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2024年10月の読書メーターまとめ

かふ
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感想・レビュー
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ナイス
845ナイス

2024年10月に読んだ本
30

2024年10月のお気に入り登録
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  • Kazuki

2024年10月のお気に入られ登録
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  • Kazuki

2024年10月にナイスが最も多かった感想・レビュー

かふ
小島慶子のラジオで知ったので購入したのは東日本大震災の頃だと思う。それから積読状態だったのだが、北海道の開拓農民の話だと想い出して手に取る。自然と人間の開発ドラマであり、羆は荒ぶる神的な位置だと思う。アイヌでは神であるわけだし、和人の北海道開発が原因かと思われる。しかしノンフィクションという体裁を取りながらもエンタメ小説で羆の恐ろしさがホラーのように描かれている。途中ではぐれ者の猟師銀四郎と羆の戦いになるが、犬のアニメでそんなのがあったよな、と検索したら『銀牙 -流れ星 銀-』だった。
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2024年10月にナイスが最も多かったつぶやき

かふ

九月は体調不良だったり(夏バテ)一日置きぐらいに元気だったり引きこもりだったり。読書の秋と言われるが。夢見る『源氏物語』から諸行無常の『平家物語』へ。2024年9月の読書メーター 読んだ本の数:25冊 読んだページ数:6684ページ ナイス数:794ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/56191/summary/monthly/2024/9

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2024年10月の感想・レビュー一覧
30

かふ
こちらも駄目になった鮎川信夫が石原吉郎の墓前で彼との対話を思い出したり、「荒地」時代の友への手紙という形式で駄目になった自分を曝け出す。それは死ねなかった男が「寝ていた男」だったということで、大衆的な欲望に染まっていく。過去の詩を振り返り弁明するような詩が多い。むしろ若い頃の翻訳詩が面白い。エリオットの「荒地」とか。影響を受けた詩が伺える。また詩より評論やエッセイの方が面白い。
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かふ
鮎川信夫を読むのならこのシリーズの『鮎川信夫詩集』に戦後詩の代表作は収められている。この頃(高度成長期に入る頃)は恋人の娘の詩がファンタジーの世界でどうしたのかと思う(「小さいマリの歌」)。その他も短いそれなりの詩が多いのだが、これはという詩は少ないように思う。付録として吉本隆明の鮎川信夫論もこの前の詩を論じているのでここには収められていない。鮎川信夫の詩は読むよりも創作欲を刺激するということなのだが。
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かふ
李白は地方の民謡を詩にして宮廷で詠んだのは庶民の暮らしを王に伝えるためだった。民謡は女性の歌が多いのも特徴。楊貴妃を漢の傾国の美人と並び称えたので玄宗皇帝の怒りを招き宮廷歌人から追放される。それから放浪生活になるのだが酒を飲んで老荘思想に憧れて詩を詠んだ。山水画になるような詩が多い。また酒を酌み交わした友の詩も多く、杜甫と男の友情のように言われるが李白は一緒に酒を酌み交わす一人にすぎなかったと思える。杜甫の方が李白だというので尊敬する詩を遺したようだ。他に孟浩然とか日本人の阿倍仲麻呂とかの詩も。
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かふ
ブックウォーカーのポイントで購入。NHK俳句はTVで見ているのでそのテキストとして。TVの句会は面白そうなのに実際に句会をやるとそうでもなかった。リアル句会は年齢層が高くベテランばかりで、すでにその句会のスタイルが出来ているから新人は入りにくい。ネット句会はそういうことはないんだが、あまり批評もなく交流もない。付きすぎなのとまったく無視されるような感覚。NHKの句会はフォローがある。そういうのを期待すると駄目なんだな。結社の句会がいいのか?鴇田智哉誌上添削教室の他動詞を自動詞にして詠むが面白かった。
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かふ
『口語短歌、詠嘆の研究』「冗語」(諧謔性=アイロニー)が時代ともに詠嘆調に変化しているという。それは諧謔性が独りよがりの頭で作ったのに対して、詠嘆調は身体的なもので、そうした他者との隔たりを魔術的に再復活させたのが穂村弘だという。それは「手紙魔まみ」という他者を取り入れながらまみの言葉を呪術的に取り入れて隔たりを詠嘆として詠む。「玄関のところで人は消えるってウサギはちゃんとわかっているの 穂村弘」。ゼロ年代穂村弘を通過した短歌は、塚本邦雄のような諧謔性ではなく、彼等が拒否した詠嘆性に注目していく。
かふ
2024/10/29 18:18

第六十回短歌研究賞受賞後第一作 五十首坂井修一「擁腫」は「擁腫」が読めない漢字だが「癌」のことのようだ。癌で入院した惨めな様子などを詠んでいて親近感が湧く。平井弘「憂さばらし」は老獪な旧送り仮名とひらがな主体だがどこかとぼけた感じだがシビアな現実を読む。雪舟えま「家読みシガとクローンナガノー凍土二人行黒スープ付き(短歌版)」は物語風短歌。家飲みと読みをかけたのか、ネットのお遍路二人旅というような内容。石井辰彦「五つの海の傳說」。これも物語短歌だった。

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かふ
詠史は叙事詩的な英雄詩なのだが、始皇帝(三国志)のあとに国が乱れて八王の時代になると、風刺詩「百一」や戦乱を逃れて山に隠れ棲む遊仙思想が出てくる。それは老荘思想を育んだ神仙思想でファンタジー詩のようなものだろうか。その頃から思想的に個人というものが芽生えはじめていくのかもしれない。「竹林の七賢人」阮籍「詠懐詩十七首」は最初に秋思の思いから盛者必衰の叙事詩となっていく。酒を酌み交わしながら詠んだ姿に李白を重ねる。この頃から山水画の老荘思想的な遊仙詩が出てきて、それを宮廷詩人らが桃源郷のように詠う。
かふ
2024/10/29 16:45

その後次第に歴史的悲劇から個人を哀悼する詩になっていく。個人的な抒情詩になっていくような亡き妻に捧げた潘岳「|棹亡詩」は人麻呂「泣血哀慟の歌二首」に通じるのかもしれない。https://note.com/aoyadokari/n/nf48e9e53461f

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かふ
同じ死刑囚でも坂口弘の短歌と大道寺将司の俳句は違う。それは短歌と俳句の形式的な違いだろうか?と思った。坂口弘の花は献花として他者(死者)に対する短歌の言葉としての花なのだが、大道寺将司の花は自身を託す枯尾花とか破蓮なのだ。それ以上に虫の句が多い。俳句の季語がそれらの言葉の題詠として機能するからだろうか。編者の辺見庸のあとがきに無季の句と季語の句として「懐に出面ある夜ちんちろりん」という句の解釈でこの「ちんちろりん」がサイコロ賭博だと無季の句になり虫の意味だと有季になり俳句だという。牢獄という環境で花や虫の
かふ
2024/10/29 02:41

俳句というコミュニケーションを考えた時に季語というイメージから自身の空間(領土)を詠むということなのかと思う。「人を殺めし人の真心草茂る」殺人犯の心境を真心なんて詠むのはどうかしている。そこに「草茂る」のである。ネットスラングでは「草(くさい)」ということになるのだが。そういう時代錯誤の虹の夢を追いかけている狼なのかもしれない。

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かふ
朝日歌壇で短歌の上位入賞するぐらいの豆腐屋の主人の一年間の手記。短歌を交えているので短歌にも興味引かれる。機械化される前の豆腐作りの作業や雪の日の配達の苦労が描かれている。母にまつわる話が泣かせる。この本もそんな母に捧げられている。母を亡くして老いた父との豆腐屋にまだ十代の新妻を迎えて、結婚式の記念に作った『相聞』という歌集が新聞で話題になり、新聞やTVでの活躍する。緒形拳主演でTVドラマも作られたという。飼っていた犬がいなくなり死んだと思ったら野犬になっていたと話が泣ける。全体的に泣かすような話が多い。
かふ
2024/10/27 18:57

短歌は生活詠ということで、近藤芳美の弟子みたいな感じなので今の短歌よりは昔の様子が伺えるような頑固な豆腐屋の主人と兄弟たちの家族愛の話が中心となる。その中で新妻の奥さんを迎えての歌人として有名になったり地方紙に記事を書いたりする文章は読ませるのだが、ノスタルジックな感じを受ける。確かに文章が上手いのだがあまりにも愛情あふれる家族なんで、主観的すぎるかもしれない。最後に『相聞』を載せたり、その前に読んだテロの死刑囚を描いた『狼煙を見よ』に比べて甘い感じがした。

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かふ
同じ死刑囚でも短歌と俳句は随分違うのだった。大道寺将司の俳句と平行して読んでいたのだが、反省的な歌が多く、リンチの情景も生々しく詠んでいた。一番悲痛なのはやはり母親に対しての歌だろうか?母を悲惨な場にまきこんでしまったこと。母の方が先に亡くなったのか、せめて歌だけでも残せたのは母のためによかったのかもしれない。「マドンナたちのララバイ」を聴き涙ぐむ死囚となりし牢の夕に」 ちょっとロマンチストすぎるかな。彼には花の歌が多く、大道寺将司の俳句には虫の句が多い。
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かふ
現代詩のアンソロジー。戦後から伊藤比呂美ぐらいまで。こういう詩のアンソロジーは著作権の関係で(詩は単価が高いという著者のあとがき)でなかなか出せないのだという。それだけでも貴重なのか?確かにこの手の本はもっとあってもいいのだと思うけどなかった。戦後詩から恋愛詩、子どもの詩、日本の根源詩、女性(フェミニズム)の詩という流れだろうか?今まで読んだ詩が収められていたがそれほど驚くような詩はなかったような。入門編みたいな感じなのか?
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かふ
芭蕉の俳句がミクロコスモスの世界を描いているというのは、土芳『三冊子』から芭蕉の指南書として、理解できるのだが、それがモナドとか現代思想を通過してダ・ヴィンチの細密画からキリスト教世界とかの話になるとどうでもよくなる。ただ芭蕉の方法論として、マクロの世界とミクロの世界を対置させて描いていたというのは俳句づくりの参考になる。ミクロの世界は写生なのだが芭蕉はそれをイメージとして描いていた。「古池や蛙飛び込む水の音」は蛙の声だと分散していく世界だが飛び込むという一点に収斂させていくミクロの世界が水の音なのだ。
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かふ
杜甫が叙事詩的な歴史を語りながらそこに個人としての叙情性を詠むというのが、芭蕉や日本の詩人や俳人に受け入れられたのは李白のように達観して自然の中で酒を飲んでいるというのではなく、まだ変革の希望があったからだろうか。それは杜甫が家族に抒情性を感じていたので、尊い家族の絆と自然の恵みや氾濫の中に盛者必衰の個人の情を詠む。それは『平家物語』のようでもあり、橋本治が『双調 平家物語』で安禄山の乱を取り入れたのは、杜甫の影響があったのかもしれない。叙事詩と抒情詩の邂逅が杜甫の詩の中にある。
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かふ
馬場あき子レジェンドのインタビュー『短歌』の裏方たちが面白かった。中井英夫が『短歌研究』から『角川 短歌』の編集長になった時期で、この頃が前衛短歌の全盛期であり、批評も盛んだった。当時は前世代の近藤芳美や宮柊二のリアリズム短歌を否定して塚本・岡井の前衛短歌の方法論が叫ばれていた。それは中井英夫がなんとしても世代交代させなくちゃ、このままでは短歌も衰退していくという思いが新人歌人を起用して、それがブームになっていく。結社よりもジャーナリズムが作ったブームで、短歌雑誌に歌集が付録で付いていたりとか、
かふ
2024/10/18 16:48

歌人以外の外部の人を招いての批評とか興味深い。今の歌壇の停滞は内輪だけに留まっているからだろうか?日常詠よりは時事詠に興味があり、当事者と批評性も興味深い内容。けっして当事者の歌がいいというわけではないが、日常詠が即時事詠になるような歌に憧れる。東日本大震災から震災の短歌を読み続けている人が高野公彦の震災時事詠かなわないというのはなんだろう?歌の上手さがあるのだが視点の違いだろうか?「香水」という地震とは全く関係ないものから地震を詠む。

かふ
2024/10/18 16:56

黒木三千代の自身の身体性を通して時事を詠むというのは新鮮だった。「声に出して読みたい短歌」ではネット時代を反映してか、黙読の中に声を聞くというような指摘があった。絶叫短歌とか演歌みたいな短歌は今は流行らないのだろうと思った。田中拓也の短歌で小高賢はもう故人だと知った。馬場あき子のインタビュアーは小高賢だと勘違いしていた。

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かふ
昭和一桁の俳人の自選句100を第一句集から選出したアンソロジーで試みとしては面白いのだが、あまり特徴的な人がいないのでみな同じような句ばかりのような気がする。40名のうちに名前を知っていたのは8名ばかりで、これはどうしたことだろう。俳人はあまり後世に名が残らないのか?これが俳壇の現状なのかと思う。まだ短歌の方が名が知れているような。
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かふ
現代詩は難しい。ほとんどお手上げ状態。特集動物詩ということで、動物が象徴的に使わられている象徴詩を想像したが、奇妙な虫の詩とか(この世界いはしられてない虫がごまんといる)。そういうのも現代詩なんだと思うのだが、もっとわかるような詩が欲しい。パラパラと捲っていたら「誰も知らないルーマニア詩の泉」というエッセイが目に止まった。HAIKUがあったからだ。「犬に噛まれている/ 犬を透かして/ 窓のように覗き込む」この犬は象徴でルーマニアの社会主義時代を詠んだ詩だとわかる。ニキータ・スクネスクの詩。
かふ
2024/10/18 06:49

日本語なのに理解できない歯がゆさ。ルーマニアの詩でも翻訳でも犬の象徴は理解出来る。カフカの犬もそこに含まれるのだ。ほとんど現代詩は現代詩をつくる人以外は読まないのかもしれない。でも詩はマイ・ブームだった。

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かふ
永田紅が一番若手でそれ以前の昭和の代表的歌人(一部平成歌人も含む)の自選短歌を並べる。気になる歌人の代表作を知るのに便利。あと編集委員の小池光、今野寿美、山田富士郎のコラムが読み応えがあった。特に今野寿美の「蛍」の和歌・短歌史は面白かった。お気に入りは黒木三千代「老眼鏡要るようになりこいびとよ ほとどこもかも緩ぶなる 来よ」凄い歌を詠むもんだ。その延長の時事詠でも身体的表現が光る。「侵攻はレイプに似つつ八月の 涸谷(わじ) 超えてきし砂にまみるる」イラクのクウェート侵攻を詠んだ歌だがウクライナにもガザにも
が「ナイス!」と言っています。
かふ
小島慶子のラジオで知ったので購入したのは東日本大震災の頃だと思う。それから積読状態だったのだが、北海道の開拓農民の話だと想い出して手に取る。自然と人間の開発ドラマであり、羆は荒ぶる神的な位置だと思う。アイヌでは神であるわけだし、和人の北海道開発が原因かと思われる。しかしノンフィクションという体裁を取りながらもエンタメ小説で羆の恐ろしさがホラーのように描かれている。途中ではぐれ者の猟師銀四郎と羆の戦いになるが、犬のアニメでそんなのがあったよな、と検索したら『銀牙 -流れ星 銀-』だった。
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かふ
「現代詩手帖」に連載された「討議 戦後詩」から「現代詩の現在」について、野村喜和夫(1951年生まれ)と城戸朱理(1959年生まれ)が中心となってそれぞれのテーマを元にゲストを招いて詩(詩人)の変化を見ていく。野村喜和夫は全共闘世代であり、城戸はその熱狂が終わったシラケ世代。戦後詩が荒地派から鮎川信夫を中心として喪失とアメリカ民主主義の享受として吉本隆明の言うよにサブ・カルチャー化していく中で現代詩は絶えず自己否定のコトバを持っていたと思う。そこに小説家の大衆や歌人の自己肯定のあり方など面白く読めた。
かふ
2024/10/14 14:21

穂村弘が和歌から短歌は正岡子規の時代で切れていて、われの自己肯定となっていく、なんでもわれは生きていく肯定感なのだと。その説明に納得した。どうでもいいただ事歌も自己肯定として受け入れるのだった。それが共同体のあり方で批評性は問題にならない。ようは共感さえあればいいのだという。

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かふ
性暴力被害者である著者が研究者になるエッセイでサバイバー(この言葉も初めて聞くが性暴力を克服し?生き延びた者)である彼女が性暴力の共同体体験から一般的な研究者になるのだが、研究者が精神分析医のように一般解で処理するのに腹を立てたことから研究者になろとする。そこの部分でかなり感情的なエッセイで、この人は研究者になれるんだろうか?というぐらいに感情の起伏が激しい。それは読者を選ぶのだと思う。彼女がケータイ小説を書いていたときに共感してくれた読者(実体験で性暴力を感じる読者だらろうか?)に宛てて書いているという
かふ
2024/10/13 04:41

性暴力の問題はそれを受けた被害者と加害者では感情が違う。そこをあえて感情的に書いているのか。先日読んでクッツェー『その国の奥で』でも性暴力のトラウマ(PTSD)については甘いと思ったが、ここまで感情的になるとちょっとついていけない気がした。別についていく必要もないのだが、そういう世界もあるということなのかもしれない。個人の関係性(プライベート的な)は本当に難しく司法で処理するのも困難な社会なのである。その中で社会共同体を立ち上げて解決していくしかないのだろう。癒やしを求めるというと宗教的に感じてしまう。

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かふ
戦後詩の重鎮として鮎川信夫が見た世界は「荒地」ということなんだが、その視点が死んだ友人Mと共にあり、「荒地」という共同体がそのMと彼の死によってもたらされたブランショの「明かしえぬ共同体」のようなものだと理解する。彼等は戦後という喪を共有していたのだが、アメリカという文化に対して享受的になっていく。そのときに内面の孤高の世界で詩を書き続けたのが鮎川信夫で他の「荒地」のメンバーとの齟齬があった。その詩論は今の時代では非常に読みにくく理解しにくいですけど詩は現代に通じるところもあると思った。
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かふ
特集「シュルレアリスムと短歌」に惹かれて読んだ。ブルトンの「シュルレアリスム宣言」から100年ということだ。前川佐美雄の古賀春江から刺激を受け、写生した短歌は写生句であってシュルレアリスム短歌ではない。「ひじょうなる白痴の僕は自転車屋にかうもり傘を修理にやる 前川佐美雄」。それを受けて塚本邦雄がダリ風のシュールな短歌を詠む。「革命家作詞家に凭りかからてすこしづつ液化していくピアノ 塚本邦雄」本来シュルレアリスムは無意識に働きかける創作で、意識的な作品はシュール風だがシュルレアリスムとは言えない。
かふ
2024/10/11 09:01

短歌より二物衝動の俳句のほうが相性がいいのかなと思っったらシュルレアリスム短歌と呼べそうなものもあった。「ボタンは一瞬いっさいの消滅へ、ボタンは人類な無へ、──ああ丸い丸いちっちゃなポツ 加藤克也」ボタン穴がブラックホールみたいだ。最近の女性歌人たちは奥せずシュールな作品を作っているようだ。「きみにしずむきれいな臓器を思うとき街をつややかな鞄ゆきかう 平岡直子」。シュールと言えば和歌風の古語の歌なんかシュールに思える。巫女的なもの。

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かふ
大江健三郎と同世代の南アフリカのノーベル賞作家の意欲的な二作目は「フォークナーの息子たち」を意識したのか、一人称のアフリカーナの女性の語り手の幻想と現実世界を描く。女性の手記ということで266の断片は日記ノートのようで読みやすいが内面の思考がアパルトヘイトの問題をえぐっていく。そこに男尊女卑という社会構造自体がアパルトヘイトの根っこにあり、彼女は奴隷の主人ではあるが男に従属して生きなければならないという複雑な感情が錯綜する。それは父殺しの神話であり、南アフリカの挽歌であり、ポストコロニアル文学の萌芽だった
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かふ
最初は中公文庫で読んでいたのだが、単行本の方が字が大きいかもと思って変えた。この巻は「大化の改新」が過ぎて「壬申の乱」の持統天皇の血塗られた歴史を語る。持統天皇は『万葉集』では「白妙の衣」の慈母というイメージだったのが橋本治はそれを覆す。父の息子たちが争わぬように吉野の誓いをさせた天武天皇だが、母の腹を痛めたのは一人の皇子だとして、次々に策略で対抗馬を失脚させる。それも息子である草壁皇子の為なのだが、その草壁が亡くなると、まだ孫である軽皇子の代役として天皇になるのだった。
かふ
2024/10/08 19:29

単行本を間違えてしまったので書き直し。https://note.com/aoyadokari/n/ndec890bc7743

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かふ
橋本治『双調平家物語』で「壬申の乱」を扱っていたので軍記物のように読む。この本が書かれたのが戦前であり、今の社会とは180度違うと思うのだが、斎藤茂吉が日本人の情緒としてあると考えたものが『万葉集』の作品群なのだろう。好戦的な歌ばかりえらばれているのかと思ったら大津皇子の挽歌もあり、そういう情緒が日本人の感情として一つにまとめあげるのかと思った。
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かふ
著者はもともと革命よりも生活が大事という豆腐屋だったのだが、商売が挫折してその根本を考えると社会悪があるというのでフリーのライターになった。その著作『豆腐屋の四季』を読んだ大道寺が著者に興味を持って連絡してきたのだという。著者は革命思想よりも大道寺と母の関係について深く掘り下げている。もともと日本人は心情左翼的なところがあったのだが。爆弾テロリストや赤軍派のリンチ事件などでそいう心情も無くなっていく。著者が大道寺の犯罪を肯定することは出来ないのだが母親の苦しみは理解できる。
かふ
2024/10/07 11:49

そんな情緒的な面に訴えるところがあると思うのだが全共闘闘争から孤立してテロリストになる心情も書かれていると思う。ただあまりにも一途だったり、杜撰だったりするのは若さなのかなと思う。それはテロリストの中でも性格はそれぞれ個性があり、彼は人間の弱さについて描くのだが、テロリストの中にはそういうことは革命の下に置き去りにされていく。一番のショックだったのは、大道寺あや子が北朝鮮へ行ってしまうことだろうか。母はそれが現代っ子だと思うのだった。

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かふ
父親から本を勧められて素直に面白いと従う。歌壇でも絶えず父親的(兄貴分かもしれない)な存在として、近藤芳美や塚本邦雄がいて、それでも「アララギ」を離れなかった(アララギのお坊ちゃんという)。「未来」はそんな「アララギ」の中の一つとして、今も存続していた。保守的でありながら元マルキスト。流されやすいのかもしれない。ただ弟や妹もそうだったようだから、あの頃の社会的な問題でもあるが家族的な問題でもあったのかと思うのは母親が精神病院に入ったという話。今だったらそれは家族の問題として向き合うべきなのかもと思える。
かふ
2024/10/05 01:18

四十過ぎてから何もかも捨てて逃避行のような自立をするのだが、それも必要だったのかも。ただその影に女ありなんだが、そこは詳しく語られなかった。歌壇でも兄貴分(父性)として後輩の面倒見がいい人なのかもしれない。岡井隆がよく分からなかったけどますますよくわからない人だと思ってしまった。

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かふ
いきなり和辻哲郎「風土」論が否定されて、日本人的感性というのは後学的なもので風土によるものではないという。「切れ字」論では、最初に論じた「切れ字」論に不備があったようで新「切れ字」論として理論を展開していく。ただ俳句は生物(なまもの)なので文法通りいかないもので、あえてそれを崩していく者もいるのだ。著者は比較文学の学者でボードレールと芭蕉の共通項を論じた「不易流行」論が面白かった。子規の写生も写生したあとに色付けするのは個性であるという(写実という)のに納得した。
獺祭魚の食客@鯨鯢
2024/10/04 17:48

「あはれ」「をかし」などの情感を助動詞を活用し短縮詩に凝縮させたのではないでしょうか。子規は萬葉的な写実こそ本来の姿と貫之の古今集をこき下ろしたのだと思います。

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かふ
戦後の「荒地」派から短歌・俳句、流行歌まで詩歌全般について形式論をわかりやすい言葉で伝えている。それは吉本本人の批評ではなくて聞き書きだからかエッセイのように読める。詩の形式が日常を表現するようになって簡易化された。一方で神話などの物語性を求めていく難解詩もあり、その両極端に内輪になっているのか?この本を詠む前に岡井隆のインタビュー集を読んでいたら吉本隆明との討論で完璧に叩かれたとあった。そして『言語にとって美とはなにか』で吉本に叩かれた歌人で有名になったとか。岡井隆も重要歌人として褒めていた。
かふ
2024/10/03 04:03

詩の引用があるのでアンソロジーとして面白いと思った。一応、日本の詩歌全般が見渡せるのかな。

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かふ
本朝篇になって「大化の改新」(最近では中大兄皇子・中臣鎌足らのクーデターとして「乙巳の変」)。蘇我蝦夷は父馬子の女性を使っての勢力拡大(鼠が穴で掻き回すとか性的に喩える)に疑問を持っていたのだ、母が物部氏の娘で馬子によって一族が滅亡させられた、が女性天皇が誕生すると父の政策を理解する。そして自身も直系の子孫に相続させるのだが、三代目になる入鹿は横暴で考えが足りない。そこで蘇我家の分家の不満もあり、そこに目を付けた中臣鎌子(後の藤原鎌足)が青年皇族の中大兄皇子取り入ってクーデターを起こす。
かふ
2024/10/01 20:29

中臣鎌子に視点が移ると物語が動いて面白くなっていく。最初に取り入った軽皇子はどうしようもない皇子なのだが、ポロ(鞠打・『光の君へ』でおなじみの)で颯爽と登場する中大兄皇子が理想の国造りに燃える皇族で鎌足は彼に可能性を見出すのだ。そして蘇我氏滅亡のシナリオが出来る。入鹿暗殺の場面の臨場感は映画化してもらいたいほど。入鹿が殺されたあとの蝦夷の悲壮感。さらにその後の皇族同士の殺し合いの世の中になって失意のうちに鎌足は世を去っていく。この巻きは歴史的にも面白かった。ただ皇族の名前が混乱するので系図が必要だった。

が「ナイス!」と言っています。
かふ
近代詩から富岡多恵子まで満遍なく80人の詩が収まっているアンソロジー。テーマ別にわかりやすい詩が多いのだが枠内にある平凡なアンソロジーになっているな。西脇順三郎とか押さえているけど面白い詩じゃない。金子光晴も童話詩だし。刺激がなさすぎるのかもしれない。「荒地派」とかとりあげているんだけど、大人しい詩が多い感じがする。詩のイメージがこうしたものだというイメージを超えていかない。わかりやすい詩が多いんだけれども。言葉を破壊するような詩がないような。宮沢賢治の妹の死を詠んだ詩ぐらいかな。面白いのは。
sakesage
2024/10/01 03:31

コメント失礼します。私も永訣の朝を読んだ時を忘れられません。あれは宮澤賢治きっての詩ですよね。

かふ
2024/10/01 04:02

コメントありがとうございます。宮沢賢治「永訣の朝」です。タイトルがとっさに思い浮かばなかった。

が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2010/03/16(5366日経過)
記録初日
2010/03/24(5358日経過)
読んだ本
2496冊(1日平均0.47冊)
読んだページ
615920ページ(1日平均114ページ)
感想・レビュー
2373件(投稿率95.1%)
本棚
26棚
性別
現住所
神奈川県
自己紹介

note https://note.com/aoyadokari

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