大江健三郎に手こずる。メインは今月も大江健三郎だった。2023年7月の読書メーター 読んだ本の数:49冊 読んだページ数:10458ページ ナイス数:1136ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/56191/summary/monthly/2023/7
新古典主義が古典の不変性に永遠の美を見出していくのだけど、日本の古典は不変でもなく変わりゆくものだというのがあるのだと思う。そこに和歌や芭蕉の俳句から与謝野蕪村につながっていく世界があるのかな。ヨーロッパの新古典主義(T.S.エリオット)とはちょっと違うような。というよりジョイスなんだよな。https://note.com/aoyadokari/n/n5f4da54a5be0
メモ。読みたいと思った本。『デューン』、『バベル17』、『虎よ、虎よ!』、『幼年期の終わり』、『スターシップと俳句』、『たった一つの冴えたやりかた』、『わが愛しき娘たちよ』、『ブレイクの飛翔』、『ハイペリオン』、『ディアスポラ』、『リヴァイアサン』、 感動したSF。『オッド・ジョン』『地球の長い午後』『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』ディックは全部、『スラン』、『ソラリス』、『闇の左手』、『スローターハウス5』ヴォネガットも愛読書だった、『人間以上』、『レ・コスミコミケ』
ドン・キホーテの騙りの魅力なのだが、それは批評家としての従者サンチョ・パンサがいるからより引き立つのであって騎士道だけではなく恋愛道まで講釈をする遍歴の哲学者(夢想家)になっている。https://note.com/aoyadokari/n/nf7d70896962d
100年間の古今の歌人を分類して考察した「古今集の100年」は、六歌仙の時代は藤原家の執政の時代であり、その中心から外れた個人の優れた歌人を取り上げながら紀貫之が編集していく一つの日本文化の歴史を培っていく物語であり、そして「詠み人知らず」とされる多くの無名歌人によって和歌という歴史文化が培われてきた証でもある。その間に現在(紀貫之の時代)と過去の優秀な歌人を含めて36歌仙の歌を配置していくのだ。古今集という和歌の勅撰集の創生期の絵巻(グリフィス『国民の創生』とかの映画のような)を見るようだ。
ジョイスでは左川ちかが散文に翻訳した「室内楽」が載っていた。このへんの翻訳が後世の文学に与えた役割は大きい。あとジョイスでは『フィネガンズ・ウェイク』の冒頭「アナ・リヴィア」を翻訳していたんだ。これは凄いよね。現代文学の金字塔。
三番目のおさんは好き物の男を懲らしめてやろとした女房が関係を持ってしまい心中しようと逃げているうちにいい仲になってしまう滑稽譚。それで市中引き回しの刑になるのだが、後で悲劇のヒロインになるのだった。「八百屋お七」もそんな話だ。でも美人だからなのか、そういう行為が美人的なのか、結構魅力的なヒロインには描かれている(男性視線で)。西鶴は俳諧師でもあったらしく、一夜に千句も作った、インスピレーションの人だったという。俳句とか短歌をやる人は風流な言葉で書かれて、江戸時代の生活を知るにも良いテキストだ。
ナボコフは単なるドン・キホーテの滑稽譚でもなく痛みを伴った夢の話だとする。小説の主人公は夢が行動原理になるのは、優れた小説の原理なのだという。ドン・キホーテの論理は妄想として読まずに、夢として読めば論理性が感じられるという。そして現実は夢を潰していく痛みを伴う社会なのだと。『ロリータ』もそういう原理で書かれているのだろう。他者から見れば笑えるところも本人たちは真剣なのだ。人間はもともと残酷な動物であり、他人の不幸を笑いたがる。批評は、前編だけ読んだ。後編は図書館本なので本文を読んでからにしようと思う。
四季があるからというより四季をイメージするから植物や虫に出会ったりするような。二十四節気とかなるほど言葉から感じる方が先かな。立秋とか、言われると暑い中でも風が心地よい。「雀海入りて蛤となる」という秋の季語からイメージを想像する。「蛤に雀の斑(ふ)あり哀れかな 村上鬼城」実景ではなくイメージの句だろうか。
サブストーリーも本筋と関係ないことはないのだが、多様性ということだろうか?ドン・キホーテの中にはキリスト教的騎士道精神がありイスラムは敵というのが、ネトウヨの物語としても読める。
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https://note.com/aoyadokari/n/nafa89fe8e9ba
「さよな、わたしの本よ!」→「さよなら、わたしの本よ!」で「ら」が抜けてました。削除して書き換えるのも「ナイス」を付けてくれた人に申し訳ないのでここに訂正します。