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2024年4月の読書メーターまとめ

かふ
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632ナイス

2024年4月に読んだ本
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2024年4月のお気に入られ登録
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  • テル35

2024年4月にナイスが最も多かった感想・レビュー

かふ
辻邦生が書いた西行の歌物語。西行の和歌を辿りながら『源氏物語』から『平家物語』に至る世界を描いているような。桜は『源氏物語』の歌であり、月は『平家物語』の歌世界であるかのような。西行が歌によって世界を築くということは、桜のように散ってしまう世界でありながら月影に照らされた自然と一体化していく鎮魂の歌なのだろうと思った。その中に崇徳院という怨霊伝説を物語を組み込んでいた。前半はその母である待賢門院との愛(桜)の物語。
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2024年4月にナイスが最も多かったつぶやき

かふ

映画の話。『モンタレー・ポップ』は六十年代後半にタイムスリップしてしまうライブ映画で感動した。ジャニス・ジョプリンの凄さと言ったら... https://note.com/aoyadokari/n/n8845adc6617c

Buffalo2004_TYO
2024/04/01 21:17

モンタレーポップ、いいですよね~。私はとにかくモンタレーのオーティス・レディングとMGsが大好きです。

かふ
2024/04/02 01:55

オーティス・レディングも熱かったです。ジャニスもシャウトの仕方とか黒人歌手の影響がありますね。

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2024年4月の感想・レビュー一覧
29

かふ
特集俵万智は俵万智が今ブームだというジャーナリズムの視線だろうか?そういう波に乗っていくのが上手い歌人だとは思う。それも才能か?俵万智は口語短歌を流行らせながらきちんと伝統短歌を踏まえた人だとわかる特集だった(特にリズムについては勉強になる)。女子大生歌人も先生で母親だった。その安心感が受けるのかもしれない。オヤジ受けがいいのも一つの才能だった。
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かふ
電子書籍で第三集まで収録されている完全版か?「心象スケッチ」ということから、その日あった出来事を日記のように詩を書きつけたもの。その中に後の『銀河鉄道の夜』のアイデアとか含まれている草稿。宮沢賢治の詩的飛躍に面食らうが、いろいろ評論などを読んでいくと背景として、妹の死や恋愛感情があったのだとわかる。賢治の中にある宗教的な葛藤を複雑な哲学的な世界観に昇華させ詩に。第三集が賢治の精神状態が一番安定しているという。でも第一集に傑作が多いのだ。第四集も以前はあったというが、別稿で口語詩としてまとめられているとか。
かふ
2024/04/29 10:26

入沢康夫は宮沢賢治は手帳にシャープペンシルを持ち歩いて、素早くそのときの感情を詩にして書きつけたという。そういう生々しさの詩的体験を読んでいく感じだ。内面の精神日記と詩の中間ぐらいの感じか。中原中也が何冊も買って、友達に配ったというのはよくわかるような。詩の入門として、面白いのかも。

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かふ
『白鯨』が世界文学であるというのは単にアメリカ文学というだけではなく前キリスト教的世界を描いているからだろうか。船長のエイハブは拝火教(ゾロアスター教)という悪魔であり、「モービィ・ディック」もレヴィアタン(リヴァイサン)という悪魔なのだ。キリスト教以前の神話的世界であり、ピークォド号が多民族の世界(様々な人種が乗り込んでいる)となって白鯨に飲み込まれていく。それは旧約の「ヨナ」の話を元にしているのだろうと思った。
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かふ
有季定型の俳句ではなく、戦時中に新興俳句が弾圧され、戦後にもその後遺症のようなスパイ事件があったりして、著者は絵画や映画から新興俳句を論じ、高柳重信の多行俳句の解釈をしていく。それも俳句の姿だというのだが俳句がイメージによる短詩であることを解説していく。高柳重信への興味が一気に開花していくような読書であった。
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かふ
ナショナルグラフィックの図鑑だから絵が凄い。こんな地獄絵を見せられたら地獄に行ってみたいと思う。日本の地獄絵の方が稚拙な感じだが、その分どろどろしている感じだ。こっちはアートの世界だから、美しいというかそれで面白い。天国図もあるけどやっぱ地獄図に憧れてしまう。キリスト教世界の地獄図は特にアートとして観賞出来る。ゾロアスター教とかは稚拙な絵の方がおどろおどろしい。エジプトとかインドの絵はカラフルで夢の世界。https://youtu.be/EgaBb4OOlp4?si=4QO-4OSgV2kRgJIw
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かふ
地獄絵の元になるのは源信(恵心僧都)『往生要集』からで『源氏物語』の横川の僧都のモデルとされるが『源氏物語』では地獄よりは極楽浄土の世界を説いている。貴族社会では極楽浄土を好んだのにその後庶民に下って地獄絵が盛んになったようである。その普及に熊野比丘尼がいて、彼女らが地獄絵の絵解きとして説法したという。当時女性の地獄落ちが多かったとされたというのは、そういう存在だったのだと思う。絵解きは熊野比丘尼の商売だからそれ以上話を聞きたければ金を出せということで地獄の沙汰も金次第という言葉が生まれたという。
かふ
2024/04/26 09:17

地獄は双六とかあってサイコロの目が南無阿弥陀仏だという。あと盂蘭盆の元になったと言われている。極楽絵よりも地獄絵が好まれるのは、やはりこの世は地獄だと思っていたのかもしれない。

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かふ
梯久美子『サガレン』を読んで宮沢賢治に興味を持って、引き続きこの本を読んだ。この「真実」という言い方は「事実」は一つだが「真実」はそれを語る人の数だけあるということだ。これは今野勉が思う「真実」であって、宮沢賢治の「事実」ではないかもしれない。ただ宮沢賢治の同性愛についてはETV特集でもやっていた。そこから「銀河鉄道」のモデルとするのはどうなのか?『春と修羅』詩の分析は見事なのだが、妹の追想ということでいいような気がする。
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かふ
考えてみれば伊藤比呂美は女性性を自我の確立として全面的に「わたし」を出してきた詩人であり、町田康はロック歌手としてカッコよく見られたいという観客(他者)を必要としていたのである。その文学的違いかな。町田康が演劇的というのは寺山修司とかに重なるが、それはどう見せるかというパフォーマンスの延長が文学であり、自ずと出自を問う伊藤比呂美の詩とは違うのであろう。だから伊藤比呂美は仏教のような方向に惹かれるし、町田康は戯作という物語なのだと思う。町田は憧れ(ヒーロー)の人物像を創作するのが小説であるとする。
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かふ
昭和の俳句史を句作から批評まで網羅した本。昭和の前衛俳句が中心だが、やがて現代俳句協会の分裂で、現代俳句協会の『俳句研究』と俳人協会の『角川 俳句』に分裂するのだがその時代はジャーナリズムの台頭で大衆化されてゆく。それと共に前衛俳句は尻つぼみになっていく。『俳句研究』は高柳重信というオーソリティの元で専門的になっていくがそれは俳句の分化を促していったのだと思う。今は二極化の時代だが実質角川俳句の勢力なのだというのは、この本が角川から出ているというのも頷ける。昭和俳句史の流れがよくわかる本だ。
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かふ
語り口は優しいそうだが、内容はかなり難しい。仏教の理論そのものだから。(世界=現象は)一切が苦で一切が空ぐらいしか得るものがなかった。なによりも般若心経は呪文であるから、意味よりも口承で唱えることが大事といういきなり説明もなしにシャリーブトラさんとか出てくるのでお前は誰なんだよ!となったりするのだ。釈迦(に成り代わった著者)がシャーリープトラという人に教え語るというスタイルなのだ。これは一つの小説のような作品と読むこともできるかもしれない。
かふ
2024/04/22 03:35

巻末近くに意訳と書き下し文が掲載されているから、そっちの方が意味は汲み取りやすいかもしれない。それは今までそういう説明(小説)を読んできたからだろうか?面白いのは「絵心経」。その絵は漢字の意味とはまったく関係ない。御経として唱えることが意味あることだからだ。もともとサンスクリット語を中国の玄奘が漢字に翻訳したのを、また日本語で解説するので、厳密な理論がわかるわけないのである。まあその時間が一切が空だということがわかればいいのかな。あとはひたすら無心になって御経を唱えろと。

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かふ
『源氏物語』の解説本というよりも吉本隆明が『源氏物語』を通して文学をどう読むのかという本であり、あとがきに古典の学者に細かいところを突かれていたが、原典主義者でもなく、『源氏物語』を勧めるのなら手に入り安い与謝野晶子源氏が誤訳もあるがいいという。それは与謝野源氏が彼女の『源氏物語』を構築出来ているからだと思うのだ。例えばウェイリー版でも橋本治版でも『源氏物語』は文学として楽しめる。それは彼らの中に『源氏物語』という文学世界(空間)が構築出来ているからだ。それで吉本源氏はどんな世界だろうとかというと、
かふ
2024/04/20 16:41

藤壺が影響を与える昼の世界と六条御息所が影響を与える夜の世界に分類する。その元に母性という光源氏が手にしたい世界があるのだ。それは母であるが愛人としての近親相姦であり、それが天皇の妻であるからなおさらタブーである行為なのだ。近親相姦的愛の物語は神話的なのか、藤壺の物語はそうなのだが、次第に現実的な愛の物語になっていく。それが様々な女の物語なのだが、最終的にはそれらから解脱していこうとする仏教思想があるようだ。その変化は作者である紫式部の変化であるという。影響関係にある『栄花物語』との比較の一覧が面白い。

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かふ
新興俳句運動が弾圧されたときに渡邉白泉や西東三鬼などは古俳句を研究したという。そこに江戸文化の俳諧は洗練されていたのだと思う。その弟子である三橋敏雄は戦後になってその成果として『真神』を発表する。そういう流れで古俳句は、どう読んでいたのか気になり手に取ったが、表記が難し過ぎた。ただ加藤郁乎は芭蕉と共に其角を重要視している。江戸俳句の諧謔性とモダンさを芭蕉以上に持っていた俳人であり、芭蕉の弟子でありながら芭蕉も多く学ぶものがあったとか。其角については他の本を読んでみたい。芭蕉との関連本がいいかな。
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かふ
特集 昭和の俳句は川名大のインタビューが載っているのだが、川名の主張は昭和に分裂があり、一方が角川系列の俳人協会で、もう一方が「俳句研究」の新興俳句系の現代俳句協会で川名大は「俳句研究」から出た人だから珍しいと思ったが川名の新刊は角川から出ていた。それも「昭和俳句」シリーズみたいな。その最初の川名大の本が「昭和の終演」だった。角川の昭和俳句史は新興俳句の白泉とか富澤赤黄男を掲載していない。それは俳人協会の人が選んだからかなと勘ぐってしまう。冒頭、 池田澄子50首もおおと思ったがその第一首目が虚子の句の追想
かふ
2024/04/19 06:26

「山川草木そしてわたくし去年今年」なのであり、昭和俳句の座談会で最初に取り上げられたのが虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」なのだ。みごと「棒の如き」虚子の俳句で貫かれている「角川 俳句」であった。

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かふ
『窯変 源氏物語』に比べてすいすい読めるから始めの方は忘れていた。「玉鬘」十帖に印象が強く残る。日本のしきたりを英語に翻訳するのも慣れてきた。鏡餅が「ミラーケーキ」とか、「ゴセチ・ダンサーズ」(舞姫か?)とか面白い。花や鳥などは日本のものよりもイギリスで馴染にあるものに替えていたりして興味深い。鶯→ナイチンゲール、葵→向日葵とか。息子世代になると同じことでも喜劇的になるようで、そのへんもスラスラ読めた。夕霧の愚鈍さは光源氏があまりにも現実場馴れのスーパースターだからちょうどいいのではと思う。より現実的だ。
かふ
2024/04/17 15:45

玉鬘が髭黒とくっついたのは、良くわからなかった。紫式部は髭黒のことを悪く書きすぎだと思ってしまう。誰も幸せにならない結末だ。惨めなのは元妻で「もののけ」が付いたとかエクソシスト(悪魔祓い)とか呼ばれてしまう。『源氏物語』の「もののけ」は同情してしまうものが多い。今の時代なら「もののけ」ではなく当然の感情だと思うのだ。それを「もののけ」のせいにしなければならない悲劇がある。まあ、この巻で一番面白かったのは近江なんだけど、近江の性格に救われる。

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かふ
前衛短歌は戦後の歌壇の批判から学生短歌や「短歌研究」などのジャーナリズムから出てきた歌人たちによって形成されていく。中城ふみ子や寺山修司などは、それまでの結社からではなくジャーナリズムの中から出てくる。また塚本邦雄や岡井隆は、大岡信や吉本隆明との外部の議論から前衛短歌の手法を見出してゆく。その流れは俵万智や穂村弘に引き継がれていったのだと思う。俳壇がそうした流れにならなかったのは、外部の批評を受け入れずに伝統にあぐらをかいていたからではなかろうか?このような短歌史が今の時代の短歌を作っているのだ。
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かふ
「朝顔」が結婚しない女のエピソードから「乙女」「玉鬘」では女の幸せは結婚することであるという物語だが、男親に取って娘を嫁がせる幸せというような話になっていく。そして光源氏は一人だけではなく四季折々の妻を得るわけだが中心は次世代の息子の話になっていく。一度目は悲劇として、二度目は喜劇としてというようなコメディ色が強くなっていく。面白いのは惟光の息子と夕霧の関係で、惟光の息子も夕霧同様要領が悪い。結果的に光源氏の息子の妻になれるかもと期待して惟光を喜ばすという。
かふ
2024/04/15 07:28

光源氏の一人称なのに、神の視点というか夕霧の行動も玉鬘の過去も把握している不思議。たぶん光源氏にはスパイ網のようなネットワークがあるのだろうと考えているが、三人称である語りもあまり不思議に思わないのは、第三者的視線によってコメディ化されているからなのかと考える。光源氏の批評としての『源氏物語』という紫式部の『源氏物語』とはまた違った面白さがあるのかもしれない。紫の上との対話も嫉妬する妻というコメディタッチのような。

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かふ
明治の作家はまだ文語体で書くものが多かったがそうした作家のテキストとなったが古典の『源氏物語』や和歌であった。それは考えれば当たり前なのだが、もともと文語が出来たから『源氏物語』が読めたのでもなく、それを学んだからだということだった。鴎外の小説の雅体の文語体が『源氏物語』とまったく同じものであるわけでもなく、むしろ『源氏物語』は当時は悪文とされていたようだ。鴎外はそこから文学的雅体を創作したのが『舞姫』だったという。つまりそれは古典文学との文学的格闘を通して生み出されたものだった。
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かふ
中国文学の講義録。白楽天は「長恨歌」の講義で、中国ではあまり評価されていないのは、不道徳文学であり歴史小説ではなく白楽天の創作だからということだった。日本では逆にそれが評価されており、『源氏物語』でもファンタジーとして受け止められている。著者は、白楽天は作家だとした上でそういう虚構の創造性(詩的表現)が素晴らしいとする。史実書と比べながらどう白楽天が浪漫を描いたかを明らかにする。また中国と日本の色に対する違いとか興味深い。中国では黄色は土の色(黄土)で中心となる色で黄色信仰があるという。
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かふ
梯久美子が鉄オタとは知らなかった。特に廃線マニアということで、サハリンに敷かれた旧日本軍の廃線の旅をするのだが、前半はそんな軽い導入部なのだが、第二部がありそちらは宮沢賢治の詩と妹トシの死と銀河鉄道の関係。銀河鉄道が旧日本軍のサハリンの鉄道であったと推理して行く中で、宮沢賢治が辿ったサハリンの旅。驚くことにそこにチェーホフ『サハリン島』があり、それが最初に翻訳されたときは、「サガレン紀行」であったとするのだ。それを宮沢賢治が読んでいてサハリンに行ったのではないかとする。興味深い紀行文になっていた。
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かふ
京都大学での講義内容で世界文学ベスト十みたいだけど、ちゃっかり自分の作品を入れているから違うのかな。文学の面白さについて、時代と共に文学が変わっていくのを講義しているのだが(アメリカ文学中心だろうか?)、今読むと女性作家の作品が一つもないのが痛いかな。2003年だからフェミニズムとか出てきたと思うが。全集のほうには女性作家も入れているのに、それが残念かな。自分の作品の前に女性作家を入れろということだ。紫式部とかいるんだし。
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かふ
伊藤比呂美の解説がわかりやすい。初期というか全体的に政治色の強い伊藤比呂美の言葉にするならアジテーションというような詩が多いのだが、それは時代性なのかな。敗戦後から自由な意見が言えるようになって社会性の詩を作っていたのだが、それから個人の詩をつくるようになる。石垣りんが教科書に載るのはこのころの詩で個人を押し出す詩なのだが、そこから一歩踏み出し家族の恥部というようなものも詩にしていく。そこがまさにこの社会で生きること他ならないのだ。そういう詩は教科書には載らない。
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かふ
辻邦生が書いた西行の歌物語。西行の和歌を辿りながら『源氏物語』から『平家物語』に至る世界を描いているような。桜は『源氏物語』の歌であり、月は『平家物語』の歌世界であるかのような。西行が歌によって世界を築くということは、桜のように散ってしまう世界でありながら月影に照らされた自然と一体化していく鎮魂の歌なのだろうと思った。その中に崇徳院という怨霊伝説を物語を組み込んでいた。前半はその母である待賢門院との愛(桜)の物語。
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かふ
俳句界も高齢化問題は無視出来ないようで結社の最年少が50歳とか。ほんと紙面を見る限り若者がいない感じなのである。危機感はないのかな。思うに俳句の表現法が外国語のような難解漢字があったり文語や旧仮名遣いとか中心だから若い人は入りにくいと思ってしまう。短歌はまだ口語短歌が勢力があるが俳句はほとんど文語体が外国語のような感じをうけてしまう。そのぐらいならいいのだが難解漢字の問題は、読めないんだからルビぐらい振ってもらいたいと思ってしまう。教養主義なんだろうか?まずそういう俳句は読まない。
かふ
2024/04/06 16:10

漢字の問題は、当用漢字が国が定めたものだから従いたくないという思いがあるのがわかるが、それがネックとなって旧字は理解するのが大変なのだ(だからせめてルビぐらいと思ってしまう)。塚本邦雄とかそうだけど、そういう人はこれからますます読まれなくなってしまうと思うのだ。第二外国語なのかと思ってしまう(実際にそういう意見もあるのだ)。すでに古典なんだよな。勉強しなきゃならない。

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かふ
富澤赤黄男は伝統俳句ではなく新興俳句の人で、まず俳句は詩であるべきだと主張したように象徴詩的な喩えが持ち味か?象徴は動物とかはわかりやすいと思うが、赤黄男の青春・壮年時はすべて戦時であったことで、そこでは言いたいことも言えなかった。それが象徴という手法で赤黄男俳句は絵画的な独自な世界を描いている。一字空けは、俳句のリズムの在り方で釈迢空の短歌のような句読点によりリズムだと見ればいいのだろうと思う(七五調に従属したくなかった)。それはわかりやすい。赤黄男の句はわかりやすい言葉だけれども奥が深い感じで好きだ。
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かふ
西欧哲学(論理学)批判であるのだが、ユダヤ・キリスト教が哲学の元にあり一神教的問いかけが自己と神になるので堂々巡りしていく。日本語は他者との関係性で成り立っているから哲学的には適した言語だと哲学(論理)しているのは膠着矛盾しているようであまり良く分からなかった。論理だけでなく感情(こころ)も大切だと構造主義的なことなんだと思うがあまり日本語ばかり褒めてもなとも思うのだった。外部の影響があって発展してきたのだから。哲学ならなおさら。論理が複雑に錯綜しているような感じを受けた。ベルグソンとか褒めているのだし。
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かふ
短歌雑誌は作品を丁寧に読もうとすると時間がかかる。まだ好きな現代短歌作家がいないから一応全部に目を通すようにしているのだが、難解漢字や古語が出てくるとめげてしまう。せめてルビが欲しい。まだ短歌は若い人がいるから面白い作品もあるのだが。今月号では、北山あさひ「うるせえドライヤー」が面白かった。正月に地震があった能登特集は、あまりぴんと来なかったが、松本清張の『ゼロの焦点』の舞台だっけと思い出しながら読んでいた。吉川宏志「1970年代短歌史28」が勉強になった。
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かふ
各帖がページ数以上に長く感じるのは光源氏のモノローグがどこまでも問いのなかに彷徨っているからだろうか?「蓬生」は待つだけの末摘花が姫として宮廷に上がっていくファンタジーとして面白い。続く「関屋」「絵合」ではぐっと明るい調子になっていく。「関屋」では空蝉よりも小君の不服従に腹を立てる。「絵合」がこんなにも明るく感じられたのはそれまでの経緯があったからだろうか?「松風」は再び待つ女と母でありながら愛人である悲しみ。光源氏は母たちをどん底に落とす悪魔大王なのかと思うほど酷い。
かふ
2024/04/04 10:44

だが「薄曇」で不義の帝の不幸を自らの罪であり、藤壺が思っていたよりも心残りなく亡くなったのを許せないのだ。不義の子という堂々巡りは桐壺帝が答えてくれない限り解決はないのだろう。そこはあわれであるがそのあわれさをあはれ(古典的美へ)と昇華させていく物語なのかもしれない。あと僧に対する憎悪感とかそこが光源氏の抹香臭くならない派手さの良さなのかもしれない。光源氏のダークサイドの王はかくまでも怪しく美しいのか?

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かふ
サブタイトルに「個性派の登場」とあるのだが、その前の一巻が杉田久女で終わっているのでそれ以降の女性俳人ということになるのだが、ここから4Tという虚子が名づけた女流俳人の時代になるのだ。それは虚子の元の「ホトトギス」の中にあって活躍した女性俳人であった。三橋鷹女はちょっと違うが。橋本多佳子にしても、感情を抑えて花鳥諷詠にしなければならなかった。その感情は晩年の句に出ていると思う。星野立子や中村汀女さえも晩年の句には感情が読み取れるのである。それは虚子俳句とは違う方向性だったのだ。
かふ
2024/04/01 09:57

「雛飾りつゝふと命惜しきかな」「露の世の間に合わざりしことばかり」星野立子の晩年の二句に感情が込められていると思う。短歌的とでも言えばいいのか、そこには私を脱ぎ捨てられない私(詩)情があるような気がする。

が「ナイス!」と言っています。
かふ
『源氏物語』を読んでい登場してくる白居易。「白氏文集」や「長恨歌」が日本でも愛されていたのは、儒教思想と老荘思想がバランス良く歌われているからか?杜甫と李白を合わせたような、官僚世界の厳しさも田舎の悠々自適な余裕も感じさせる詩が並ぶ。ただもともと超エリートなので、その根本には上昇思考があったのだが詩人としてのロマンも持ち合わせていた白居易なのであった。西湖は白居易が灌漑工事で作った風光明媚な観光地なのだが、その隅々まで熟知しているからそういう詩が書けるのだった。「長恨歌」が紹介されてないのが残念なのだが。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2010/03/16(5161日経過)
記録初日
2010/03/24(5153日経過)
読んだ本
2320冊(1日平均0.45冊)
読んだページ
563537ページ(1日平均109ページ)
感想・レビュー
2199件(投稿率94.8%)
本棚
25棚
性別
現住所
神奈川県
自己紹介

note https://note.com/aoyadokari

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