フーコーは権力を悪の支配者との戦いと単純化しない。権力は上から押し付けるだけではなく、下からそれを支える構造もあって、本当の悪玉を見つけるという発想自体が間違っていると。近代社会では規律訓練と生政治が両輪で動いている。現代思想の発想はニーチェ、フロイト、マルクスに始まりがある。母の欠如の哲学のラカンは想像界から象徴界、そして現実界へと進む。現代思想は意味が逸脱して多様化することを論じるが、メイヤスーにおいては実在のレベルで徹底されている。否定的神学、複数性の問題では東浩紀がでてくる。1つ1つ取り組めと。
科学研究は宗教とイデオロギーと連携して盛んになった。1850年頃からヨーロッパは科学革命で軍事・産業・科学複合体とテクノロジーを得てアジアの帝国を凌駕する。帝国主義は新たな領土と新たな知識を求めた。科学は帝国主義の事行に実用的な知識やテクノロジー上の道具を与えた。科学革命と進歩と言う考え方は経済にも取り込まれた。将来に信頼を寄せるようになり信用を生んだ。利益は再投資され、資本主義が生まれた。科学の発展がより経済を発展させた。熱運動を他のエネルギーに変換させる蒸気機関・内燃機関が発明され、産業革命がおこる。
人類の生産性は爆発的に向上した。資本主義は消費者主義になる。産業革命により人の生活は変わる。社会革命だ。家族と地域のコミュニティが崩壊し、国家と市場が台頭した。個人が独立した。富が土地でなく複合的な社会経済組織に変わり、戦争により得られる利益が減り戦争が少なくなる。文化は人を幸せにしたのか。幸せを主観的感情とみるか、真の自分を知ることとするかと幅が広い。21世紀になり人類は自然選択の法則を知的設計の法則に変えようとしている。遺伝工学・サイボーグ工学・AI。人類は何処に向かっていくのかは誰にも分からない。
狩猟採集民だったサピエンスは肥沃な地域であれば理想的な栄養が得られていた。アニミズムを信じていた。サピエンスはアフロ・ユーラシア大陸からアメリカ・オーストラリアの両大陸や島々に進出する。進出先で多くの種を絶滅させており、最も危険な種となった。1万2千年前から農耕が始まる。漸進的だ。農耕民は狩猟採集民より苦労するが食べ物は劣った。劣悪な条件下に多くの人を生かしてしてことに。農耕は未来に対する不安を導く。その為大規模な政治体制や社会体制が生まれた。想像上の秩序だ。彼らは神話を共有した。それに基づく秩序だった。
複雑な社会が出現し始めると、その王国を維持する為に数理データを必要とした。数字と記号ができ、段々と完全な書記体となっていく。その最新がアルゴリズムだ。想像上の秩序はヒエラルキーを成し、人々は架空の集団に分けられた。人間社会は次第に複雑になり、社会秩序を維持している想像上の構造体も精巧になる。個々の文化が融合して統一へ進む。交易が盛んになると物々交換の限界となって、交換目的の価値を体系的に表す物が使われる。富を蓄え保存し運ぶ必要から貨幣が生まれた。更に人類の多様性が減ると帝国が生まれた。アッカド帝国だ。
ソクラテス以前の哲学は万物を生成するものと見ていた。プラトンが生成もしなければ消滅もしないイデアという超自然的な原理を設定してからは、万物はこの原理に則って形成される質料になってしまった。アリストテレスはこれをギリシア風に戻したが、形相-質料の図式を可能態-現実態の図式に組み替えたが不動の動者をおき、超自然的思考様式は継承された。キリスト教は世俗と神の国の二世界説と類似するプラトンの現実世界とイデア世界の哲学を利用して体系化した。アウグスティヌスだ。世俗化していくとアリストテレスの哲学を。以後は覇権争い。
ケプラーは質的自然観に量的自然観を持ち込み、ガリレオは数学的自然観の方法論的基礎を確立した。デカルトは量的関係を数学に関係させ、量は感覚ではなく精神の洞察するものとして生得観念とした。理性による生得観念の利用で独断論が横行し、それを批判したのが経験論。だが経験は蓋然性でしかない。理性的認識の有効・無効の場面を理性の自己批判によって区別したのがカント。カントの理性と実践の二元論を一元化したのがヘーゲル。近代哲学を完成させた。19世紀に科学的な世界観への危機から思想を形成したのがニーチェ。生を生成と持続と。
構造主義とはパターンを重視する考え方だ。それに対してパターンの変化や、パターンから外れるもの逸脱を問題とし、ダイナミックに変化していく世界を論じようとしたのがポスト構造主義だ。一般に物事を考えるときに二項対立で考える。ポスト構造主義は差異の哲学と言われており、ズレとか変化が大事だと考える。二項対立は一方を負の価値観において考えるが、負の側に味方する論理を考え、勝ち負けが留保された状態を描き、二項対立の決定不可能生を担う第3の概念を使って考える。ダリデが概念で、ドゥルーズは存在で、フーコーは社会で行ったと。
フーコーは権力を悪の支配者との戦いと単純化しない。権力は上から押し付けるだけではなく、下からそれを支える構造もあって、本当の悪玉を見つけるという発想自体が間違っていると。近代社会では規律訓練と生政治が両輪で動いている。現代思想の発想はニーチェ、フロイト、マルクスに始まりがある。母の欠如の哲学のラカンは想像界から象徴界、そして現実界へと進む。現代思想は意味が逸脱して多様化することを論じるが、メイヤスーにおいては実在のレベルで徹底されている。否定的神学、複数性の問題では東浩紀がでてくる。1つ1つ取り組めと。
②ベーコンは自然を征服することを求め、知識獲得の方法を考えたが完璧ではない。デカルトはコギト・エルゴ・スム故に心身分離の二元論の立場であり、人間を自由な主体が身体の生を支配する実践的可能性を吟味する。他にスピノザやライプニッツが後に影響を与えた。③ロックは経験論を主張しているが、経験論を完成させたわけではない。全ての考えに経験論的なものが現れているのではない。後に託している。④カントは大陸合理論と敬虔主義を統一した。『純粋理性批判』『実践理性批判』は神の存在等の形而上学が学問として成立しないことを証明。
しかし神の存在という形而上学的問いは人間に避け得ない問いであって無意味ではない。道徳的経験の場における実践的信仰の表現とみていく。そして『判断力批判』において美や生命についての目的論的反省を行った。⑤科学の発展は伝統的な哲学が思っていた世界と違う世界であることをはっきりさせていく。特に進化論は人間を神に似せて創られた者でないとした。実証主義、功利論、史的唯物論がある。⑥科学はアインシュタインで完成される。分析の哲学、プラグマティズム、論理実証主義、現象学、実存哲学、言語分析派など色々な哲学が出てくる。
オッカムを基本とし論理学と意味論を捨てて修辞学を採るヴィラ。神は有限な差別の否定という道を通じて直観されるクザーヌス。哲学と宗教を同等としたフィチーノ。全ての哲学と宗教の中に1つの真理が象徴的にあるというミランドーラ。自由思想家の祖のポンポナッツィ。マキアヴェリは無政府より悪政の方が益し。聖書を人文学者の心で解釈したエラスムス。義は信仰による神の恩寵とするルター。義は聖霊により人が生まれ変わることとするシュヴェンクフェルト。普遍的な啓示を信じたフランク。錬金術から自然哲学と形而上学に向かったパラケルズス。
遊星の年周運動を説いたコペルニクス。百科全書家のカルダーノ。アリストテレスより近代科学に近づいたテレシオ。理性的認識における方法としての論理学を説くザバレラ。汎神論的一言論的形而上学のブルーノ。テレシオを宗教的意識の次元に高めたカンパネルラ。綜合神秘学のベーメ。懐疑論と寛容の精神のモンテーニュ。人間の技術的自然支配を求めたベーコン。正確な天体観測をしたティコ。その弟子で遊星の軌道を楕円としたケプラー。惰性の原理で力学を形成したガリレイ。望遠鏡で天体観測。天文学で異端。力学は次世代のニュートンが完成させる。
ゲルマン民族による西ローマ滅亡の危機の5世紀に、アウグスティヌスは新プラトン主義により信仰と理性を調和させた。以後7百年の思想となる。12世紀にレコンキスタによりイスラムがアラビア語に訳した哲学書がラテン語に訳され西欧に入ってきた。直ぐに利用したのはアベラールであり、大学の道を開いた。腐敗したカトリック聖職者に対し民衆は大規模な福音伝道運動を興し、異端だが清貧のカタリ派が流行り、アッシジのフランチェスコが清貧を伝導する。教皇はフランシスコ会をカトリックに取り入れ、ドミンゴにはドミニコ会でカタリ派と戦わす。
カタリ派と戦うにはアウグスティヌスの思想では勝ち得ない。ドミニコ会は新しいアリストテレスの哲学を望む。だがその思想はカトリックと整合が難しい。異端に陥る可能性がある。アルビジョア十字軍でカタリ派を倒した後、パリ大学でドミニコ会のトマス・アクィナスがアリストテレス哲学をカトリックの教義に整合する範囲内で利用して新たな神学を創る。聖人となる。以後はフランシスコ会のオッカムが信仰と理性の分離を主張する。自然科学の発展の始まりだ。中世の覚醒が確かにあった。イスラム経由であったという汚点がこのことを忘れさせたのか。
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構造主義とはパターンを重視する考え方だ。それに対してパターンの変化や、パターンから外れるもの逸脱を問題とし、ダイナミックに変化していく世界を論じようとしたのがポスト構造主義だ。一般に物事を考えるときに二項対立で考える。ポスト構造主義は差異の哲学と言われており、ズレとか変化が大事だと考える。二項対立は一方を負の価値観において考えるが、負の側に味方する論理を考え、勝ち負けが留保された状態を描き、二項対立の決定不可能生を担う第3の概念を使って考える。ダリデが概念で、ドゥルーズは存在で、フーコーは社会で行ったと。