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2023年12月の読書メーターまとめ

かふ
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感想・レビュー
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ナイス
873ナイス

2023年12月に読んだ本
29

2023年12月のお気に入り登録
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  • ねこまんまさんさん
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2023年12月のお気に入られ登録
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2023年12月にナイスが最も多かった感想・レビュー

かふ
図書館本。松本清張が作家になるまでの自伝的エッセイ。職工時代の苦労は、のちの底辺を生きる人々に対する視線となって生かされたのだと思う。朝日新聞という組織の中の一地方の準社員(今で言うハケンさんか?)であった下積み時代が様々な反権力的な作品を書かせたのだ。そして両親の愛情と。両親はお互いに喧嘩が絶えない家庭であったが、それも貧しさ故という社会に対する批評眼を持てたのだ。後の社会派ミステリー作家と成功する糧となる手記であった。
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2023年12月にナイスが最も多かったつぶやき

かふ

「日本映画オールタイム・ベスト10」をやったので、「外国映画オールタイム・ベスト10」をやってみました。今観たい映画なので、厳密にはベストでもないのですけど。 https://note.com/aoyadokari/n/n224f4d39aad2

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2023年12月の感想・レビュー一覧
28

かふ
西行は出家しても桜や月の歌を詠い続けた。文武両道の厳格なイメージがあった西行だが(出家するのに娘を蹴飛ばしたとか)、出家しても歌道に彷徨い続ける人間の弱さを感じさせる西行に愛着を覚えた。遊女に慈悲の心を問いて逆にやり込められるとか子供と戯れた歌を残していたり、また歌友寂然とのやり取りの歌も面白い(寂しさ自慢)。一方歌僧として神通力に通じていたとか伝承の神話で語られる部分もある(こっちのイメージが強いのかも)。芭蕉の西行の思いを見ると俳諧に通じる心を持っていた歌人なのかもしれない。
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かふ
ゴーゴリはペテルブルグの都会人になっているから半分生まれ故郷を馬鹿にしたようなところがある(ウクライナを小ロシアと言うように)。例えばキリスト教徒がキリスト教以前の邪教的田舎を描いた風な感じであり、それが柳田国男『遠野物語』の饒舌体の諧謔的な喜劇となっているように思える。女は魔女だというように。男の胃袋を掴んで結婚した女の話とか日本にもそういう諺があった。
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かふ
黒人の女性SF作家というかなり特異な作家である。それというのもSFは白人男性が多くを占めていたという時代が続いたので。彼女が現れた80年代でもアメリカでは4人しかいなかったと。短編7本はSFだけではなく私小説風な作品からファンタジーまで。それと二本のエッセイは彼女が作家になるまでのことと作家志望者へのアドバイス。タイトル作品が今までに読んだSFとは肌合いがちがっていて面白かった。ちょっと特異な世界なので読みにくさはあるかな。読む人を選ぶSF作家だと思う。
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かふ
「昭和史発掘」が2.26事件に向かっていく裏歴史的な本。ここでいよいよ事件の核心に迫ってきた感じですが、警察の尋問記録とか関わった人の記録を読み込むので、なかなか読書が進まないです。この巻では首謀者の青年将校たちの決起までの流れと影響を与えた北一輝の思想など。北一輝については否定的な論述ですね。青年将校の中でも実直な安藤大尉にスポットを当てて彼の人間性をドラマの主人公のように描いている感じです。膨大な資料を読み込みながらそこに何があったのかを読み解く松本清張は推理作家ならではのノンフィクションなのか。
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かふ
ETV特集「森崎和江 終わりのない旅」を観て読みたくなった。中島岳志の森崎和江のインタビューで彼女の半生が語られる。日本統治下の朝鮮から引き上げてきた時の日本にたいしての絶望感と女性が虐げられている社会の中で日本の居場所を見つける旅。森崎和江は日本の虐げられた炭鉱婦やからゆきさんの聞き書きを確立させる。それは権威的になりがちな男社会の中で、中央ではなく辺境の旅を通して、その中で強かに生きる女性を描いていく。森崎和江は子供を産み育てる中で、観念としてではなく実地として人の愛や苦しみを分かち合っていくのだ。
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かふ
泉鏡花『外科室』の批評。文体が泉鏡花より読みにくいが言っていることは良かった。
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かふ
泉鏡花はこういう作風より妖怪が出てくる方が面白くて好きだった。
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かふ
『タイムスリップ・コンビナート』は東芝工場につながる鶴見線は東京の果て(鶴見の湾岸)の「海芝浦」という東芝工場と繋がている。去年の今頃「鶴見駅の挑戦状」という鉄道オタが喜びそうな企画があったのだが、それがまったく『タイムスリップ・コンビナート』の場所と重なっていた。マグロから呼び出されるというのはゴーゴリ『鼻』のような滑稽譚を連想させた。最後の『シビレル夢ノ水』はカフカ的世界をよりおぞましくした小説だった。『タイムスリップ・コンビナート』は喪失した時間の物語でもあり味わい深い。稲垣足穂の近未来小説の影響も
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かふ
後編01から先に読んでしまったがこっちが先だったようだ。ウクライナのディカーニカ村の古老の蜜蜂飼がこの村に伝わる伝承話を語る習慣があるという。遠野物語のような、そこに妖怪が出てくる話や滑稽譚がこれから話されるというような前口上だった。ゴーゴリの騙りが興味深い感じだ。
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かふ
老人の与太話というような。これから夜話の始まりという感じなんだろうか?「はしがき」とあるからイントロダクションみたいなものかな。
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かふ
ソンタグがアニー・リーボッツに撮られた写真のように死と毅然と対峙したのではなく、死に怯えていた様子が息子によって語られる。これはプライベートの部分であり公には見せなかったソンタグの一面であり、それは気のおけない家族だから見せた姿だと思うのだ(日記まで覗かれているのだから)。ちょっと意外だったのはサイードと親友だったのに何故大江とのあのような論争になったのかを考えてしまった。それはソンタグにとって癌は死を脅かすもので克服したとしても絶えず癌が意識されていたと思うのだ。最初の宣告のあとの明るく振る舞う様子など
かふ
2023/12/23 02:16

無理しているような感じを受ける。また死についての著名人の引用など、その恐怖心といつも戦っていたのだろう。それはプライベートの中のソンタグの姿であり公でのソンタグは絶えず強く自分の思い通りにしなければならいと思っていた意志の人だったのだろう。そうした強さの中に弱さも見いだせるが、大好きなベケットの墓地に祀られたのは良かったのではないか。

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かふ
以前岩波文庫で読んでいた。新訳は落語調。それがある部分では成功していると思うが『外套』ではやり過ぎな感じがした。ただこれは談志が落語かなんかでやったら面白いかもと思った。『鼻』の方が面白いかな。『外套』もその内側はいろんな作者によって代わりながら『外套』のモチーフだけは文学として騙り続けられているのだろう。カフカ的に。カフカもゴーゴリの影響を受けたかもしれないのでゴーゴリ的にか?人間の本質的な部分の観察眼とか鋭いと思う。それが現れるのが外に向けられた会話(対話=ダイアローグ)なのだ。
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かふ
ゴーゴリがウクライナの民話集「ディカーニカ近郷夜話」から「降誕祭の前夜」。「降誕祭」はキリスト誕生のこと。クリスマスの風習を折り込んだ民話となっており、クリスマス・ストーリーの一種だと思う。悪魔が星や月を盗むことから始まり、暗夜の村に起きるドタバタ劇。鍛冶屋のワークラは村一番の美人娘オクサーナ(母親が魔女と噂される)に恋するのだがつっけんどんにされてしまう。彼女が叶えられそうもない無理な注文、エカテリーナ女帝の靴をプレゼントして欲しいという言葉を真に受けて、悪魔をやっつけながらその目的を果たす。
かふ
2023/12/21 04:12

noteの記事から興味を持って読んだが面白かった。他の「ディカーニカ近郷夜話」(最近公開されたロシア映画『魔界探偵ゴーゴリ』シリーズがこの物語をオカルト・スリラー仕立てにしていた)も読んでみたい。https://note.com/1181kd/n/nf8f72c6ffad1

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かふ
これはシェイクスピアが全てつくったのではなく共作ということだった。共作部分もシェイクスピアのそれまでの作品の影響を受けているようで(パロディ劇としているが)シェイクスピアをよく知る人物が関わってると見る。セリフはシェイクスピアより劣っていると言うので弟子筋なのかと思う。ロミジュリの薬の話から悪女の王妃、ハムレットの亡霊、男装する姫とか最後の強引なまとめが『終わりよければ全てよし』のようだった。善悪がはっきりしているのが登場人物が多すぎる。中心になるのは姫のイモージェンで貞操を試す劇となっている。
かふ
2023/12/18 18:25

その罵声が女性蔑視というのか時代のせいなのかかなり酷いから今ではあまり上演されないのかな。貞操であれみたいな話だし、あとピザーニオの忠義心かな。活劇としてもシーザーとの戦いで面白かった(確かに盛り込み過ぎるというのはあるかもしれない)。あと『ダロウェイ夫人』の最初のシーンに影響を与えたとか。これを読むきっかけもアリ・スミス『冬』で言及されていたからだ。シェイクスピアのイギリス文学に与えた影響の大きさを知る。

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かふ
翻訳詩が掲載されてないのは残念だけど、年代順に彼女の詩を読むことが出来る。それだけで彼女の人生が垣間見られるのだった。外の世界に憧れ表現の自由を求めたが彼女が生きた時代は軍国主義化していく日本だった。病ということもあったが、彼女の感性は戦争には耐えられなかっただろうと思う。https://note.com/aoyadokari/n/ncee5521010ec
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かふ
ソンタグの『反解釈』は「解釈しない」という「解釈」であって、権威的な解釈よりはキャンプ趣味(キッチュみたいなものだと解釈するけど)で楽しもうぜ!みたいな、だからソンタグの批判的部分の釈明ではなく面白さを伝えればいいと思う。『反解釈』では『ラドン』のピアノ線が切れて実際に炎上してまうハプニングの素晴らしさを語っているのだった。そういう予想外の出来事を楽しんでしまおうというヒッピー文化的な側面があったのだ。『写真論』ではダイアン・アバースのフリークスに惹かれてしまう大衆の欲望みたいな。
かふ
2023/12/16 20:09

それが自身が癌宣告を受けてそれを親友の写真家に撮影させるというスキャンダラスな事件をも予想していたと思うのだ。そういう意味でソンタグ自身フリークス的身体性(これは老いや病では誰でも経験するかもしれないのだ)を晒したのだと思う。それは息子との解釈の違いは当然であり、そこから議論が生まれていくような問題提起としてのソンタグの姿なのだ。大江健三郎との討論は朝日新聞という紙上でのもので、ボスニア民族紛争でのNATOの爆撃の是非という問題があったのだ。その行き違いがあったのだと思う。討論ではよくあることだと思う

かふ
2023/12/16 20:17

隠喩については大江健三郎は文学者なんで隠喩を使ってしまうのだろし、ソンタグは批評家なので言葉の意味を明確にしないと気がすまない性格なのだと思う。その行き違いだから、結局ソンタグも9.11のときは軍隊派遣に反対していたので、そのときの討論は無駄ではなかったのだと思う。ソンタグの論争癖みたいなものがあるのだと思う。それは批評家として当たり前のことなので、ソンタグのスキャンダルを述べるのはそれで興味を持つ人もいるだろうが、『隠喩としての病』は癌だけでなくエイズやウィルスがあらゆる場面に使われているのだ。

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かふ
柄谷行人のあとがきだけでも読めば大体のことは理解出来ると思う。この本がわかりにくいのは当時のフランスの議会政治の党派関係や支持基盤が見えにくいからだった。マルクスの『資本論』はソ連が崩壊したあとにこそ有効なのだ。ただそれは希望としてではなく絶望的状況で。だから我々はナポレオンを求めてしまう。大衆の欲望がナポレオンを生み出すのだ。https://note.com/aoyadokari/n/nf5b00911f191
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かふ
鏡花の幻想譚は、近代化の汽車とか出てくるのだが、自然を喪失した都会から山奥へ旅することで失われた日本の文化へと尋ねいく。それは柳田国男がいう山の神であったり湖の女神だったりするのだろう。高野山の僧侶が怪奇な事件を旅人に語る『高野聖』は、僧が木の根を潜って冥界へと尋ねる。『古事記』の冥界下りを連想させる。冥界は蛇と蛭の山道なのだが、蛭の山というのがホラーだった。その山を抜け出して奇妙な宿に泊まるのだが、そこの女将がまた悩ましいのは常人ではないからで、僧侶の背中を流すシーンはエロスとタナトスを含んでいる。
かふ
2023/12/14 20:18

むしろ『眉隠しの霊』の方が面白かったような。こちらは湖の女神だろうけど、山姥のような婆さんいて、不倫した嫁が猟師に撃たれる悲劇なのだが、鷺の生まれ変わりとか、聞き手が池の鯉や鮒に投影して鷺に食べられてしまう幻想とか、いろいろな幻想譚の組み合わせで一つの方向にまとまるのではなく、様々な民話や古典文学がその中に組み込まれているのだ。解説だと木曽義仲と巴御前の悲劇も織り込んでいるとか。始まりが弥次喜多の口語体からめくるめく幻想世界へ旅人を誘うのである。それは喪失した日本の文化なのだろう。

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かふ
図書館本。松本清張が作家になるまでの自伝的エッセイ。職工時代の苦労は、のちの底辺を生きる人々に対する視線となって生かされたのだと思う。朝日新聞という組織の中の一地方の準社員(今で言うハケンさんか?)であった下積み時代が様々な反権力的な作品を書かせたのだ。そして両親の愛情と。両親はお互いに喧嘩が絶えない家庭であったが、それも貧しさ故という社会に対する批評眼を持てたのだ。後の社会派ミステリー作家と成功する糧となる手記であった。
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かふ
新潮新人賞二作に回萩原朔太郎賞の詩(詩は新鮮で面白かった)に小林秀雄賞の批評が掲載されていてお得な号だった。ただ私は三島は苦手なので読まなかったけど。新人賞は赤松りかこは期待外れ。柳美里の戯曲は良かった。円城塔の短編は面白かった。https://note.com/aoyadokari/n/n8a289cf7bffa
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かふ
全体主義が同一性を求める中で民族という幻想があることが指摘されている。同じ血であるというような幻想だ。例えば日本は古来島国だから単一民族だという。そこには大陸から流れてきた者も沖縄やアイヌの人々は外されてしまう。亡命者たちのような無国籍は国家に保証されてはいない。人権とよく言われるが、彼等の人権が蔑ろにされるのは、国家という枠組みの中でしか法も適用されないし、彼等には無法地帯に置かれる。それが戦時や内戦や民主化運動の中で国から除外された存在とされるのだ。それらに目を瞑ってしまい無関心にならざる得ない。
かふ
2023/12/10 15:40

ミルグラムの実験や人の思考をコントロール出来るとされている。それは権力側の管理システムによって、日本でも利用されたのが軍事教育や教育勅語による国家の為に犠牲となる精神だった。アーレントはそうした国が規定する国民とギリシアのポリスから発祥した市民を分けて考える。市民による直接民主主義は、代議員制になると人任せになり少数による支配が可能になる。自ら考えることを放棄する国民を国家は育て上げる。その中で正義は国家の定めるものになり、それ以外(他者)は悪とされる。

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かふ
半分ぐらいまで。建礼門院に仕えた右京大夫のノスタルジックな『平家物語』というか『源氏物語』の世界だった。平家滅亡よりも宮廷時代の恋愛が懐かしいというような恋慕の物語でその都度和歌が織り込まれているのが特徴か?批評性がないので、だらだら恋バナばかりという感じで飽きてきた。『源氏物語』は光源氏の批評性はあったと思うのだが、この物語は待つだけで恋に舞い上がってしまう侍女の話のように思える。侍女性文学というか都合のいい女に思える。
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かふ
全集で。「高橋源一郎の飛ぶ教室」で大江健三郎の入門書として紹介されたが、初読みだった。初期の大江は読みやすい。「芽むしり」というのは間引きのことで、良い芽だけを選んであとは間引くこと。それが「仔撃ち」というタイトルになっているのだが、感化院の子供たちが戦時の疎開である村に預けられるが、疫病が流行って村人は逃げてしまう。残った少年たちで共同体的な生活になっていく。語り手の兄は年長者で対立する南という仲間がいる。そこに朝鮮部落の子供が加わる。村に取り残された母が疫病で死んだ少女も交えて子供たちの生活が始まる。
かふ
2023/12/08 22:32

大江健三郎のリアリティは死が隣り合っている世界として語られる。疫病にしても母を看病した少女が死と共に取り残されて、少女も疫病で死んでしまう。また脱走兵は子供たちと生活するが、村人が戻ってくると殺されてしまう。それは戦時の軍隊では当たり前のことだった。ベ平連なんかの米軍の脱走兵とかも連想させる。子供たちの共同体も学生運動のバリケードとセクト間の争いも連想できる。それは兄弟の中でも兄は愛人が出来弟は従属させる犬が出来て事件が起きるのだった。子供たちの中にある分裂と大人たちの統制の中にある閉塞感は今も問題となる

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かふ
シィエスはもともと僧侶出身なので、保守的思考だと思うのだが、フランス革命でも上手く立ち回り生き抜いてきたので政治的判断は優れていた人なのだろう。『第三身分とは何か』で聖職者、貴族、平民(ブルジョアジー)という階級社会で、聖職者でありながら平民に落とされていた境遇が機を見て生き残る方に付くことが出来たという。最後はナポレオンとも組むようになるのだから、強かに生き抜いた政治家と言ってもいいのかもしれない。それはブルジョアの中でも都市と地方のような対立があり、上からの改革を目指して強者に付いたのだと思う。
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かふ
BSプレミアムステージで石丸さち子の演出、三浦涼介主演でやっていたので、この翻訳本を見ながら観ていた。それはこの翻訳が使われていたと気がついたから。役者の長尺のセリフを一句も間違えずにセリフをいうのは凄いと思いながら見ていた。多少語尾は違うところがあったが、特に主演の三浦涼介は感情的になるオイディプスを上手く演じていたと思う。この劇ではコロスは音楽劇なのだが、そこまではやってなかった。歌によって呪術的なセリフになるのかと。神に対する人間という構図で、運命に対して無力ではあるが贖う人間の悲劇なのだと思った。
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かふ
「d」「何も言う必要がない」の中編二作。日本の学生運動の挫折が村上春樹のしらけ世代だったように、韓国も改革運動の挫折があるのだが、著者が女性だけによりトラウマが深く諦念があるような。それが同性愛の活動家の姉と子持ちの妹の対立でシリアスな展開になっていく。ただ著者の視線は次世代の子供にも向けられているので、そこに希望があるような。日本の絶望アニメ、「エヴァ」とかの言及もあって同じ問題を抱えているのだと理解することが出来た。ただ女性解放運動は韓国の方が進んでいるのか?
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かふ
図書館本。返却期限が来たのでとりあえず返却することに。西行についてある程度知識があったほうがいいような。初心者向きではなく、さらに西行理解を深めたい人用なのかと思う。宗教人としてよりも漂泊の歌人としての西行は、自由律俳人の生き方に似ているのかな。その姿を追ったのが芭蕉らの江戸時代の俳人であり、数奇という生き方はそうして現代に伝えられて行ったのだと思う。僧侶になっても捨てられなかったのが歌であり、それを極めている限り里山の遁世の人だった。しかし晩年は歌も捨てて求道者となって山に入ったという。
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かふ
政党助成金の政党政治の危うさと供託金をただ取られるだけの泡沫候補。彼らの選挙戦を取材したフリーランスのライターが見た日本のシステムの危うさ。そこではますます全体主義化して個人が抹殺され、さらに選挙のために税金が使われていく。そして当選するのは金持ち優遇する党だったりするのだ。現代日本社会に巣食う闇が選挙にもあるのだ。以下、https://note.com/aoyadokari/n/nc1254f3b6203
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ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2010/03/16(5193日経過)
記録初日
2010/03/24(5185日経過)
読んだ本
2339冊(1日平均0.45冊)
読んだページ
570883ページ(1日平均110ページ)
感想・レビュー
2218件(投稿率94.8%)
本棚
25棚
性別
現住所
神奈川県
自己紹介

note https://note.com/aoyadokari

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