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2025年12月の読書メーターまとめ

ときのことだま
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2025年12月に読んだ本
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2025年12月にナイスが最も多かった感想・レビュー

ときのことだま
この寓話のブームはいつだろう。時流はリストラ。「変化できないもの」は愚か者。のような時代ではなかっただろうか。環境の変化に行動で対応しろ、という読み方や生き方が正しいのだろうか。ロスト(喪失)は新たな発見への道だろうか。迷宮はオープンだろうか。それともクローズなのだろうか。代替えの理屈だけではどうにもならない現実があり、「新しいチーズ」はあるのだろうかと懐疑的になる社会課題が山のようにある。ヘムのような人こそ救わなければ。正義やモラルのはなしではない。置き去りにしないという他人への共感、メンタルの問題だ。
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2025年12月の感想・レビュー一覧
25

ときのことだま
幻の桜蘭と消えた湖の謎を挑んだスヴェン・ヘディン『さまよえる湖』や、ナイル川の源流を探検したバートンとスピーク(映画『愛と野望のナイル』)など、19世紀はドラマのような冒険の時代だ。極めつけは何といってもシュリーマンだ。ギリシャ伝説の都市、あの「トロイの木馬」、「トロイヤ」の発見者だ。歴史好きで冒険好きであれば、一度はシュリーマンやヘディンに憧れたことがあるのではないか。シュリーマンが、「プリアモスの財宝」を発見したのは50歳を超えてから。ちなみ、20歳程のギリシャ娘と再婚しているから、こちらもすごい。
ときのことだま
2026/01/04 22:09

またしてもむずかしいな。考えましたが、シュリーマン繋がりで、同氏の世界漫遊記『シュリーマン旅行記』などはいかがでしょう。最近のインバウンド需要で、わたしも知らないスポットに外国人旅行者が注目して出かけます。鏡の自分と、他人のまなざしが異なるように、自己評価は迷走しがちです。シュリーマンはトロイ発見の前、明治維新の数年前に来日して旅行記を表しています。オールコック『大君の都』、スエンソン『江戸幕末滞在記』、イザベラ・バード『日本紀行』などもあります。外国人の視点から見た日本に新たな日本を発見します。

ときのことだま
2026/01/07 01:12

某氏からのコメントに返答してまいりましたが、「lave-xxxx」とかいうLineIdへの誘導がありました。下記コメントを記述したところ、某氏はコメントをすべて削除しました。企図不明。ご用心を。わたしのコメントは残します。「 怪しい誘導ですね。お答えするのが馬鹿らしくなりました。では。」

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ときのことだま
同シリーズ・逢のレビューの続きだ。人にはセンサーがあって、不条理を感知すると別モードというか芸術的でより深くシンプルなこころになる。と書いた。そして、ときには宗教的ひらめきが到来するのかも。相田氏の宗教活動は知らない。著名でもある「道」、「歩くから道になる 歩かなければ草が生える」に、カトリック修道女・渡辺和子氏の「置かれた場所で咲きなさい」を思い出す。トポスとして考えると、相田氏は「移動」で、渡辺氏は「深化」ともいえるが、どうも相田氏に分が悪いと思ってしまう。相田氏のことばに、陳腐さが漂うからかも。
ときのことだま
相田みつを氏には、たぶんに好き嫌いがあるだろう。わたしも、素直にこころに感じる日もあれば、作為的な胡散臭さや、わざとらしさをおもうこともある。死語に近いが「ぶりっこ」というか、へた字や幼児性すら感じることばに、ある種の商業的擬態ではないかと想像するからである。それでも、相田氏の書やことばに多くの人が癒され、励まされる。人には不幸や不条理、悲しみや苦しみに対する高度で巧みなセンサーがあって、ある閾値を超えると、狂気に走ることもあるが、より以上に、別モードというか芸術的でより深くシンプルなこころになる。
ときのことだま
小説として楽しむには古語がユクテをはばむ。大仏開眼後の奈良に歴史・地理の知識が乏しい。坂口安吾の蘇我天皇説などのロマン的気分と陰謀の匂いのような雰囲気、雅な文化のはじまり、といったワイザツな知識しかない。まして、折口氏の民俗学的死生観(客人:まれびと)やその思想世界に近寄るには、遠回り過ぎて腰を上げるだけで挫折する。「あて人(高貴な人)」はバカだが、郎女(中将姫)だけが覚醒する。石室の中で覚醒する滋賀津彦(大津皇子)と交差する霊的な力、死者と生者の境界。つた、つた、つた。白玉に並んだ指。耽美でむずかしい。
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ときのことだま
「チーズはどこへ消えた?」の続編の寓話である。おいてきぼりのヘム(ためらい)はホープ(希望)に出会い、迷宮から脱出する。不確実性や不条理からの脱出には、信念と主観的真実が大切だというのである。「あなたが真実だと信じる考えが信念!」は、おれ(主体)中心だなともおもう。たとえ不確かでも間違っていても、受け入れてみる。こうなると、信念とは、と哲学的になる。信念は自分勝手にでっち上げるものなのか。外にあって選び取るものなのか。どちらにしても、生き方とは、とりあえずは私が引き受けざる得ない私自信と他者との関係かな。
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ときのことだま
この寓話のブームはいつだろう。時流はリストラ。「変化できないもの」は愚か者。のような時代ではなかっただろうか。環境の変化に行動で対応しろ、という読み方や生き方が正しいのだろうか。ロスト(喪失)は新たな発見への道だろうか。迷宮はオープンだろうか。それともクローズなのだろうか。代替えの理屈だけではどうにもならない現実があり、「新しいチーズ」はあるのだろうかと懐疑的になる社会課題が山のようにある。ヘムのような人こそ救わなければ。正義やモラルのはなしではない。置き去りにしないという他人への共感、メンタルの問題だ。
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ときのことだま
海外向けに英語で出版された。JFKも読んだというが本は売れたのだろうか。「道徳(モラル)」や、清く正しくで、日本人を描こうするには無理筋を感じる。陽明思想の西郷も、鷹山の倹約も、尊徳の治世も、中江の教育も、その評伝は、どれもなにか、カッコよすぎてしっくりこない。きっと人はもっと苦しみ悩み、そして生きた。結果として歴史の中でなしえたことは、日本人の精神性を強調することでない。ただ勤勉に努力する力。だとおもう。今、代表的な日本人として選ぶなら、わたしはアフガンで死んだ中村哲氏を代表的日本人として誇りたい。
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ときのことだま
「ゆっくりと、しかし着実に」ローマがローマになっていく時代である。しかし、古代ローマでの女性は人の妻であり母の時代であったと痛感する。完全無欠な男の世界である。平均寿命がどれほどか知らないが、元老院資格の40歳は老人に近いし、兵役が予備役で60歳とは過酷すぎる。さしずめ現代なら80歳だろうか。生涯現役というには老人軍は滑稽ですらある。ローマ人は名誉を重んじたという。とはいっても人から与えられた権力でも、邪な金に惑わされた横暴でもない。国家=民族がシンプルにコンパクトに実感できた古代ローマでの事情がある。
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ときのことだま
本書は人物評伝ではない。著者の今から見た人物の現代性(非現代性)である。友人でもあった中原中也へもクールな目線を崩さない。引用の詩にふれ、若い頃の中也へあこがれを思い出す。中原中也詩集が読みたくなった。牧野伸顕より岡倉天心の話を聞いたという逸話も面白い、白洲次郎や吉田健一との連関を想像する。「日本にはインサイダーはいない」「わが国では正統はただアウトサイダーの希望の中にだけあるのだ」という。アウトサイダー=アウロウ、映画『夕日のガンマン』が浮かぶ。正邪、善悪、左右は微塵もない、どなたも真面目に戦っている。
ときのことだま
レヴィストロースの原著は読んでいない。高価で、などと言い訳をしつつ、読み込む力不足を感じる。しかし「ブリコラージュ」という考え方は大好きで、恥ずかしくもなく昔から多用している。例えば、冷蔵庫に残るあり合わせで上手に料理を作れる女性は、まさに「ブリコラージュ」なひとで、ヘアースタイルが「ソバージュ(野生)」であれば完璧だ。本書は4日目の章に考えが深まる。「自然を人間化する」。旅館でテーブルに並ぶ料理の色彩と多様性。レヴィストロースの視点は、日本人とは何者。という問いに戸惑うわたしに、ひとつの答えを与えうる。
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ときのことだま
吉村昭氏『三陸海岸大津波』を拝読し、寺田氏のこの随筆を思い出す。この方の書き物が好きだ、科学をわかりやすく語り、少年のときにも児童本を読んだ記憶がある。カール・セーガンのようだともおもう。1933年(昭和8年)の作品であるから地震直後である。「科学の方則とは畢竟『自然の記憶の覚え書き』である。」という。「記憶と記録」の永続性、恒久的な対策、防災教育の重要性を語る。当時とは異なり高地への移住や防潮堤、防災訓練の実施、メディア広報、防災グッズ、救援体制などが整備される。しかしそれでも、それは必ずやってくる。
ときのことだま
2025年12月8日深夜に発生した青森県八戸市の地震を受けて、初の「北海道・三陸沖後発地震注意情報」が発表された。幸いにも同16日に呼びかけは解除された。とはいえ、地震のリスクは続く。本書は1896年(明治29年)、1933年(昭和8年)の地震による三陸大津波の記録である。吉村氏ならではのドキュメンタリー小説だ。このあとの2011年(平成23年)の3.11が起こるわけだが吉村氏は知らない。本書では田老の子どもたちの作文にこころ打たれる。逃げ惑い、家族を亡くし、寒さに震える姿が浮かぶ。今、そこにある危機だ。
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ときのことだま
NHKアーカイブでも映像で拝見している。正直、本の解説番組というフレームは他にはなく面白く、指南役の先生がたの選び方も楽しい。本著の著者中条氏も映像でも本著でもそのお人柄への好感と、お考えにシンパシーを感じる。レヴィストロースとのニューヨークでの邂逅など話題も刺激的だ。読書レビューで恐縮だが、このNHK番組に対しては太ったMCのでかい声と、まず原書は読んでないだろう立ち位置不明な演出が不愉快で、女性アナが変わるたびに、この男性MCの去就をおもうのだが、なぜか変わらない。不愉快だが拝聴するのは本の力である。
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ときのことだま
始まりの独白で「思いきり悪党になってみせる」と語るリチャード三世であるから、どんな悪事をするのかと読み出す。兄の死、甥の死、友人たちの死。秘すべき悪事はなぜか登場人物の誰もが知っていて、恨みつらみが延々と語られる。イギリスでは誰もが知っている話であるというが、薔薇戦争もチューダー朝もよくわからぬ私には、清盛や明智と比べて遠い。それより映画『ロスト・キング』がいい。リチャード三世が近くなる。2012年、500年の時を超えてリチャード三世の遺骨が発見された物語だ。「馬をくれ!馬を!・・・」そうだ来年は午年だ。
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ときのことだま
だいぶ昔の話である。中学生の私は事故の後遺症のため入院をした。そこで彼とあった。彼は小児喘息で私と同じ年だった。閉塞され日常から隔離された病院生活は、ふたりを同志のような友情で結んだ。翌年彼は喘息による呼吸障害で死んだ。彼の弔いで自宅を訪問したとき、彼の母は68年映画『ロミオとジュリエット』のサントラ版をかけ、「この子の好きな曲なの」といった。当時16歳のハッセーのジュリエットは中学生の私には眩しすぎた記憶が残る。運命論ではなく、劇中歌“What Is a Youth”(青春とは)がこの物語のテーマかも。
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ときのことだま
来年(2026)のNHK大河は『豊臣兄弟』だという。秀長が主役の物語が楽しみである。本編で堺屋氏は秀長を「この人」と呼ぶ。「あの人」でも「その人」でもない。そばにいる他人(身内)が「この人」で、ちょっとは近しい距離感でもある。秀長の秀吉と接する姿の遠近も「この人」の距離感で、書き手と主人公の関係と重なる気がする。経済や環境(天地変動や災害)が歴史に多大な影響を及ぼしたはずなに、それに言及する歴史物語は少ない。乱世の武士になるより百姓の方が生活は安定すると考える若き秀長の考え方など、堺屋氏ならではで新しい。
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ときのことだま
ショーペンハウアはレトリック好きである。「船から鉛の錘を海に垂らしても、海底に届かなければ深さは測れない」というのがある。まぁ、知性の射程の限界とか、見た目(表象)からの認識とでもいうのだろうか。ところが船を実際に走らせれば、錘は海底にゴツゴツとぶつかり、海藻を引きずったりするわけで、見えない海底も起伏にとんでいるとおもう。このレトリックは、たぶん自分にとどく知(真理)もあったりして、海底の深さなんて別に測らくてもいい。鉛をつるす鎖の長さが今の自分なら、明日はちょと鎖を長くしてみよう。と、おもってみる。
ときのことだま
長い物語のスタートである。書名は『ローマ人の物語』で、ローマの物語ではない。ローマ人はどこから来た。BC8世紀にまで話は遡る。(ギボンはAC2世紀から)巻頭の古代ローマ人の宗教観と日本の八百万の神々との近似性に興味をひき、いっきに塩野ワールドに嵌まり込む。かつて満員電車で読みまっくていたころを思い出す。ヨーロッパの地理に疎いわたしには豊富な地図もありがたい。GoogleMapも併用しながら、ときに「デロス同盟」のデロス島などにストリービューで降臨。歴史に風化した神殿をのぞく。まるで太陽神アポロのように。
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ときのことだま
中国では映画「731」が話題になった。日本でも、反日の文脈での報道が続いた。731石川部隊への言及も久しぶりである。元々は戦時下の兵隊の防疫が任務であったという。中国戦線ではチフスで数千の兵士が亡くなった。日本軍国主義は南方へ向かう。ジャングルではマラリア或いは飢餓で多くの兵が死んだ。戦死者より多いともいう。除虫菊とい草花がある。蚊取り線香のかつての原材料である。日本の発明である。だが日本兵には蚊取り線香がない。米軍は除虫菊の栽培園を事前に作っていたらしい。日本の防疫部隊が真にその役目を行っていたなら。
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ときのことだま
読書中つねにムカつくのがイアーゴーである。巧みな言葉で、疑いと不信を育み、厄介で持て余す嫉妬心を芽生えさせ、じわじわ蝕み、自尊心にヒビを入れる。サイプロス(キプロス)という故国から遠い閉鎖した空間に、優秀なムーアの傭兵将軍と美しい妻。金の名誉を重んじるヴェネツィア人・イアーゴー。事件の舞台はできた。今年、ブロードウェイで史上最高興収を上げたのが「オセロー」であるという。オセロー役を演じたのはデンゼル・ワシントン。ムーアとは何か。この公演での演出は知らない。昨今各国で顕在化する民族と外国人の不寛容が浮かぶ。
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ときのことだま
セイゴウ氏の読書論である。この方の読書量とその統合された知識にはWeb『千夜千冊』時代から圧倒されていた。レビューを書くことは、気落ちした吃音者(セイゴウ氏とわたしの共通した少年期の記憶)さながらである。金もない若い時に全集を買う。それも、折口信夫、南方熊楠であるから、ぶっ飛ぶ。あえて、精一杯背伸びしてセイゴウ氏との、読書姿勢の共通点を探れば、活字中毒でタバコ中毒であること、目次はしっかりとみて著書の全体像をつかむ努力をすること、並行読書(多い時は10冊くらい)はあたりまえ。読書は理解力を深めることかな。
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ときのことだま
例えば、子どもが井戸に落ちそうな場面に遭遇すれば、人は飛んで行って救うだろう。孟子の惻隠の情。慈愛というやつである。トウェインはそんな心持ちはない。人は利己心と環境で動く機械であるという。まぁ悲しい人間不信論である。どう考えても、すべてを利己心に還元して、ワイルドカードにするには理屈が乱暴すぎる。老人が青年に「こうあるべきだ」と語るたびに、そこには老人のいびつな倫理があるわけで、老人が機械でない証拠でもある。なにより、「老人と青年」の構図は読み物として面白いが、こんな爺さんに付き合う青年は多分いない。
ときのことだま
2026/01/13 18:06

コメントありがとうございます。わたしにお答えする知恵があるとは思いませんが、若い時で今でも、理屈や正論にこころを動かされたことはありません。それは、たぶん読書でも同じです。声高に熱弁をふるう人にはどうしても警戒心がおこります。それは、動物的な対捕食者への回避行動ともいえます。よくは説明できませんが、批判的に、多少疑いをもってものを見て、それでもこころ動かされることこそ、自分の考えの養分になるようにおもいます。失礼しました。

が「ナイス!」と言っています。
ときのことだま
ブルータス、お前もか。このセリフだけは誰もがご存じ。やる気のない、いい人ブルータスの受難劇ともいえる。かといってブルータスに感情移入できるかと言えば、そうでもない。ずるがしこく振る舞うアントニーの方が面白い。シーザー暗殺後のブルータス演説、その後の市民をたらしこむアントニー。正直、以降の物語にはあまり面白さを感じない。気になったのが数少ない女性キャストのポーシャ、ブルータスの妻である。史実では哲学者・小カトーの娘でもある。春をひさぐ女のように扱うなと夫の陰謀にせまり、最後は火を飲んで自死。列女である。
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ときのことだま
ショーペンハウアは怒っている。とにかく怒っている。「複雑で体裁をとった」凡庸な著者(学者)、悪徳な出版業界、破廉恥な匿名批評家、新刊本に飛びつく一般読者・・・、そしてヘーゲル。ショーペンハウアはヘーゲルと同じ時間帯に講義を開き、ヘーゲルの講義は満員御礼状態なのに、ショーペンハウアの講義は最終的には誰もいなくなった。という有名な逸話が残る。読書とは、他人の頭で考えることだと著者はいう。ものを深く考えることの苦手な「そのへんの藁にも似たもろい頭脳」は、たとえ読書という短い時間の間でも、著者の賢さに触れたい。
が「ナイス!」と言っています。
ときのことだま
昔、著者の『千夜千冊』をHPでよく拝見した時期があった。本当に毎日書いているのだろうか。毎日本を読んでいるのだろか。その深く幅広い知識に圧倒された記憶が残る。その後恥ずかしながら著者の活動や研究を知らずにいた。はじめてふれたこの本に、もっと若い時に読んでおけばよかったと後悔がある。編集概念の拡張に思想性を感じるが、方法論にも映る。主体としての自己、カオスの編集不可能性、狂気、犯罪、WHAT・HOWだけではなくWHY、ユング(河合氏)共時性や元型(マザー)への考察、SNSの編集暴力など、聞きたいことが残る。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2025/09/06(139日経過)
記録初日
2025/08/20(156日経過)
読んだ本
116冊(1日平均0.74冊)
読んだページ
22670ページ(1日平均145ページ)
感想・レビュー
101件(投稿率87.1%)
本棚
14棚
性別
血液型
O型
現住所
神奈川県
外部サイト
自己紹介

難病に罹患したツレアイの介護をしながら本を読む。

いままでに読んだ本、いつか読もうと購入した本、幸いにもたくさん蔵書がある。それにもまして、浅学の知的願望か、本の衝動買いがヤマイのようにあって、本は増えつづける。

セイリ・セイトンは子どもの頃から苦手だ。通知表にはキョウチョウセイのなさ、自己表現のアイマイさ、ザツな振る舞いへの自省のすすめが毎回記されていた。さらに、若い時はグータラに殊更あこがれ、どうすれば楽に生きれるかと考えていたわたしに、本のセイリなど不可能だともおもう。

それでも、始めたのが読書メーターである。レビューは蔵書を再読して書いている。255文字が気に入っている。何を書くか。焦点は。誰を。一番は。己との連関は。今は。過去とは。未来は。

書くことより書かないことを考える。そして、クリティカルでもありたい。

ちょとはジイさんらしい嗜みでもあり、考える時間が楽しい。今更に書いて表現することの難しさも感じている。いつまで続くか、わたしも楽しみである。目指すは、255文字の「Concise Review(簡潔なレビュー)」とまずは1000冊。

☆☆☆覚書(戒め)☆☆☆
あらすじは、できれば書かない
感じたおもいを大切にする
共感、違和感、ずれ、諧謔、皮肉、生きる匂い
まとめない
できれば、余韻とすき間を残す

そして、本が好きと伝えたい。

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