公園でバイクぶんぶん鳴らしてる若造たちが警察に指導されてた。あんまりやると軽犯罪法に抵触して前科ついちゃうじゃなかろうかね。うるさくしてもええやろって他人の善意に甘えるのもいい加減にしといたほうがええわなぁ。
パオロ・マッツァリーノさんは「反社会学の不埒な研究報告」(文庫「続・反社会学講座」)で新渡戸自身は武士道の扱いに苦悩していたことを指摘している。新渡戸の論説「平民道」では以下のようにある。『昔の如く「花は桜木、人は武士」と謳った時代は過ぎ去って、武士を理想あるいは標準とする道徳もこれまた時世後れであろう。それよりは民を根拠とし標準とし、これに重きを置いて政治も道徳も行う時代が今日まさに到来した、故に武に対して平和、士に対して民と、人の考がモット広くかつ穏かになりつつあることを察すれば、
今後は武士道よりも平民道を主張するこそ時を得たものと思う。」先進的に見えるがこのあとに「平民道は武士道の延長」であり武士道的道徳を武士だけではなく庶民にも教え道徳心を引き上げるべきだろうといった論調になるので、いまの民主主義を想定していたように思えないという注意は必要であろう。
健気か不器用をかけ合わせたような純真な佳菜子がちょっと可哀想だったな。明るい展望をもってして最後にちょっとでも触れてほしかった。いい子やのに笑 『なにかの形でハンディを背負っている人間が生きやすいにようにできていなければ、文明国とは言えまい。(中略)自分でなんでもやれる人間を甘やかし、怠惰にさせる道具ばかり発明しているくせに、ある一点、二点で機械や動力の補助を必要としている人間に対しては、やれ強くなれの、やれ我慢しろのと平気で言っているような気がする。』(P351)
「口に出したことばは、愛情という機能を壊してしまう。(中略)愛には牙がある。噛みつくのだ。その傷は決して癒されない。無言であること、ことばを組み合わせたりしないことが、そういう愛の傷をふさぐ役目を果たす。逆に、ジョークがその役を果たすこともある。そういう傷がふさがったら、それと同時にことばも死ぬ。」(P325)病気で苦しんでいる人に言葉をたくさんかけることが優しさだと思ったりしてしまうことがあるが、ただそばに居る愛もある。そばにいないことが愛になるときだってある。さて、有名な表題作と違い
「マンハッタンの奇譚クラブ」は前知識なしに読んだ。キングが影響を受けたクゥトゥルフ神話のような宇宙観が垣間見られて、話自体もホラーとまではいかないが奇怪なもので面白かった。スタンドバイミーに比べると冗長さがなくシンプルに書いている感じだ。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
「口に出したことばは、愛情という機能を壊してしまう。(中略)愛には牙がある。噛みつくのだ。その傷は決して癒されない。無言であること、ことばを組み合わせたりしないことが、そういう愛の傷をふさぐ役目を果たす。逆に、ジョークがその役を果たすこともある。そういう傷がふさがったら、それと同時にことばも死ぬ。」(P325)病気で苦しんでいる人に言葉をたくさんかけることが優しさだと思ったりしてしまうことがあるが、ただそばに居る愛もある。そばにいないことが愛になるときだってある。さて、有名な表題作と違い
「マンハッタンの奇譚クラブ」は前知識なしに読んだ。キングが影響を受けたクゥトゥルフ神話のような宇宙観が垣間見られて、話自体もホラーとまではいかないが奇怪なもので面白かった。スタンドバイミーに比べると冗長さがなくシンプルに書いている感じだ。