
本書を最後まで読んでこの問いを考えてみた。それは、彼があくまでアマチュア精神で撮影し、撮りたいものを撮っていく自由なスタイルを貫いていたからだろう。この自由なスタイルを維持もしくは拡張していくことほど難しいものはない。亡くなる最後まで写真機を手に取り、撮影を続けたその熱意、そして植田の真骨頂である演出写真を止揚しつつ、違うジャンル、違うスタイル、違う場所でも果敢に写真を撮り続ける彼の姿に心を打った。
仏教関係本、写真関係本、『失われた時を求めて』、『実践理性批判』、『純粋理性批判』読書会の要約作業などなど、幅広いジャンルを読み書きできた。2025年11月の読書メーター 読んだ本の数:5冊 読んだページ数:1603ページ ナイス数:184ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/464017/summary/monthly/2025/11
よく世界を見渡せば、私たちは日常の至るところで死に出くわしているはずだが、それを無意識に避けて生きているのではないだろうか。しかしこの写真集は、その距離の近さをはっきりと突きつけてくる。そこには温かさも冷たさもなく、ただ死があるだけである。このような構成ゆえに、『うたたね』は鑑賞者の状態によって印象が大きく変化する。体調が良いときには、題名の通りうたたねをするような心地よさがあるが、疲れているときに読むと、重く、時に苦しく感じられる。→
これらの写真を何度見返しても飽きがこないのは、そのリズムが画面全体に流れているからだと思う。またモノクロ写真ゆえに、情報量が少ないからこそ、被写体の特徴が浮かび上がってくる。 戦後の土門拳が牽引したリアリズム主義とは正反対のスタイル、つまり演出写真を、植田正治は得意としたが、後期はリアリズム寄りの撮影に挑戦している。 また旅嫌いで山陰地方を中心に撮り続けた植田であるが、晩年はヨーロッパにてスナップ撮影を行った。この作品群も趣深い。なぜここまで人を惹きつけるのだろうか。→
本書を最後まで読んでこの問いを考えてみた。それは、彼があくまでアマチュア精神で撮影し、撮りたいものを撮っていく自由なスタイルを貫いていたからだろう。この自由なスタイルを維持もしくは拡張していくことほど難しいものはない。亡くなる最後まで写真機を手に取り、撮影を続けたその熱意、そして植田の真骨頂である演出写真を止揚しつつ、違うジャンル、違うスタイル、違う場所でも果敢に写真を撮り続ける彼の姿に心を打った。
さて、私は彼女の写真集を読み、プルースト『失われた時を求めて』の一節を思い出した。「美しい作品は、真摯に耳を傾けた場合、われわれをもっとも失望させることになる。われわれが所持する既成概念のコレクションのなかに、そんな個性的な印象に対応する概念などひとつも存在しないのである」(『失われた時を求めて』5 ゲルマントのほうⅠ)これは主人公がラ・ベルマという舞台女優の演技をはじめて鑑賞したとき、予想と違って幻滅したが、2回目に彼女の演技に感嘆し、その美について理解したときを記した一節である。→
私はこの一節が川内倫子さんの写真にも同じように当てはまるのではと思う。 彼女の写真にはわれわれが所持する既成概念は存在しないからだ。 既成概念群の間隙に存在するゆらぎを撮影しているからであり、その写真には個々の未知なるものを引き出さなければ、本質を理解することはできないだろう。 これこそ本当の美であり、写真芸術の本髄であると私は感じたのである。
そして方法論で出てくる「誘惑に屈せず実直であれ」の例を読んだとき、私は遠藤周作『沈黙』のロドリゴを思い出してしまった。彼は道徳法則に反した選択をするが、私はどうしても彼が“誤っている”とは思えない。むしろ、他者の苦しみを前にしたときに義務を貫き通すことの難しさ、人間の限界のようなものが浮き彫りになっている気がする。こうした文学との対話ができた点は、自分にとって大きかった。理解はまだ断片的だが、だからこそ次につながる読書になったと思う。→
私はJPEG撮って出し派であり、スマホで写真を撮ることをあまりしてこなかったが、本書を読み、編集の大切さとカメラでなくても、目の前に素晴らしい被写体があれば撮るべきである……ということを学べたのは良かった。ただ編集は奥が深いので、自らの感性が受けた被写体を忠実に再現するのは、私にとって至難の業である。だから写真よりも被写体に対してじっくり見つめていく必要があるのではと思った。
湿原と申します。思考しながらの読書を実践しています。ゆえに遅読ですが、じっくり読書を楽しんでいます。よろしくお願いいたします。
【追記】2025年から写真趣味を再開しました。写真集や写真論の書籍をよく読むようになりました。
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これらの写真を何度見返しても飽きがこないのは、そのリズムが画面全体に流れているからだと思う。またモノクロ写真ゆえに、情報量が少ないからこそ、被写体の特徴が浮かび上がってくる。 戦後の土門拳が牽引したリアリズム主義とは正反対のスタイル、つまり演出写真を、植田正治は得意としたが、後期はリアリズム寄りの撮影に挑戦している。 また旅嫌いで山陰地方を中心に撮り続けた植田であるが、晩年はヨーロッパにてスナップ撮影を行った。この作品群も趣深い。なぜここまで人を惹きつけるのだろうか。→