美術の造詣を深めたく、最近読んできた関連書。先日読了の朽木ゆり子&福岡伸一共著「深読みフェルメール」で紹介された映画「真珠の耳飾り少女」(2003年)を借りてきた。 今晩は「活字読解」でなく「視覚読解」を堪能。
小説を読む際の評価基準の一つ、現実性と言う意味ではとても現実的なんだろうけど、140文字に収めるツイッターそれぞれが文脈もなくそこで完結。字面だけ追っている感覚。物語がどのように変化しているのか分かりづらい。加えて、登場人物の心理描写の方が行動描写より多い印象で置いてけぼりを感じるのは俺だけ?
それから、文中に夥しい数の丸括弧があるのが気になり読み辛い。著者著作とも忘れたが、例えば文末に(笑)を付けて笑いを誘おうとする書き手は文章力のなさを自ら見せているようなものといったことを書いてあるのを思い出した。(えへん)等、そんなものに頼らないで笑わせるのが王道。
鳴かない鳥にしてもそうだし、そもそも多感な女高生に偽装結婚の真弓の最初のアプローチは非現実的。常識を持った社会人なら責任感からもっと慎重になるはず。機嫌損ねたら関係性は一発で終わり。巻末の病院でのコンサートが最初にあり、御涙頂戴の物語展開を考えていたのが透けて見える。あまりにも総花的で表層的。
本文でカナダだけでなく、イギリス、イタリアの刑務所でも読書会プログラムがあることに触れている。日本の刑務所はどうなんだろうと思った。先日、経産省が減少する書店を支援するプロジェクトを行うと言うニュースを見たが、問題の本質は読書人口と読書量の減少。人材育成を含めて日本も見習うべき。
2点。修正なしの原書は本国フランスで随分売れているらしい。夥しい数の必ずしも適切でない写真も挿入されてあり、フランス人の日本人観が気がかり。それから、本文に日本で日本人にインタビューを敢行しているが、日本語でコミュニケーションが取れる程ではないように見受けられる。それで日本通と言えるのかは疑問。日本語が出来ないと情報がどうしても限られてくる。
08年出版の水村美苗著書「日本語が亡びるとき」を思い出した。両者ともやや煽り過ぎ。確かに英語の影響力は看過出来ないが、1億人超が住む日本で英語が全く分からなくても生活出来る現実を直視すれば、少なくとも日本語が消滅することはないのは分かるはず。しかし、50年後、100年後、人口が5千万とかになれば、話は変わってくる。
以前はコメンテーターとしてよくテレビで拝見。物腰の柔らかな先生然。当たり障りのないコメント。筆者に何の恨み辛みもないが、著書もそのまま当たり障りのないものが多い印象。はっきり言うと刺激がない。著者の本は数冊読めば十分。読書の意義も一言で言うと教養の為。選書も何のルールもない文庫百選ではなく、成毛眞著書「本棚にもルールがある」にある「科学」「歴史」「経済」とバランスが良いのが大人の教養なのでは。
参考文献を「翻訳した」と明言するのであれば、個人的にはオッペンハイマーの視点からの心理描写がもっと欲しかった。いずれにしろ、非常に重いテーマ。気軽には描けないのは分かる。結果的に中途半端。何で書いたのと思ってしまう。
読書会で原作も持ち込んで議論されいるようなので、ある意味かなり高度な読書会。ただ、やはり日本にも多く優れた文学があるので、個人的にはそちらも多く読み、良書を発掘して欲しい。恐らく翻訳本の方が海外文化の機微にも触れる機会があり、必然的に話す事柄が増えるんだろうな。意識しているのならその点も書いて欲しかった。
マーケティング広告やコンサルタント業は使用価値を生まない。そのような仕事は削られて良いと言った脱成長コミュニズムを提唱。理論的には大いに納得する。一方で、教育一つ取ってもドイツやイギリスのように無償化することが人口問題も抱えている日本では不可能に近いことは分かっているはず。資本主義が破綻していることを知らしめたことは意義があるが、現実的な解決法がないのが虚しい。
インターネットの普及が「情報スーパーハイウェイ構想」に差し代わったということなのね。「情報家電(インフォメーション・アプライアンス)」も頻出し、何のこと?って思った。いずれにしろ、人口に膾炙していない表現は認知負荷を与えるだけ。いかがなものかなと。
一方で、原田マハが日本版ヘレン・ケラーを書いたのはサリヴァン先生、所謂去場安に焦点を当てたかったんだろうなと類推。昨今のモンスターペアレンツや学力低下問題、教師もサラリーマン化して情熱を持って教える先生がいなくなった。「教える」と言う意味を再考させてくれる。
例えば、東京ならミニシアターが多く偏在。地方で上映しないインディー系を上映しそれぞれ個性があり紹介の価値有り。最近の均質化したシネコンにない趣を体感するのは映画ファンとしては楽しみの一つ。この手の本はもういいかな。
仕事に関係なさそうな本は、基本的に一度しか読まないので図書館へ。と言いつつ、最近はアマゾン等のネット中古通販が便利でついつい買ってしまうことも。知識偏重にならないようにというのもあり、もっぱら気の向くままに何でも。社会の一員として社会問題全般に興味があり、小説を含めた関連書を通して知識を深めたい。ここは読了記録として感想を付けて利用。
「お気に入り」にしてくださる方には承認欲求をくすぐられ、とても嬉しく思い感謝感激。一方で、管理能力の無さもあり「お気に入り」には殆どせず。予めご了承ください。代わりに、同じ本を読まれた方の感想には殆どナイス押し。それから、個人的に興味深い感想にはゲリラコメントを残す場合も。ご容赦を。お返事も不要。
同じ趣味を持つ素敵な方々と繋がりたい反面、十分な読書時間も確保したく悩ましいところ。年間書籍出版数は、国内だけでも8万点以上。限られた時間の中で読めるのは、残念ながらその内わずか。
頁を捲った本は、筆者に敬意を表して批判的に読み、個人的に感じる良い点だけでなく悪い点も感想文に含める。しかし、感想は、同分野を多く読む程目が肥えてくる等の読書遍歴と読書時の心情が大きく影響するのも確か。畢竟読解は、人それぞれ。同じ本をどう感じたのか他の方の感想文を読むのも楽しみの一つ。
ここを通して良書の情報交換及び知的交流ができ、自分に合った本に巡り合え、読書をより楽しめたら嬉しい。どうぞよろしくお願い致します。
「古今を通じて良書は最善の友である」タッパー
2020/12/20更新
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小説を読む際の評価基準の一つ、現実性と言う意味ではとても現実的なんだろうけど、140文字に収めるツイッターそれぞれが文脈もなくそこで完結。字面だけ追っている感覚。物語がどのように変化しているのか分かりづらい。加えて、登場人物の心理描写の方が行動描写より多い印象で置いてけぼりを感じるのは俺だけ?