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2023年8月の読書メーターまとめ

かふ
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2023年8月に読んだ本
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2023年8月にナイスが最も多かった感想・レビュー

かふ
大江健三郎の「晩年の仕事」はサイードの本の示唆によって芸術家が晩年に自身の作品をリライト(書き直し)していくのをエリオットの詩「四つの四重奏曲」の詩のモチーフ、小題とエピグラフに老人の詩から、文学作品のリリーディングとして「ドン・キホーテ」「悪霊」ベケットから三島由紀夫の自決と別の可能性について、幅広くパロディとして論じていくのでわかりにくいところがある。それは『セブンティーン』で政治小説を書いてしまったことが作家の本意として受け取られてしまうのを自己批評しながらリライトしていくというような。
かふ
2023/08/06 18:55

「さよな、わたしの本よ!」→「さよなら、わたしの本よ!」で「ら」が抜けてました。削除して書き換えるのも「ナイス」を付けてくれた人に申し訳ないのでここに訂正します。

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2023年8月にナイスが最も多かったつぶやき

かふ

大江健三郎に手こずる。メインは今月も大江健三郎だった。2023年7月の読書メーター 読んだ本の数:49冊 読んだページ数:10458ページ ナイス数:1136ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/56191/summary/monthly/2023/7

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2023年8月の感想・レビュー一覧
31

かふ
川名大は新興俳句系の俳人、西東三鬼、渡辺白泉、高柳重信など23人の代表句集を分析し批評する。代表的な句集から特徴を掴み一句批評していく感じでわかりやすい。まあ、独特な俳句用語はあるが。高屋窓秋は「ブレーンストーミング(脳の撹拌)」シュールレアリズムのような連想ゲームみたいな感じか。「頭の中で白い夏野となつてゐる」「ちるさくら海あをければ海へちる」、渡辺白泉「戦争が廊下の奥に立つてゐた」、鈴木六林男「遺品あり岩波文庫「阿部一族」」、林田紀音夫「黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ」
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かふ
中国の古代詩だが黄河流域の詩経は素朴な民謡のようで、漢の時代に孔子によって解釈学として発展したとか。それは神話的な話より民話的で人が中心の歌なのだろう。植物に託して歌うのは、和歌と一緒のような気がした。桃が邪気を祓ったり妊婦の欲する食べ物だったり中国といえば桃というのはそういう伝統があるのかと思った。楚辞は辺境の長江の国なのだが、むしろこっちの神話の方が複雑で面白かった。そういう滅びの文化だからなのか、刹那的な愛の物語を感じた。屈原というヒーローがいたからなのか?屈原は漢代に作られたという説もあり。
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かふ
芸術は時間芸術か空間芸術か分かれるが時間芸術の代表が音楽だとすれば空間芸術は絵画ということになる。萩原朔太郎の「詩の原理」では詩も時間芸術だとして音楽的なものだというのだが、そこに絵画的空間芸術として詩を考えたのが西脇順三郎だろうか?それは象徴ということでイメージとして詩的言語を絵画化するのだが、ヨーロッパ芸術の古典から来ている。その永遠性に美を見るというような。ただ人間存在は不変でもない。それは川の水のように漂流していく。このへんは方丈記のような。水のモチーフはジョイスの川のモチーフでもある。
かふ
2023/08/29 08:45

新古典主義が古典の不変性に永遠の美を見出していくのだけど、日本の古典は不変でもなく変わりゆくものだというのがあるのだと思う。そこに和歌や芭蕉の俳句から与謝野蕪村につながっていく世界があるのかな。ヨーロッパの新古典主義(T.S.エリオット)とはちょっと違うような。というよりジョイスなんだよな。https://note.com/aoyadokari/n/n5f4da54a5be0

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かふ
穂村弘解体新書という本。歌人としての穂村弘と批評家としての穂村弘は別人だという瀬戸夏子『穂村弘という短歌史』が面白かった。それはほむほむという仮面を被った『ドン・キホーテ』的な仮面の騎士のようなメタフィクション的短歌論なのだが、瀬戸夏子がそういう人だった。技術論では川野里子『少女言葉の絶壁』が面白い。穂村弘がポスト・ニューウェーブに近づいていくのだが、そこに世代間の壁があるということ。山田航「穂村弘は何を信じているのか?」は短歌を信じるということが宗教告白であるかのような問題。
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かふ
女性俳句というと4Tで語られる光の、中村汀女、星野立子、橋本多佳子、三橋鷹女と影となった忘れられた俳人もいるのだった。杉田久女は影とは言い難いが、「台所俳句」というような「ホトトギス」の投稿欄から出てきて有名になると虚子によって「ホトトギス」を除名されてしまう。その代わりに出てきたのが中村汀女という「台所俳句」の人だった。ただ宇多喜代子は「台所俳句」を悪しきものというよりは、当時は台所が女性の居場所であり、そこから発信しなければならなかったと肯定する。それでも時代の影に隠れてしまった女性俳人を追っていく。
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かふ
図書館で何気にSFが読みたく取った本。カタログというか目録の豪華版。今だにディック、ヴォネガット、ハイラインとそのへんのアメリカ作家が中心であるような。私が読んでいた時期(80年代)にギブスンとかのサイバーパンクが出てきたがそれ以降をれほど変化がない。もっともこの本も2000年だった。それ以降の激変は今の方がある。例えば中国勢の台頭とか。女性作家とか。その兆しは感じられるがまだ中心ではなかった。SFと言うとアメリカ中心(ニューウェーブでイギリス系)になるのだが、そんな中でスタニスワフ・レムは異色だった。
かふ
2023/08/27 03:35

メモ。読みたいと思った本。『デューン』、『バベル17』、『虎よ、虎よ!』、『幼年期の終わり』、『スターシップと俳句』、『たった一つの冴えたやりかた』、『わが愛しき娘たちよ』、『ブレイクの飛翔』、『ハイペリオン』、『ディアスポラ』、『リヴァイアサン』、 感動したSF。『オッド・ジョン』『地球の長い午後』『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』ディックは全部、『スラン』、『ソラリス』、『闇の左手』、『スローターハウス5』ヴォネガットも愛読書だった、『人間以上』、『レ・コスミコミケ』

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かふ
杉田久女は女性俳人として虚子からも「清艶高華」と褒め称えられていたが突然の「ホトトギス」破門。一気に奈落に落とされて晩年は狂女として扱われたのは松本清張『菊枕』という小説に詳しい。その名誉回復のために娘が出した句集からの百首。虚子の求めるおしとやかな女性ではなかったようで派手な俳句が並ぶ。各地の景勝地に呼ばれて俳句を作ったりしたので、虚子より人気があったのかもしれない。「花衣ぬぐや纏る紐いろいろ」の絢爛さや全盛期の「谺して山ほととぎすほしいまゝ」から晩年の「けふの糧に幸足る汝や寒雀」まで。
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かふ
ドン・キホーテの前編の遍歴を批評する登場人物(サンチョ・パンサはもっとも批評性に富む従者なのだ)たち。遍歴を止めようとする姪っ子との対話とか漫才のようで面白かった。またそれを止めるためにわざわざ仮面の騎士に扮して闘いに挑む学士がいたり(負けて復讐心に燃えるライバル騎士となっていく)、贋作の話が出てきたりでバラエティに富んでいるので飽きさせない。そしてなんと仮面の騎士に勝って、次のライオンとは不戦勝でさい先ニ連勝と遍歴をスタートさせたドン・キホーテは遍歴の話術でも出会う者を引き付けてやまない。
かふ
2023/08/24 21:19

ドン・キホーテの騙りの魅力なのだが、それは批評家としての従者サンチョ・パンサがいるからより引き立つのであって騎士道だけではなく恋愛道まで講釈をする遍歴の哲学者(夢想家)になっている。https://note.com/aoyadokari/n/nf7d70896962d

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かふ
中也の詩の遍歴や技法がわかりやすく、詩の勉強にもなった。母の影響で短歌から初めて、関東大震災でダダに走り、冨永太郎の手引でフランス象徴詩に目覚める。小林秀雄と長谷川泰子の三角関係で人生の敗北感を味わい、歌に目覚める。詩だと書き言葉中心だが、中也は歌の口承性に注目したのは短歌の素養があったからだろうか?歌のような詩で注目を浴びたが息子の死によって沈黙の歌というような絶望感に取り憑かれて精神をきたすほどになったとか(精神病院に入れられた)。衰退しきった姿で小林秀雄に詩の原稿を渡すとか出来過ぎなストーリーだな。
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かふ
制服を着た歌人という感じがコスプレ短歌のようだったのか、一般的に話題になった(TVでか?)が歌壇からは無視されているような。それでもこの本が出て一時は賞とか取って注目されたのだと思う。話題性として作られた歌人のような気もするが。今は短歌作っているのだろうか?売り出し方が中城ふみ子とかそんな感じで、いつまでも制服姿ではキツイと思うが今の状況を詠んだ短歌とかあったら読みたいと思った。「大きく手を振れば大きく振り返す母が見えなくなる曲がり角」
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かふ
ヤンキー俳句かな。ヤンキー性は保守反動になりやすい。例えば「俺を変えた魂の二五句」の中に女性俳人は一人だけで、それも勝手な解釈によるものだった。坪内稔典が言うように批評性があるのではなく精神性というような。要は精神論に行き着くような気がする。ただ技術論的なことも結構書かれていてまともな俳句入門書だとは思う。あとは精神力(ヤンキー)というような。毎日、俳句を作って精神を鍛錬しろという教えかな。そこには仲間も必要だ。
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かふ
『古今集』が100年間に渡って和歌で培ってきた集合知的なものを一つの歌物語として千首を並べ揃えた編者の紀貫之を中心とした試みは漢文化からの脱却であり日本文化の創造性を和歌という言葉の文芸を通して編集したのは、大勢の者が係わりながらも総合芸術としてまとめ上げられた映画のようなものだと思う。その総合監督しての力量が紀貫之にあり、技術論的なことは『和歌のルール』という本に詳しいのだが、そのなかで「見立て」の章を担当している鈴木宏子の『古今集』分析も見事なものだった。
かふ
2023/08/20 09:01

100年間の古今の歌人を分類して考察した「古今集の100年」は、六歌仙の時代は藤原家の執政の時代であり、その中心から外れた個人の優れた歌人を取り上げながら紀貫之が編集していく一つの日本文化の歴史を培っていく物語であり、そして「詠み人知らず」とされる多くの無名歌人によって和歌という歴史文化が培われてきた証でもある。その間に現在(紀貫之の時代)と過去の優秀な歌人を含めて36歌仙の歌を配置していくのだ。古今集という和歌の勅撰集の創生期の絵巻(グリフィス『国民の創生』とかの映画のような)を見るようだ。

かふ
2023/08/20 09:05

36歌仙は『古今集』以後の歌人もいるので、その中の何人かですね。

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かふ
『古今集』や『新古今集』の和歌の技法を論じたもの。このあたりの技術論は凄いもので、日本の文芸モダニズム(ルネサンス)はこの頃にすでにやり切っているのだった。わずか31文字でその方法論だけ覚えてしまえば簡単というが、どうしてその31文字の中で最大限、恋する相手にラブレター(恋歌)を贈るというテクニック(装飾したラッピングで見せる)があったのだ。小野小町とか在原業平がスターだったのもこのへんの技術論をサラッとやってのけたからだった。
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かふ
このへんのモダニズムの詩は難解で、ジョイス、エリオット、マラルメときたもんだ。西脇順三郎は難解な象徴詩を書く人でこのへんの文学の学びだったのかと思った。大江健三郎「晩年の仕事」からエリオットの詩「四つの四重奏曲」に興味引かれたのだが、エリオット「荒地」もあった。このへんの影響を戦後詩人たちは焦燥化した日本(それはアイルランドの土地であった)とフランス革命の影響を与えた象徴派詩人としてマラルメがキリスト教文化と辺境の文化(ギリシアとか、ディオニソスの詩)の象徴性という詩を確立していくのだ。つまみ読み。
かふ
2023/08/19 05:47

ジョイスでは左川ちかが散文に翻訳した「室内楽」が載っていた。このへんの翻訳が後世の文学に与えた役割は大きい。あとジョイスでは『フィネガンズ・ウェイク』の冒頭「アナ・リヴィア」を翻訳していたんだ。これは凄いよね。現代文学の金字塔。

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かふ
坂本冬美の「夜桜お七」の原作の「八百屋お七」が入っていると知って読んでみた。江戸時代の町人文化、季節や生活が描かれていて興味深い。また業平とか小町とかの例えで美人を表現する。お七だったら業平の時代に生まれていたら見逃さなかったくらいの美人とか。ただ15,6の中学生ぐらいだから恋に一途で善悪を返り見ないのだった。たいてい女の淫乱という風に描かれているが。男も好き物という感じか。江戸の時代の方がいまより性的には自由だったということもあるらいが。男色は当たり前のようにあったようで最後は男色の男に恋した女の話。
かふ
2023/08/17 19:29

三番目のおさんは好き物の男を懲らしめてやろとした女房が関係を持ってしまい心中しようと逃げているうちにいい仲になってしまう滑稽譚。それで市中引き回しの刑になるのだが、後で悲劇のヒロインになるのだった。「八百屋お七」もそんな話だ。でも美人だからなのか、そういう行為が美人的なのか、結構魅力的なヒロインには描かれている(男性視線で)。西鶴は俳諧師でもあったらしく、一夜に千句も作った、インスピレーションの人だったという。俳句とか短歌をやる人は風流な言葉で書かれて、江戸時代の生活を知るにも良いテキストだ。

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かふ
去年の「高橋源一郎の飛ぶ教室」で詩人の戦争詩を特集していた。ほとんどの詩人が戦意高揚詩を書いて戦争協力をしたという。そうしなければ生きて行けなかったのだ。その中心となるのが白秋だという。萩原朔太郎『詩論』を読んで、権威に寄り添う詩は書かないようなことを書いていたが、そんな朔太郎も戦意高揚詩を書いていた。その経緯(白秋が戦争協力するまで)を描いていて興味深い。それは関東大震災で自治体からの要請で国民を一つにする民謡を要請されたりしたのだ。「東京音頭」のような明るい民謡の裏で植民地政策が進められていた。
かふ
2023/08/13 20:14

JC→ACジャパンだった。

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かふ
俳句の個人個人より系譜ごとに紹介されているので俳句界の流れを知ることが出来る。だいたい虚子の「アララギ派」に対して反発や独立するように新興俳句系かポスト・アララギ派のようなグループ(俳句誌を中心とする結社)があるわけだが、中心はアララギ派のような気がする。次々に結社はできるけどアララギ派のように長く存続するところはないような。文人俳句では芥川龍之介の俳句がいい。寺山修司も文人枠なのは、俳句だけにとどまらなかったからか。学生俳句(青春俳句)という感じか?
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かふ
ポーの「詩論」の影響を受けているのか、分析的だが「詩はすべて抒情詩である」というポーの言説を受けている。詩の核として主観的と客観的に分類して、客観的なのは小説や絵画的な散文性を上げ、詩は主観的、音楽的であり、それが韻文を形作る。しかし自由詩になると形式的な韻文も権力的になり詩心(主観)が希薄になる。詩は個人的であり、それは不完全性なものであり、今ある世界を変えていくものだ。それは今満足しうるヴィジョンではなく、別の世界を見出すものだというような。こういう頭で分析的になるのは詩的ではないんだけど。
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かふ
二部構成で「講義」と「批評」。講義では最初は『ドン・キホーテ』は大した物語ではないと言っていたのに読み進めるうちにセルバンテスの緻密さに感心していく。ドン・キホーテの闘いをテニス・プレイに例えた説明が面白く、最終ゲーム(5セット目)で負けたとか説明する。意外にドン・キホーテは20勝20敗のいい分なのだ。それはセルバンテスがそれだけ構成的にしっかり書いているのであって、ドン・キホーテとは別だとする。また語り手も「ドン・キホーテ」を書いたムーア人を翻訳したスペイン人という構図で、訳せない部分があるのだとか。
かふ
2023/08/10 04:07

ナボコフは単なるドン・キホーテの滑稽譚でもなく痛みを伴った夢の話だとする。小説の主人公は夢が行動原理になるのは、優れた小説の原理なのだという。ドン・キホーテの論理は妄想として読まずに、夢として読めば論理性が感じられるという。そして現実は夢を潰していく痛みを伴う社会なのだと。『ロリータ』もそういう原理で書かれているのだろう。他者から見れば笑えるところも本人たちは真剣なのだ。人間はもともと残酷な動物であり、他人の不幸を笑いたがる。批評は、前編だけ読んだ。後編は図書館本なので本文を読んでからにしようと思う。

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かふ
坪内稔典版「折々のうた」というような季語エッセイ。稔典さんは季語を二物衝突のようにずらすということを主張しているので、俳句の用例はその好みが出ているかな。「螢」だと「じゃんけんで負けて螢に生まれたの 池田澄子」や「蛍狩りうしろの闇へ寄りかかり 正木ゆう子」など。もともと季語は大陸から入ってきて、『古今和歌集』や『源氏物語』で意識付けられたもので、日本人はもともと二季だったとか。そういえば最近の異常気象も四季ではなく二季になったとかネットニュースで見た。四季を意識するのも若者より年取ってからだという。
かふ
2023/08/09 15:55

四季があるからというより四季をイメージするから植物や虫に出会ったりするような。二十四節気とかなるほど言葉から感じる方が先かな。立秋とか、言われると暑い中でも風が心地よい。「雀海入りて蛤となる」という秋の季語からイメージを想像する。「蛤に雀の斑(ふ)あり哀れかな  村上鬼城」実景ではなくイメージの句だろうか。

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かふ
坪内稔典はいわゆる俳句業界(俳人協会のようなもの)に属さないので言いたいことを言うので、面白い。敵も多そうだけど共感することは多々あり。最近は俳句のガーデニング化が顕著であり、それは結社の俳人やTVで活躍する俳人はゴルフのレッスン・プロのように俳句の上手い俳人を育てるが、その枠内にとどまる菊作り(桑原武夫の第二芸術論の喩え)には長けているが「破格の俳句」は少ないという。それは俳句界の中の注目にしかすぎず、芭蕉や子規のような改革者が出ない構造になっている(レッスンプロによるガーデニング俳句化)。
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かふ
ちくま文庫で途中まで読んだがそのまま積読状態で再チャレンジ。ドレの絵がいい。絵でイメージは限定されてしまうけどストーリーは掴みやすいかも。『ドン・キホーテ』は枝葉的な本筋とは関係なさそなサブキャラが語るサブストーリーがあるのだが、『ナボコフのドン・キホーテ講義』では飛ばし読みしていいとか。それほどドン・キホーテとサンチョ・パンサの話が面白く早く読みたいとなってしまうのだ。
かふ
2023/08/07 18:15

サブストーリーも本筋と関係ないことはないのだが、多様性ということだろうか?ドン・キホーテの中にはキリスト教的騎士道精神がありイスラムは敵というのが、ネトウヨの物語としても読める。

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かふ
大江健三郎の「晩年の仕事」はサイードの本の示唆によって芸術家が晩年に自身の作品をリライト(書き直し)していくのをエリオットの詩「四つの四重奏曲」の詩のモチーフ、小題とエピグラフに老人の詩から、文学作品のリリーディングとして「ドン・キホーテ」「悪霊」ベケットから三島由紀夫の自決と別の可能性について、幅広くパロディとして論じていくのでわかりにくいところがある。それは『セブンティーン』で政治小説を書いてしまったことが作家の本意として受け取られてしまうのを自己批評しながらリライトしていくというような。
かふ
2023/08/06 18:55

「さよな、わたしの本よ!」→「さよなら、わたしの本よ!」で「ら」が抜けてました。削除して書き換えるのも「ナイス」を付けてくれた人に申し訳ないのでここに訂正します。

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かふ
「ジャズ・トゥナイト 本とジャズ 」( https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=0449_01_3879567 )で紹介されていた。そうバイトしたジャズ喫茶に植草甚一「スクラップブック」が置いてあって読んでいた。植草甚一のエッセイの書き方がジャズ風で即興的にミステリーを紹介するようなエッセイだったような。当時はネットとかないから、こういうオジサンの紹介するエッセイでジャズの聞き方とか学んだ。音楽だけでなく黒人の公民権運動とかも。
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かふ
NHKラジオ『文学の世界』を聞いて。宮沢賢治の詩の音律の見事さを語っていて面白かった。https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=1929_01_3879070
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かふ
暑くて文字があまり読めないんで借りた。ショーン・タンは『せみ』を読んだけどそれ以上にこの本は絵がものを言うな。川(道)を隔てて両側にいる人と犬の絵のヴァージョンが繰り返される。長い間二つの生物が様々な場所で出会いを待っていたように。猫の方が好きなんだけどこの本を読むと犬に会いたくなる。
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かふ
図書館本なので返却期限が来たので感想を。「現代川柳」と「俳句自由律」の境も曖昧なのだが、「川柳」では一応口語で現代仮名遣い、季語はあってもなくても良い。川柳で注目される人は時実新子だという。彼女は歌人であったのだが自分を詠みすぎるということで破門されたという。それで川柳界の第一人者になったのだが、彼女の元から出てきた人を「新子チルドレン」と呼んでいるのは「土井チルドレン」の文字りか?川柳は短歌の方が流儀としては近いのかもしれない。今ではネットでつぶやくという感じで流行っているという。七七の14文字だという
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かふ
これも図書館本。「京大俳句弾圧事件」で勾留され、それ以後は俳壇から消えて行った白泉だが、死ぬまで俳句は作り続けていた。死後にその全貌が明らかになり、近年再評価された俳人である。白泉のもっとも有名な句「戦争が廊下の奥にたつてゐた」は今でも通用する新興俳句となっている。なお「京大俳句弾圧事件」で弾圧された俳人は他にもいるので彼等の再評価を望まずにはいられない。その先陣を切ったのが白泉なのである。
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かふ
表紙の絵から見てもなんたる絵なんだと思うが、中身も家族で風呂入っている絵があったり、持統天皇のイメージを覆す内容だった。その後にも「~の妻」シリーズを書いている、著者の思想が伺える。ただ持統天皇と歴史的なことはあまり知らなかったが、『万葉集』を中心としてその辺のことは理解出来た。壬申の乱とその後の大津の謀反の顛末など詳しい。そこに持統天皇の親馬鹿ぶりが伺える(女は政治を見誤る)。女性参加の政治を謳っていながら、いつまでも男性支配が続く自民党政権の天皇制のような根本的な思想があるような気がする。
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かふ
図書館本。返却期限が来たのですべてを読むことは出来なかった。最初の「黒髪の乱れも知らずうち臥せばまずかきやりし人ぞ恋しき」のイメージが強烈すぎていきなりメインデュッシュを食べてしまったので次からはなんか期待外れのような感じだった。解説でも色情女の異名が世間に広まり、それを打ち消すことで『和泉式部日記』などが書かれていたという。なんかイメージとしてはそのまま色情魔のまま突きって欲しかったような気がした。やっぱ世間の目とか気にしてしまうのだろな。同じ式部の人にああまで言われてしまえば。
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かふ
「アウトロー俳句」は本人が付けたのではなくメディアが売るために名付けたのだろう。本人たちは「アウトロー」という概念よりも「屍派」という浪漫を語っているような。それは「白樺派」を文字ったというように、俳句結社的な極めて保守的なのである。それは第三章に俳句の試作方法を論じている章があり、極めて論理的な技術論だった。エッセイは思いを語り、俳句はテクニック的なことを語った本だと思う。そのエッセイの部分はどこまでも浪漫的で現実的ではないのは一つの夢なんだと思う。
が「ナイス!」と言っています。

ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2010/03/16(5211日経過)
記録初日
2010/03/24(5203日経過)
読んだ本
2356冊(1日平均0.45冊)
読んだページ
575927ページ(1日平均110ページ)
感想・レビュー
2234件(投稿率94.8%)
本棚
25棚
性別
現住所
神奈川県
自己紹介

note https://note.com/aoyadokari

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