(承前)第3章は、自由とは与えられた条件下で力を発揮すること(人間が自由に体を動かすというのは空を飛ぶことではなく二本足で早く走ること)、自由の反対は強制であり、コナトゥスが踏みにじられていること、行為は身体性を含めて多元的に決定されるもので意思のみで決まるものではない、自由意志の否定と意識の否定は別という話。第4章は、スピノザ的真理は主体の変容を伴うものであり私的なもの、デカルト的真理は他者(自分自身)を説得するためのもの、自分がなく他者感覚のないAIが人間に替わることはないが労働のAI化が進む可能性
第1章は、善悪について、それ単体での善悪ではなく組み合わせによる善悪(活動能力を高めるのが善)、個々人にとっての善悪は実験によってしか分からない(普遍的な道徳規範の対義としての倫理)という話。第2章は、物の本質はエイドス(外見)ではなくコナトゥス(傾向の力)、農耕馬は競走馬に外見は似ているが傾向の力はむしろ牛に近い、男だから女だからというのもエイドスに力点を置いた考え方で、コナトゥスが上手く働いて個々人の活動能力が高まっている社会が安定するという話(続)
(承前)第3章は、自由とは与えられた条件下で力を発揮すること(人間が自由に体を動かすというのは空を飛ぶことではなく二本足で早く走ること)、自由の反対は強制であり、コナトゥスが踏みにじられていること、行為は身体性を含めて多元的に決定されるもので意思のみで決まるものではない、自由意志の否定と意識の否定は別という話。第4章は、スピノザ的真理は主体の変容を伴うものであり私的なもの、デカルト的真理は他者(自分自身)を説得するためのもの、自分がなく他者感覚のないAIが人間に替わることはないが労働のAI化が進む可能性
ミステリーと歴史関係が好き。感想は備忘録として利用。漫画は登録しない。目標は月2冊以上読むこと。
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第1章は、善悪について、それ単体での善悪ではなく組み合わせによる善悪(活動能力を高めるのが善)、個々人にとっての善悪は実験によってしか分からない(普遍的な道徳規範の対義としての倫理)という話。第2章は、物の本質はエイドス(外見)ではなくコナトゥス(傾向の力)、農耕馬は競走馬に外見は似ているが傾向の力はむしろ牛に近い、男だから女だからというのもエイドスに力点を置いた考え方で、コナトゥスが上手く働いて個々人の活動能力が高まっている社会が安定するという話(続)