昨日朝、道端に咲いたサフランの花束。読友様に捧げます(^_−)−☆ この生き生きとした花姿と色合い、、、元気をもらいました。
いやいや、通勤途中の道端で待伏せされたのですよ😆 タイタスの方のタモーラです。先週から『タイタス』のノートをUPしているものですから。タモーラの父性性なんて吊し上げましたから💦 庭に咲かれるのは生きた心地がしなくなるかも、、、😅
「陛下、その名にふさわしい皇帝の心をおもちなさい。蝿が飛びこんだくらいで太陽の光が暗くなりますか?ー中略ーあなたにとって気まぐれなローマの民心も同じこと。ですから元気を出しなさい。ご心配はいりません。✴︎皇帝陛下。私がアンドロニカスをみごと口車に乗せてみせます。釣り針の餌はおいしいけれど食いついた魚は傷を受ける、クローバーのくきはこうばしいけれど、食べすぎた羊は死んでしまう、だがもっと甘く危険なことばで私はあの老人をたぶらかします。」✴︎はMajor訳を挿入。
小田島訳では、このEmperor の訳を省いたが、ここでEmperorと改めて呼ぶことでタモーラ自身の権威づけにもしているのだろうと解した。このあとは、最終幕でタモーラと息子たちの稚拙な劇中劇が展開されて、ラストシーンに繋がっていく。以上、台詞上に見られるターモラの男性性への移行を観てきた。次のNoteでは、タイタスの父性性の減退を観ていきたい。
ここでも松岡さんの翻訳と比べてみると面白い。「いつの日かきっと、この連中を皆殺しにして一族郎党を根絶やしにしてやります。血も涙もないこの父親と裏切り者の息子たちは私が大事な息子の命乞いをしたのにしりぞけた、女王ともあろう者を街中でひざまずかせ、慈悲を乞わせ、それを無にした、それがどういうことか思い知らせてやる。」小田島訳では、前段の母親としての恨みの台詞を一度句点で切り「そして」と続く。これは役者が演じる時に、母の恨みから女王として「恥」をかかされた怒りへと台詞のトーンや表情を変える動機にしやすい。
これに対して松岡さん翻訳では、前半の母親の恨みの語りから女王としての怒りへ「読点」で滔々と続けられていくが、明らかに後半の女王としての怒りに重点がおかれている翻訳になっている。両者の翻訳の視点は、【Note2】で挙げたあの冒頭、それぞれの翻訳による「タモーラが息子の命乞いをする台詞」から見事に整合性をもって引き継がれている。
いずれにしても、英語は一つで文脈によって、いかようにでも日本語的には意味を変えます。しかし、日本語はたとえば一人称を表す語は、ざっと数えても10は超えそうです。「吾輩は猫である」I am a catとしか、英語では翻訳するよりないのですが、これは日本語の「吾輩」のもつニュアンスやそこから生まれる想像、味わいは伝えられませんので、翻案するなら、それにあたる英語を追加せねばならないでしょう。
Majorさん、いろいろ教えてくださり、有難うございます。全く知らないことばかりで、勉強になりました。Majorさんの知識の深さには驚かされます。深く尊敬します。自然科学の分野では研究が進んで、定説が変わったりしますが、人文科学の分野でもそれは同じと気づかされました。私は詩が好きなので、押韻にこだわった河合さんの訳を読んでみたくなりました。
新田様、「作者には権力は空しいという思いがあり、それにくらべて自分の分野である芸術は時間を超えて受け継がれていくという自負を感じました」ーこれはその通りでしょうね。実際に劇中で幾人もの人物に語らせた台詞(詩行)やソネット詩集は数世紀を超えて、世界中の人口に膾炙リチャード三世などは史実よりも劇の中で描かれたモノの方が、長い間史実のように扱われて来ました。きっと、墓場で彼はほくそ笑んでいるでしょう。
強烈な自己疎外状況である。かくして、ここで武人タイタスとしての悲劇は完結したのだ。冒頭に述べたが、ここまでの考察でも、すでにリア王やマクベスのモチーフが散見せられ、興味深い。また、書きながら気づいたが、貞操を奪われ、舌と両手を斬られたラヴィニアが舞台に配置されている効果は大きい。それは、観客にとってのメッセージだからだ。尊厳を奪われ、話せず、文字も書けないその人体が劇の進行を暗示している。
ある意味、もの言わぬ道化けの役割を果たしているのだ。舞台演出の視点から見ても、実際の舞台にこのラヴィニアの存在がある中で、シェイクスピアのあの名台詞と詩行が謳われようと、虚しい世界を創ってしまうだろう。実際にマーカスは犯され拷問を受けたラヴィニアの変わり果てた姿を見て、弔辞にも近い詩行を並べている(Set speech)。
絶対王政・重商主義政策の下にヨーロッパ覇権を巡る戦争と外交を展開し、見かけは強く勇ましい国家を演出していたエリザベスの時代である。ローマ帝国時代の戯曲は国威高揚に一役買い、多くの観客をカタルシスに浸らせただろうと思う。
さて、他のシェイクスピア劇にみられる箴言にも似た名台詞や美しい詩行が極端に少ないこの作品の文学的な味わい、悲劇の本質はどこにあるのか。ローマ時代の家父長制を体現する権化・象徴としての武人タイタスが、その男性性を失っていく過程、そして交錯するようにしてタモーラが女性性(母性性)から男性性(ある論文では、より強い母性性としている)に転じていく展開にあると思う。この展開はマクベスとレディマクベスのそれに似ているように思う。後日にこの点について考察する。
新田さんそうですよね。評価の高い映画の方も観ましたが、個人的にはただ1点、あの主人公が正当防衛で殺しを行う場面を。原作と同じようにマトリックスよろしく、部分的にスローモーションで回してほしかった・・・(ただ、全体のバランスを壊す可能性があるので、たぶん駄目でしょうけれど。
原作のあのシーンは、マルケスの『予告された殺人の記録』の殺しのシーンを思い起こさせてくれました。殺人の細かな描写というのは、それだけで文学的なモチーフになるのだなと改めて思いました。殺人の動作を精緻に叙述することで、殺人そのもの惨さから解放され、読者にその描出を味わわせるのだろうと思います。
20年、10年も前に読了した本、数分前に読み終えた本に関係なく、蔵書から引っ張り出してきて整理できた本からUPしていますので、読了の日付はでたらめです。レビューについては昔読んだものは再読をして、UPしています。
なかなかにレビューというか、趣味の一つとしての自己本位のNoteが追いつきませんが、楽しんでいます。先日読友の方から「Majorさん、自分ばかり楽しんでないで(笑)、Majorさんの蔵書から、たまにはわたしにお薦めの著作のレビューをあげてください(笑)」とお叱りを受けました、あはは(汗)
「鋭意努力しま〜す🙇」と答えましたので、少しずつそちらの方もトライしたいと思います。
シェイクスピア全作品のNoteを綴ること。
漱石『草枕』の論考をまとめること。
カント『基礎づけ』の論考をまとめること。
が当面の目標です。きっとかなり寄り道しながらになりますが(苦笑)
仕事から離れて、皆様と読書と思索を共に
愉しみたいと思います。レビューやつぶやき、コメントに絡んでくださったり、こちらからの絡みにお付き合いくださる皆様に心より感謝しております。
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新田さんそうですよね。評価の高い映画の方も観ましたが、個人的にはただ1点、あの主人公が正当防衛で殺しを行う場面を。原作と同じようにマトリックスよろしく、部分的にスローモーションで回してほしかった・・・(ただ、全体のバランスを壊す可能性があるので、たぶん駄目でしょうけれど。
原作のあのシーンは、マルケスの『予告された殺人の記録』の殺しのシーンを思い起こさせてくれました。殺人の細かな描写というのは、それだけで文学的なモチーフになるのだなと改めて思いました。殺人の動作を精緻に叙述することで、殺人そのもの惨さから解放され、読者にその描出を味わわせるのだろうと思います。