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本作では各人の認識が入れ子状態になっており、そこが謎を生んでいる。まずは脚本家と撮影班のディスコミュニケーションのレイヤー、その上にビデオ作品、さらに上に推理する面々、3つの仮説、折木の結論、その上に女帝、その上に古典部の助けを得た折木、そして別次元で千反田える。状況の把握は力関係に等しく、各々が各々の把握に対してより上位の認識を得ようとする、そういう競争の構図がエキサイティングだ。認識は唯一無二でなく、相対的なものであることが示唆されている。
副題に関しておもしろいことを書いてくれてる記事があったのでリンク。http://d.hatena.ne.jp/genesis/20060621/p1
特によかった断章は「せむし鱒」「〈アメリカの鱒釣りホテル〉二〇八号室」「タオル」「砂場からジョン・デリンジャーを引くとなにが残る?」「クリーヴランド建造物取壊し会社」だ。正直、前半は読むのに時間がかかった。ノーマン・ロックウェルに描かれそこなったような登場人物、オー・ヘンリーほど立派でない筋書き、そういうものに対して、なぜこのような語り口なのかが、理解できなかったからだろうかと思う。
最初の登場人物勢ぞろいはなかなかつらい。勿論「犯人は序盤から登場していなければ」の履行であろう。舞台と登場人物のリアリズムとしては、かなり高レベルなものになっていて、驚いた。読者の持つステロタイプを借用して成り立つ「旧家」みたいなものではなく、文豪の取材力のようなものに唸った。
あれだけ悔やみながら、男と乳繰り合ったりするものだろうか。むしろ、物語と現実との間で小説に目覚めるバロウズ、麻薬でぐじゃぐじゃになった主体の、いわば『境界性(マージナル)』の一部として、『おかま』は導入されているとさえ思える、かなり大げさに言えば。
バロウズ序文で次のように言う。この文章は、外在する物語が、以降内在化する契機となった、と。本作は、物語という大きな人格に呑まれつつあるバロウズの彷徨が、ぬんめりとした文体で書きなぐられている。と書けば一応まとまったか?
これはタダのセカイ系ではないかという批判も多い。まさにそのとおり、だがそれは恐らく間違いだ。幾人かが亡くなるこの小説で、たびたび主人公はリセットがあれば問題ないと言う。しかしラスト、彼はあの世界を知らない彼女に詫びるのだ。この対比は、自分だけが背負えばいいという主人公の限界論理の綻びであるし、作者も意図的だろう。近い将来、主人公は世界を騙し続けてきた代償をイヤというほど味わうことになる、これはその伏線だ。と思うのだが、僕はよく買い被る癖がある
のであまり本気にしないでください。
ライトノベルを語る言葉はとても強力なので、妄想も錯覚も楽に描写できるのね、ただ反面ピーキーで、文体の落差で読者の感覚を操作しようとなると、これは向いていない。この小説は、まず物理的な現実部分をひたすら散文的に描いたあとで、やっと詞族の物語に言及し、それが現実化するって手順をきちんと踏まないと、単にライトノベル特有の言葉の上滑りだと誤解されてしまう。哲学をライトノベルの言葉でやろうとして、逆に強力な言葉にハンドルを持ってかれてしまったようだ。
文字数制限もあってぶっきらぼうになりがちですが、お話しするの好きなので、短くでもコメント頂ければ、何かしらお返しできると思います。読者としての感想というより、作者がどう考えているかに重きを置いてコメントしています。点数はあとでワタシが見直しやすくするためだけにつけてます。ですから、あまり考えてつけてるわけではないです。汗
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本作では各人の認識が入れ子状態になっており、そこが謎を生んでいる。まずは脚本家と撮影班のディスコミュニケーションのレイヤー、その上にビデオ作品、さらに上に推理する面々、3つの仮説、折木の結論、その上に女帝、その上に古典部の助けを得た折木、そして別次元で千反田える。状況の把握は力関係に等しく、各々が各々の把握に対してより上位の認識を得ようとする、そういう競争の構図がエキサイティングだ。認識は唯一無二でなく、相対的なものであることが示唆されている。
副題に関しておもしろいことを書いてくれてる記事があったのでリンク。http://d.hatena.ne.jp/genesis/20060621/p1