このことがその後の帝国に影響しなかっただろうか、ということが塩野氏の問題意識。 皇帝になったマルクスが直面したのが飢饉・洪水、パルティア戦役、ペスト、キリスト教徒問題などなど。並みの人間に皇帝は務まらない。がんばれマルクス、と応援したくなる。そして、ゲルマニア戦役、どう終息させるのか……。[中]へ。
そこに至る出来事を読み手の関心を捉えて説明していく。たとえば幕府に命じられて天狗党や諸生党の騒乱を鎮めに行く宍戸藩主松平頼徳は三島由紀夫の曽祖母の兄。事態終息を図る幕府の命により頼徳は切腹。三島理解に「切腹」は欠かせないとして三島由紀夫作品に触れていく……。 クラシック音楽の演奏で「推進力のある演奏」という評を聞くことがあるが、音楽評論家でもある著者の本書は、読み始めると最後まで連れていってくれる「推進力」ある著作だった。新たに知ることも多々あり関心が途切れることなく読了。片山氏の語りに魅了された。
「観」について語る文章は、少々難解であったが、「骨董」を語る文章が「観」の理解を助けてくれた。 また「空虚な精神が饒舌であり、勇気を欠くものが喧嘩を好むが如く、自足する喜びを蔵しない思想は、相手の弱点や欠点に乗じて生きようとする。」(「政治と文学」、p67)も自家版「人生ノート」に書きとめておこう。 →
もうひとつ、「民主主義という大芝居には、政治家という役者と国民という見物人が要る。比喩的な言辞ではない。実際に、政治家は見物のこわいことを知っている名優でなければならず、見物は金を払って来た見巧者でなければならない。政治的関心などというとぼけた言葉なぞ要りはしない。」(「吉田茂」、p216)とは、人生「観」のひとつの肝だと思う。
「説明責任」と日本語訳されている「アカウンタビリティ(accountability)」という概念は「責任の所在を他者に向けて申し開くことのできる力量」という意味が備わっているのだという(p75)。「自分の立場を一方的に説明する責任」をいうのでは、まったくない。たとえば、沖縄問題で向き合う他者とは、沖縄という場所をめぐる歴史、記憶、情動、未来などなどであり、そういったものに向き合った説明が行われることが、まさに政治というものだ。 →
「説明責任」を行わない政治の暴力性が人びとの国への想いを壊し続けていることをそろそろ政治家は気付いてもいいのではないだろうか。 とりあえず、これまでのことと「アカウンタビリティ(accountability)」の観点から選挙期間中の候補者の声に耳を傾けたいと思う。
返信ありがとうございます。確かにアフリカルーツの作家は認識がとても薄く、私も恥ずかしながら、ノーベル文学賞のことも忘れていました。Amazonで探してみようと思います。ところで、風に吹かれてさんもジャズがお好きなんですね。THE SIDEWINDER と CANDY、私も好きですよ! ちなみに私のおすすめはハービー・ハンコックと共演したCornbreadです。もし機会がありましたら、どうぞ(笑)
でも、いくら列車が並行して走ることに慣れている人でも向こうの列車のブラインドが開いて殺人の現場を見てしまったら……。セント・メアリ・ミードに向かっていた年配の女性は訪問先のマープル宅に着くと「わたし、たった今、人殺しを見たの!」と言うのだった。年齢を感じ始めているマープルは自分で捜索をしないで捜索者を派遣……。 →
殺人を行ったのは誰か、誰が殺されたのか、もちろん読みながら推理するのだが、やはり事件の周辺にいる人びとの人間模様が読みどころ。ポアロ・シリーズでもおなじみの誰と誰が仲良しになるのだろうとちょっとしたロマンスも楽しめるのだが、いろいろと展開があって……、もちろん殺されるのは一人ではなく……、本作も楽しく読了したのだった。 1957年作。
小柴敏四郎は攻撃「精神」を説きつつ強くない相手との短期局地的限定戦争を説き→何十年後かに満州を拠点に日本を「持てる国」にしようと考えた石橋完爾→相手が誰であろうと命ぜられれば戦争を行い、玉砕や「バンザイ突撃」を繰り返せば、いつか、勝利の女神は微笑むと考えた中柴末純(『戦陣訓』の作者のひとり)……。 →
明治憲法下、統帥権を持っていた天皇は治世を行うわけでもなく、政治や行政や戦争遂行は、それぞれの人間が連携もなくバラバラに行っていた。つまり、ファシズム体制にもなっていなかった。思うに、ある車のいくつもあるハンドルをそれぞれが無責任に回していたということだろうか。当たり前のことを当たり前にやっていなかった時代……、多くの国民も死んだのだった。 はて、とすれば、現在は……? 2012年刊。
NATOを拡大しないとの合意を破られたロシアなどなど。そういったことを踏まえると米国追従とされている日本の外交がこのままでいいのだろうかとの感をいっそう強くした。 新首相(10月1日より)は日米地位協定改定を口にしているが、世界で最も対等でない協定の見直しを行うなどして、バランスある日米関係が築かれることを切に願いたい。そうでなければ、さらに米国による日本の不沈空母化は進むだろうと思う。 2022年刊。
なぜ今、「平和」なのか、「勝利」ということを願わなければならないのではないか、と発言する。おそらく、それぞれ思うことを言葉にすることがお互いの関係性を深め切迫している状況の中で日々を過ごしている心をケアするのだろうと思った。 著者が旅先で出会った人々は真摯に誠実に日々を生き避難者のケアに努めていた。戦争は、いつ終わるともしれない。「戦争語彙」は増え続けるだろう。読むのが絶望するほど分厚い記録にならないことを祈るばかりである。 2023年刊。
もちろん、その後は予想外の展開で、ポアロのように私の脳は灰色かどうか知らないが、精一杯、脳を働かせながら(働いているよね、たぶん…)読み進める。なるほどなるほど…。 謎解きは謎解きとして、今回強く感じたのは女性たちの姿。普通に幸せになりたいだけなのに、それがままならなかったり、罪を犯したり…。「幸福にお暮らしなさいね。でも、人生とは、ずいぶん勇気のいるものですよ」というミス・マープルの言葉の沁みること沁みること。 マープル・シリーズは後半戦へ。 1953年作。
≪2023年の読書の主なもの≫
◎小説以外から。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ『セカンドハンドの時代‐「赤い国」を生きた人びと』(松本妙子訳、岩波書店)。ソ連崩壊前後以後を生きた人びとの証言を20年の歳月を費やして集めた。「普通の人びと」がどれほどの苦難の中で生きてきたか、これほど胸に迫って伝わってくる本はあまりないと思う。
◎日本の小説から。村上龍をいくつか読んだけど、再読なので除外すると、あまり日本の小説を読まなかったが、吉村昭には手が伸びていた。『戦艦武蔵』(新潮文庫)を選んでおきたい。どこかで敗北を予感しながら、巨大な戦艦を日本は造った。戦艦が造られていく様子の詳細さは国の滅びも辞せぬ狂気が伝わってくるようだった。
◎海外小説から。ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』(上田真而子、佐藤真理子訳、岩波書店)。以前、映画を見たことがあり、それで満足していたのだが、私が見た映画は原作の前半を扱ったものだった。何歳になっても忘れてはならないことが後半で展開されていた。読んでよかった。
≪2022年の読書の主なもの≫
◎小説以外から。ゼ―バルト『空襲と文学』(鈴木
仁子訳、白水社)。第二次世界大戦でのイギリス
空軍による無差別絨毯爆撃。爆撃による人々の苦
しみの真実を伝える文学の意義。アメリカがいく
つもの戦争で行った無差別殺戮を検証する『戦争
の文化』(ジョン・W・ダワー、三浦陽一監訳他
、岩波書店)とともに大国の帝国的差別的攻撃を
考えさせられた。
◎日本の小説から。『世阿弥 最期の花』(藤沢周
、河出書房新社)。佐渡ヶ島に島流しされた世阿
弥。島の人々が彼と共にひとつの能の舞いを作り
上げる。世阿弥が天空に舞うかのような藤沢周の
描写の冴え。感動した。
◎海外小説から。翻訳本も原書も読んだ『クララと
お日さま』(土屋政雄訳、早川書房)& “KLARA
AND THE SUN” (faber)。観察したことから学
び考えるクララ。『恋するアダム』(イアン・マ
キューアン、松村潔訳、新潮社)
(原題:MACHINES LIKE ME)のアダムはイン
ターネットを通じてあらゆる情報から学ぶ。アダ
ムは限定生産のうちの一台。人間のあらゆること
を学ぶということは人間の矛盾も学ぶということ
なのだろう。矛盾に耐えられないからか生産され
たアンドロイドの半数ほどが自らシャット・ダウ
ンする。太陽をまっすぐな心で信じるクララと好
対照。AIロボットを生かすも殺すも、人間がど
う生きるのかにかかっているのかもしれない。
《2021年の読書の主なもの》
◎日本の小説は二人の作家を中心に読んだ。夏目漱
石の全小説再読、遠藤周作の所有本を再読。充実
の読書だった。
◎エミリー・ブロンテ『嵐が丘』がこのような作品
だとは想像していなかった。一気読み。シェイク
スピアの戯曲は永遠のmasterpiece。コルソン・
ホワイトヘッド『地下鉄道』は小説的想像力によ
って構築した希望。ジャック・ロンドン『火を熾
す』、また読みたい。
◎再読であったが、ジョン・ダワー『敗北を抱きし
めて 増補版‐第二次世界大戦後の日本人』で、
日本人として知っておくべき日本の姿を改めて見
せてもらった。
◎池澤夏樹が時間をかけて訳出した話題の詩集『カ
ヴァフィス全詩』、古代の歴史に人生を読み込ん
だ詩に感銘を受けた。
《2020年の読書の主なもの》
◎漱石の俳句、文学論、評論、安部公房の小説を読
む。安部公房の『方舟さくら丸』は傑作だと思
う。
◎フォークナーの土地と人間の深い結び付きと人間
が生きることの生々しさに感銘。特に『八月の
光』。
◎小説以外では、宮本ゆき『なぜ原爆が悪ではない
のか アメリカの核意識』は教えられること多か
った。
この機能をご利用になるには会員登録(無料)のうえ、ログインする必要があります。
会員登録すると読んだ本の管理や、感想・レビューの投稿などが行なえます
もちろん、その後は予想外の展開で、ポアロのように私の脳は灰色かどうか知らないが、精一杯、脳を働かせながら(働いているよね、たぶん…)読み進める。なるほどなるほど…。 謎解きは謎解きとして、今回強く感じたのは女性たちの姿。普通に幸せになりたいだけなのに、それがままならなかったり、罪を犯したり…。「幸福にお暮らしなさいね。でも、人生とは、ずいぶん勇気のいるものですよ」というミス・マープルの言葉の沁みること沁みること。 マープル・シリーズは後半戦へ。 1953年作。