。(☆5)
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スナフキン
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高名な哲学者や文学者の著作を援用したり、批判的に検証したりしながら、現代社会に特有の疲労について論じている。半分も分からなかったが、久しぶりに知的好奇心を刺激された。もっと哲学書を読もうと思った。
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でん
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自分の能力を、時間を最大限に有効活用しなければならないと、ある種強迫観念のように感じているところもあるが、それこそが自らを追い込み「心の梗塞」を生み出している、どこまで行っても理想とした自我に辿り着くことはなく、永遠に自分に追い立てられるだけなので、「できるけれどもしない」という勇気ある決断をし、退屈を楽しむ能力こそが必要、というような内容。ただできるからと自動的に何かをするのではなく、本当にしたいことを熟考の上取捨選択してするべきなのだろう。
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PSオットット
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文章は比較的少なめですが、現代人が置かれている状況がよくわかりました。ラカンが言うところの「大文字の他者」からの押し付けにより、現代を生きる主体の息苦しさが描かれています。能力の発揮を促されると同時に、行き過ぎた管理社会やホワイト化による規律の強化の狭間で疲弊している。 小さなゴールというか満足が所々にあれば良いが、遠いゴールに向かって走り続けねばならないと思い始めると、身も心も燃え尽きてバーンアウトになるのかもしれない。
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コジターレ
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僕たちは、立ち止まること、余白や無駄を味わうこと、何もしないこと、ぼーっとすること、一人で思索する時間を持つことなどを軽んじるようになってしまった。いや、できなくなったと言っても過言ではない。また、自由を得たはずなのに、その自由の奴隷になってしまっているとも言える。「無為」という自由な時間に不安を覚えるようになってしまったのだ。本書はそんな社会をいくつかの切り口で分析している。日々の生活の中で「何もしないことの価値」を見つめ直し、意識的にその時間を持ちたい。それが本来的には人間の進化の形なのだから。
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mikio
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新自由主義が体現する「能力社会」において、人々は自らの能力を絶えず発揮し、成果を求めて活動し続けなければならない。他者からの強制ではなく自由によって、自分自身と競争を続け、自分自身から搾取を続けることにより疲弊し精神疾患を患う。「能力社会」とは「疲労社会」にほかならないと著者は語る。この問題は格差社会にもつながるところがあると思うが、能力社会そして自由な社会とは、個への責任が増すということだから、イコール幸福感となるかは難しいところだ。難しい。
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蒼空
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ネタバレ何が書いてあるのかよくわからなかったが、うつ病や肯定の過剰の時代という解釈は納得がいった。世代を表す病気としていえば、現代は免疫学ではなく、うつ病やADHD、燃え尽き症などの精神病の時代である、「肯定」の過剰が引き起こすこの病理は、他者と自己という相対関係ではなく、自己内部の自分から自分に対する搾取が根底にある。自分が自分を攻撃し続け、そこには規制もなく、社会全体は疲弊していく。
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茶幸才斎
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現代人の精神の病は、義務やルールに従順であることを求められる「すべき」「すべからず」という否定性の抑圧によってではなく、主体性や自主性を過度に期待され自由に「できる」「選べる」という肯定性の過剰・飽和の中で、自ら己の自発的意思の奴隷となり能力を搾取されていること、すなわち「しないでいることができない」という無能力によってもたらされる疲弊に起因する、と云っている本。いや、義務じゃないんだけど、持ってるとこれできたり、あれ代わりに使えたり、てかもうすぐあれ廃止されるし、是非どうぞ。いろいろ疲れる世の中である。
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chang-3
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規律社会は否定性の社会。そこでは禁止や命令や規則といった否定性の規律に従っているだけで足りる。これに対し、能力社会は肯定性の社会。そこで人々は際限のない競争に巻き込まれ、過剰な刺激や情報に即答することが求められる。そこでは深い観想的な生活など望むべくもない。刺激に即答せずじっくり見て考え、対象を味わう観想を大切にする。無為によって自分に対する主権を回復する。自己搾取的な能力社会のペースに巻き込まれない。うつ病や燃え尽き症候群は能力社会の宿痾。現代社会の病巣を哲学的文脈を交えてえぐり出す興味深い試み。
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huyukawa
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社会や世界を疲労の視点から説明しているように見える。しかし、この手の議論は社会や世界すべてを説明しようとするので、現実と齟齬があるように読める。 自閉症やドーピングなど明らかに現実とは異なることが書かれている。もしかしたら、著者の考える精神疾患は医学的な用語ではないのかもしれない。何度も出てくる心の梗塞も、説明がないので理解ができない。 おそらくは雰囲気で読む本ではないのだろうけれども。用語の説明がされている解説書がないのだろうか。それとも訳の問題だろうか。
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本を読む日々
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「なぜ働いていると~」「燃え尽きてしまうのか?」からのつながりで三冊め。哲学者によるエッセイのような感じだったが、前2冊があったためすんなりと入り込めた。本書は各章が連続してるというよりも疲労社会をいろんな形で表現しているようで、フーコーやアレントなどを踏まえ、20世紀が前提とした規律管理社会から能力社会への移行をしている現状を論じている。以前の社会では「否定」、そして能力社会では「過剰な肯定」があり、それが自己搾取を生んでいるという。そして自己搾取をする人間は、自分が自由だと感じている、、、。
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Hiroaki  Taira
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現代人の疲労の本質を鋭く分析する一冊。近代は規律社会であり禁止、命令、規則の中で人々を社会に従順な主体へと仕立てたが、現代のネオリベラリズムは規制緩和のもと規制を撤廃し、人々は能力を発揮する主体となる能力社会へと移行した。然し乍ら、現実の私達は絶えず能力を発揮し成果を求めて活動しなければならないというプレッシャーに苛まれ、他者からの強制ではなく、自分自身と競争し続け、自分自身から搾取を続けている。人々は終わりのない自己搾取の中で疲労し、燃え尽き、時に鬱病と言う精神疾患を発症するのだ。
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午後
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ハントケからの引用部分で泣いた
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ichigomonogatari
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現代の能力社会で人は能力の発揮と成果を絶え間なく求められる存在だ。生産性を最大化する努力が社会的無意識に内在しており、主体性が重んじられる中で人は「自発的に」自ら自分の能力を発揮し成果を最大化するという「自由な強制」の中にあり、そのプレッシャーで深く疲弊していく。これを著者は「疲労社会」と呼ぶ。対して、「なにもしないこと」は創造性や和解をもたらし人を能力主義から解き放す可能性を持っている、と、著者は「なにもしない」ことの可能性を探る。確かにその通りだと共感する点は多かった。が、読みにくかった!
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Nao WOLF
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現代社会は、フーコーが論じた「規律社会」ではなく、「能力社会」として特徴づけられる。規律社会では、「~すべし」「~すべからず」といった命令と禁止(他者による強制)によって、逸脱せずに、普通であること、みんなと同じであることが求められた。能力社会では、「~できる」ということが重要になる。現代社会は我々に逸脱しないことだけを求めるのではなく、一定の目的を達成するために有用な技能をもっていることを求める。社会の要求に応えるために、あるいは理想の自分になるために、我々は努力に努力を重ねてた果てに、疲弊してしまう。
Nao WOLF

能力社会で生きる我々が感じる疲労・疲弊は、我々から活力を奪い、ギスギスした人間関係をもたらす。それに対して、遊び疲れるときに感じるような疲労は、友人とのつながりをもたらすような疲労である。労働のように、一定も目的のために自分を疲弊、疲労させるのではなく、何の目的もなく無為に過ごすこと、遊ぶことによる疲れこそが現代人に必要なものらしい。

06/12 20:03
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Mealla0v0
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現代社会からは異質性や否定性は消え去り、同質的なものが増大し、肯定性の過剰になっている。否定性は自他の境界を堅持し、他性を排除する。肯定性は境界を融解させ、他性を包摂し同質化させ、精神的暴力を生じさせる。こうした変化は、規律社会から能力社会への変化に対応する。能力社会とは、「~してはならない」という禁止・命令・規則に代わって、「できる」という制限や限界を突破する能動性、自発性・動機付けを基本原理とする社会である。後期近代はこの能力を発揮し続けることを要求する。大変疲れる社会だ。これに失敗すると鬱となる。
Mealla0v0

フーコーにおいては否定性はどちらかと言えば規律権力ではなく主権権力に結びついていると思うのだが、そうした点はさておき、アガンベンを批判的に活用している点や、一般に「新自由主義的統治」などと批判されるものを、後期近代に特有の現象と見定め、批判していく手つきは非常に面白い。たしかに、現代は「できる」ということを証明し続けることを要求されているし、それに失敗すれば「無能」の烙印を押され、「廃棄」されてしまう。

07/11 14:39
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Ko
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僕らは、自分が生きている社会のことを、僕らの生き方のことを、あまりに自覚していない。とにかく面白い本でした。
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ミドリムシ
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一番印象に残ったのはフロイトにおける去勢(という否定性)を前提として社会に参入するというモデルがもはや有効ではないという点。 ラカン派の松本卓也や立木康介などもその著書の中で述べている通り、精神分析のフロイト的時代は終わり、ラカン的な時代となっている。 その社会においては去勢による欠乏が駆動するメランコリーなどは後退し、ストレスに対する応答としてのうつ病が前景化してくる。 『情報管理社会』におけるデータ主義(前述の松本氏はこれをデータの番人たる父とする)と併せて、10~20年代の空気を教えてくれる一冊。
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読書熊
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規律社会から能力社会への変化
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時田桜
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肯定性の過剰という話を軸に現代の生きにくさを書いている。なんでも出来ること、能力があることを示し続け、変化に遅れず成長し続けなければいけず疲れ果ててしまう世界。
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doji
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新自由主義の時代、うつ病の時代の哲学として象徴的な一冊のような気がする。免疫的な反応を示すウイルスによる病ではなく、自己搾取によるバーンアウトとうつ病が蔓延る能力社会の問題を哲学から思考していく過程に頷きながら読んだ。メランコリーとうつ病(デプレッション)の区別をきちんとできてなかったことに気がついたし、うつ病が他者を介さない病だという指摘にははっとさせられた。ほんとうに孤独な時代なのだなと、ぞっとする思いがする。
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kco
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ネタバレ2024-6.最近疲れ切って頑張れず、でも「自主的に」頑張らないといけない状態を解明してくれた。「理想的自我を前にすると現実の自我は自己批判を浴びせかける無能な存在となり、自我は自分自身と戦うことになる」「直接的な強制がないからこそ活動してないと不安になる」。本来自由意志であるはずの当事者意識や仕事のはみ出しの「推進」という名の強制に、私は疲れたのか。かつ「より良い人生のために経験せよ」の言葉を間に受けすぎて過剰な活動になってたのかも。振り返り立ち止まり「無為」を味わう時間→瞑想が必要だ。ブームも納得。
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SQT
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フーコーの規律社会から一歩進んで、今は能力社会。自分が自分自身を管理して、つねに「できる」状態を目指す。その中で健康が祀り上げられ、一方でうつ病のような「できない」という病が生じる。自分を「できる」という状態に持っていくことが賭金となっているからこそ🥺 その中で、安息日のような、(能動的に)休むこと、「できる」を否定した「やらない」という潜勢力に目を向けていきましょう👀
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KAZAKI
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教育現場に新しく導入されようとしている研修制度。その中にもこの本に書かれていることがあてはまるように感じた。人事考課制度と併せて実施されることで,教師の未来,教育の未来,子ども(社会)の未来はどうなるのか…。今こそ,この社会で自らの能力を絶えず発揮し,成果を求めて活動し続けることへ疑いを共有したい。
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ぱぴー
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普段この手の本をまったく読まないので、とりあえず読み通しただけですが、巻末の訳者あとがきを読んで少し分かった気にさせられました。
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しゅん
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原著は2010年刊行。現代は否定性ではなく、肯定性の過剰の社会となっている。その社会はマルチタスクの注意を個人に要求し、人は永遠に頑張り続ける。結果、人々はうつ病・注意欠陥多動性障害にかかる。否定性の病としてのウィルスではなく、肯定性の病としての鬱。アーレントの「活動的な生」とは交わらない疲労としての社会において、心の休息である「深い退屈」をいかに形成するか。著者の着点は、「疲労」をマイナスの機能だけでなく、人々をつなげるものであるというプラスの機能があるというところにいきつく。
しゅん

現代が「鬱の時代」であるという断定はマーク・フィッシャー、與那覇潤と近い。「疲労」を多様な意味からくみ取るところが違う。

03/28 15:49
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かいけん
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電車の中で泣きながら読んでいた。 僕らはなんでいつもこんなに疲れているのか。コロナ禍の日本におても、国家は僕らに「やれ」も「やるな」も言わない。全ての判断は個人の委ねられ、責任も個人に帰する。 高度な自主性が認められた社会は、それができる人たちにはユートピアだろうが、そうじゃない人たちにとって社会に居場所を見出せないのも全ては自分の責任だとされるのは耐え難い地獄なのではないか。
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Kchan
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目次 疲れたプロメテウス/精神的暴力/規律社会の彼岸/深い退屈/活動的な生/見ることの教育学/バートルビーの場合/疲労社会/燃え尽き症社会 「無為(~をなさない)」の能力について言及もあり、「ネガティブケイパビリティ」との関連を強く感じた
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トム
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神という絶対的他者が死に有限な他者が取って代わったのが近代であるとすれば、有限な他者さえも死に、自己内での終わりなき循環が始まったのが現代なのだろうか。どうでもいいけど、明らかな脱字が多くて気になった。
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tatu60
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疲労を「私たちの疲労」として他者と楽しみ、孤独な自我の疲労からひらいていくことができる(という読み方であっているかはわならないが)ってところにグッときた。
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たー
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この本を読むこと自体で疲労した…。
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watarum
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思想家のエッセイは、グッとくるフレーズの宝庫で読んでいて、脳みそが刺激されて、面白いんだが。この疲労社会もなかなかの好著で、マーク・フィッシャーの資本主義リアリズムを想起させる内容。痺れるフレーズはあとでまた時間ある時に抜書きしたい。 あと、こういう思想系の本って、日本人の解説が大概つまんない感想文でクソなんだけど、この本もそうなのよ。こちらとしてはオリジナルのテキストをより深く理解する、補完する内容を求めてるんだが。東京五輪批判とか、コロナの自粛批判とか、全然関係ない話するのね。まあ最悪。
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sayan
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ドイツ哲学の旗手と注目される著者。我々は「能力」社会で、社会を変える力ではなく自らを搾取し疲弊させる能力に翻弄されると身も蓋もない。新自由主義に紐づけ、禁止の否定=規制緩和は多様な働き方をもたらすも、実際はWワーク無しでは困窮、成果をださないと次の契約がない、と不安に苛まれる状態を生んだ。この事は肯定的な力(計画、自発性、動機付け)に縛られ、死(鬱病含)に至るまで自身の最適化に明け暮れる、と著者の分析は容赦ない。「自己責任」という概念が下支えする能力社会と試読すると、私見だが著者の議論にリアリティが増す。
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Go Extreme
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疲れたプロメテウス 精神的暴力 規律(ディシプリン)社会の彼岸 深い退屈 活動的な生 見ることの教育学 バートルビーの場合 疲労社会 燃え尽き症(バーンアウト)社会 コロナ・ウィルスと疲労社会
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endormeuse
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原書の刊行は十年前のものではあるが、時代診断の大筋についてはなんとなくバイブスとして頷けるし、論点の押さえどころも要を得ていると感じる。しかしあまりにしばしば論証抜きで叙述を進める(実際いくつかの断定は大陸哲学が陥りがちな説得的定義の不当な濫用にしか思われない)ストロングスタイルなので、段々どうなんだろうという気分になってくる。それはそれとして引用されるハントケのエセーを読んでみたくなった。
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かるてぶらんしぇ
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目的が過剰すぎる。プロセスを楽しむことを忘れた現代人が燃え尽き症候群としてうつ病になる。過剰に活動的な姿勢は現代精神病の根源だよっていう著者の感想。
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