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2024年1月の読書メーターまとめ

かふ
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2024年1月に読んだ本
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2024年1月にナイスが最も多かった感想・レビュー

かふ
ダンテ『神曲』を逆の立場から(ベアトリーチェの視点から )描いたメタフィクション的な作品。「ポーランドの人」とはショパン弾きのピアニストでポーランドでは有名なのだが、スペインではそれほど知名度がない。演奏旅行に招いたのがベアトリス(ベアトリーチェのスペイン読み)でポーランドの男が一目惚れしてしまう。それは老いらくの愛だったのか、単に肉体を求めてだったのか彼女を悩ませることになる。それは彼女も妄想していたのだ。ストーリーはダンテ『神曲』の道を辿りながら、現代風に喜劇的に描いていて、面白い。
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2024年1月にナイスが最も多かったつぶやき

かふ

大江健三郎『芽むしり仔撃ち』で大江健三郎は終わりにして今年からは松本清張読書に入るかな。2.26までには『昭和史発掘』は読み終わりたい。今年の目標。2023年12月の読書メーター 読んだ本の数:29冊 読んだページ数:6053ページ ナイス数:875ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/56191/summary/monthly/2023/12

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2024年1月の感想・レビュー一覧
26

かふ
斎藤史は父が軍人で尊敬しているのかと思い、バリバリ右翼的な人かと思ったら全然違っていた。そういう勘違いを正してくれた歌論で、逆に斎藤史が好きになった。昭和を生き抜いた女性歌人として述志(内に秘める志)がある人で「ある日より現神(あきつかみ)は人間となりたまひ年号長く長く続ける昭和 齋藤史」とか反権力の徒として中央ではなく地方(信濃)で生きていく。それも地方では都会人に対する敵愾心の中で疎開生活という飢餓生活(いまでいう難民か)の中で食うために短歌も保守的になる。
かふ
2024/01/30 23:53

そのあとに塚本邦雄との論争が起きるのだが、相手の欠点ばかりをあげつらうのではなく自らの歌論を固めていくことになり、見事に復活を果たす。「白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り」この短歌は凄みがあるのは、戦争で殺された者の墓標というような短歌だからだ。斎藤史は写生ということも自身の内面を歌わずにいられなかった歌人なのである。「書かざればわが歌きえむ六月のうつつに薄きながれ螢や」「濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ」「暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた」

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かふ
アトウッド『獄中シェイクスピア劇団』が面白かったのだが、二匹目のドジョウとはならなかったようだ。これだったらシェイクスピア『リア王』を読んだほうがいいと思う。戯曲と小説の違いはあるが、物語として『リア王』の枠内にある物語なので、特別な新しさはなかった。アトウッドは批評性があったのだ。だからパロディとして面白かった。これはシェイクスピアに寄りかかって現代を当てはめただけのパクリだな。シェイクスピアを超えることはない。少なくともその意気込みが欲しかった。アトウッドのように。
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かふ
塚本邦雄の短歌や批評はよく分からなかったのだが、それは塚本の二面性(それは塚本の捉え方の違いであって、彼の中では一つに繋がっているのだった)、前衛短歌であると同時に伝統を継承するものとしてあり方だったのだろうと思う。それは塚本が一般的な短歌には満足することなく、短歌の伝統も革新を含んでいたとするのだ。それは短歌だけの世界ではなく、広く短歌意外の世界にも目を開くということではなかったのか。塚本邦雄のあらゆる文化に対する見識、その源は美ということなのだが。短歌を定形に閉じ込めてしまうあり方はなかったとする。
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かふ
2.26事件で処刑された男たちの戦争はそこで終わるのだが、女(妻たち、愛人も含む)たちの戦争はそれ以降も続いていくのであった。逆賊とされながら叛徒の熱血な青年将校の一途さに比して、女たちのドラマは多様性に富みそれぞれの闘いがあったのだと知らされる。彼女らのドラマは夫が処刑されたからと言って終わるものでもなかった。例えば青年将校たちが娶った妻は20前後で軍属という家柄によって結婚させられ、また夫が逆賊だからと実家から離縁させられたり、日記を読んで愛人の存在を知ってしまったりする妻もいた。
かふ
2024/01/27 23:22

男たちの戦争のあとに女たちの戦争は続いていくと書いたのはノーベル賞作家のスベトラーナ・アレクシエービッチだった。

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かふ
石川桂郎も酒飲みでけっこう風狂の人だったようだが、文章が上手い。俳人が随筆が上手いのは芭蕉とか子規がそうであったように観察眼が鋭いのかな。また俳句がポイントとして、例えば三鬼の病に侵された晩年の入院生活の中で、「水枕ガバリと寒い海がある  西東三鬼」のような名句が生まれたのだという。風狂の俳人は大体がアル中というような人ばかりだが、山頭火が酒の句よりも水の句を詠んでいたというのは鋭い指摘だ。どこか浄化されたいものがあったのかもしれない。
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かふ
岡真理さんはパレスチナの支援活動もしているし、ガザの惨状も経験しているのでパレスチナ関係はもっとも信頼できる人かもしれない。イスラエルの「漸進的ジェノサイド」は1948年ナクバ(大虐殺)から年々酷くなっておりイスラエルはパレスチナの人間性喪失を狙ったものだという。実際にイスラエル兵に撃たれるために抵抗している者もいるという。それに対抗する手段として文化的アイデンティティを培っていくこと、タイトルの「ガザに地下鉄が走る日」とは希望の芸術だということだ。地下鉄という平和時に当たり前に走る街にしたいという願い。
かふ
2024/01/25 22:51

実際のパレスチナ難民の惨状を文学や映画で紹介して、カナファーニー『太陽の男たち』、ジュネ『シャティーラの四時間』などの批評もわかりやすかった。また日本がイスラエルと軍事協力していることや、在日コリアンの立場がパレスチナに重なるとしてウトロ地区は難民キャンプと同じ感想を持ったというパレスチナ難民を紹介している(彼は役者の道に進んで殺されたのだが)。「地獄とは、人が苦しんでいる場所ではない。人の苦しみを誰も見ようとしない場所(世界)のことだ」アル=ハッラージュ。

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かふ
澤地久枝入門アンソロジー。文春の編集者が澤地久枝の本からの言葉をまとめたもので、澤地久枝が作家としてやっていくまでの道のりやその過程で出会った様々な思い出を語るような本。昭和を知る世代というより、満州帰国者だったのが彼女の原点だった。そのときの棄民(難民)の苦労話は、現代の戦争にもつながる話であり、戦争を知らない世代には、日本でもそうした歴史があるのだと証言する。それらは歴史の事実として隠されてしまうものであり、ノンフィクションライターとして、澤地久枝が関わってきた問題はそうした問題でもあったのだ。
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かふ
芥川晩年の作というより自殺した年の作品である。『ファウスト』の話は第5幕で、それまで林檎(愛)という欲望を知らなかったのに、悪魔によって知ってしまったことから、錬金術のようなまやかしな人生を後悔するというような。シバの女王は奴隷と主人の関係が逆転する。愛の虜になるというような。ロビンソンも結局は堕落の道なのではないか。 「3つのなぜ」なんか普通は考えないで人はやっていくのに芥川龍之介だからその問いの虜になってしまったということなのだろうか。
かふ
2024/01/25 02:54

芥川は西欧の文明開化には疑問符の人だったから。それらは西欧からやってきた文学問題であり、西欧化の問題でもあるのかもしれなかった。

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かふ
2.26事件の青年将校は天皇機関説だったのか?国民の窮状を天皇が理解すると思っていたようだが、結局天皇の思う内閣の一部であったから、革命にならなかったのか?革命というよりクーデターだが。もやもやが残るのは、戦後処理で天皇が責任を取らなかったのは天皇機関説だったからだと思うのだが、実際は天皇独裁だったということなのかな。あまりにも青年将校たちが天皇を信じたのか。現人神だから政治に左右されないと思ったが政治的だったということだろうか?昭和天皇は意外にキレもんかもしれない。
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かふ
2.26事件を漫画化したものと思われる。ただ漫画なので人物像はキャラ化で善悪が区分けられてしまうのがいまいちかなと思うが2.26事件の登場人物の特徴をとらえて描いていると思う(漫画だと人物像をつかみやすい。)。新聞記者の石橋?は、誰なんだろう?石橋湛山なのか?『昭和史発掘』のサブテキストして。
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かふ
以前オウム真理教の林郁夫が大学病院のシステマティックなのが嫌になって、オウムの医者になったというのを思い出した。「トリアージ」は患者を選別することで、それはシステムの中で都合よく(でもないのだが死の優先順位を付ける)行われている。それに関わる研修医と救命士の立場の違い。コロナ禍だから仕方がないのか?なかなか難しい問題である。結局そのシステムを批判しつつそうした医療に従事しなければならない問題は、アーレントの全体主義やイスラエルのガザ攻撃なんかにも繋がっていくのだろう。コロナが悪い?とかそういう問題でもない
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かふ
韓国文学はハン・ガンが好きだったが、最近はファン・ジョンウンがいいと思っている。ハン・ガンは詩的な感じがするがファン・ジョンウンは理知的な思考があるのだが、その先が不条理世界でもがいているように思える。身体的なハン・ガンに対して、精神的なファン・ジョンウンの文学世界は救われない話ばかりなのだが。それが韓国社会の現実と向き合う姿なのだと思う。『笑う男』が向き合う壁の世界。狂人日記と言ってもいい内容だが、DDがいた明るい世界と父がいた暗澹たる世界と。明るさがないわけじゃなかった。DDの「かくめい」という言葉。
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かふ
2.26事件の当日の様子からその後の処理まで。憲兵調書とか読みづらいのだが慣れてくると面白くなってくる。それはそれぞれの人間の思惑とか?青年将校たちの一途さもあるが、情けをかけるものいたり、部下に強要するものもいたり様々だ。また政権内のごたごた(対処できなさ)は今の時代もそうだと思ったり、天皇が直接不快を述べて、反乱軍とされるなど(政権は青年将校の言い分を聞いて納得したように振る舞っていた)、梯子を外された感じになる青年将校たち。つくづくクーデターの難しさ(日本ではいろいろしがらみがあるようで)を感じた。
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かふ
昭和に活躍した俳人を満遍なくという感じでインタビューしていて、随分知らない俳人がいるものだと思った。俳句の初期は食べていくのも大変で穀潰しと言われたようだが、昭和の終わりぐらいは主催誌を持って一人前みたいな感じで生活できるようになったとか。今はネットで情報を得るからなかなか厳しいようだ。もう結社という時代でもないような。カルチャースクールで俳句を学ぶような。やっぱ昔の人の俳句の方が面白いと最近感じる。年取ったのかな。
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かふ
タイトルに黒猫とあるが猫についてのアンソロジー。黒猫に代表されるのは悪魔の使いみたいなイメージ。猫が神として崇められたのは古代エジプトでその頃から飼い猫として飼われていた。穀物を食うネズミを退治するというので重宝がられたようだ。黒猫が悪魔の使いとされたのは中世キリスト教の影響で異教は邪神となるからなのだが、詩人や作家に愛されて、パリでは黒猫(シャ・ノワール)というキャバレーで一気に文化人に愛好家が生まれたようだ、猫好きの芸術家やスターは多い。謎めいたキャラと従属しない性格だからか?絵や写真も多く贅沢な本。
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かふ
ハイデガーが特別好きとか研究者以外はこの程度のハイデガー理解でいいと思う。同じ時間を無駄にするにしても2時間ぐらいで読めるのだし、大澤真幸の解説も付いてくる。まず筒井康隆の『存在と時間』は難しいハイデガー用語を筒井流に翻訳してくれる。「現存在」なんて言われてもさっぱりだった人もだいたい「人間」のことだと言われれば納得する。納得しない人はこれから先は時間の無駄だから、さっさと『存在と時間』を読め!まあ、ハイデガー用語を抜き出してみればいかに我々の生活に関係ないかがわかると思う。そうして人間は死に近づいていく
かふ
2024/01/18 05:31

それに従って時間を失うのはあなたの自由、ハイデガーの奴隷になるより、筒井康隆と共に開かれた『存在と時間』を楽しみたい。それが「空談」意味のないおしゃべりなのである。そうして人間は死に近づきつつ時間を失っていくのだが、死に立ち会うと不安が生じる。そして、世界でたった一人孤独なオレと思って己の時間を取り戻そうとする。それが世界内存在=時間内存在の人間であって、時間が熟していくと神を見たりするというのだ。この神はキリスト教の神だけど。

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かふ
自己プロデュースの失敗ということだが「東京オリンピック」に参加した時点で叩かれると予想出来ないのか?小山田圭吾を正当化するあまり鬼畜系とか擁護するのはどうなのか?なんかポリシーがなさすぎというか、鬼畜系がブームならそれに乗ってしまうこと自体が安易な人なのではと思ってしまう。小山田圭吾に興味もなく、どうでもいい話なのだが。ネットリテラシーの本なら他にいくらでもあるし、あえてこの本を読む必要は小山田圭吾ファンしかないように思う。オザケンはそういうことをしない人なんだし、叩かれて大人になるということか?
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かふ
『侍女の物語』を世に出して、その続編を望む声が多かったのにも関わらずすぐに書けなかったのは、現実世界のほうが遥かにディストピアに成って行ったからだという。それでも続編を望む声は多く、一応の決着は付けたと感じなのだろう。前半の暗澹たる描写は読んでいて楽しいものではなかった。特に男性はそう感じるだろうと思う。それとイスラム社会の女性蔑視とか似たような事件が未だ解決されてはいない。日本でも大物芸能人?の女性接待事件とか、近いニュースが正月から飛び交っている。今『源氏物語』を読み直しているがそういう伝統は日本にも
かふ
2024/01/14 05:34

あったのではないか。それは、『侍女の物語』を読んでいるときも感じたことではあるが、父権社会で女性は部屋で待ち続けているというのは、侍女性(制)の現れではないかと思うのだ。オリエンタリズムと評価されることも、イスラム世界とも重なっていく。ただそこに原理主義も描かれているから『源氏物語』は父権社会の批評の物語としても読めるのだ。この物語がフィクションで架空のディストピア社会のことだ安心して読める人がどのぐらいいるのだろうか?そう思うとラストになるにつれて明るい感じになっていくのは、著者の願いもあるのだろうけど

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かふ
私に取ってはディックはかけがえのない作家で、後期ディックの精神世界を告げるこの作品も大好きな作品なのだが、いまはあまり傑作とされないらしい。それはディックが切り開いてきたインナースペース(内宇宙=精神世界)が今では当たり前のようにSFに取り込まれ、ディストピアSFが普通になっている。この作品も管理社会から抹消された人気歌手がIDを失ったために露頭にさまようというストーリーになっている。SFよりは文学的でダヴァナーの視点とそれを監視する国家警察のフェリックス・バックマンの覗く世界と描かれており秀逸だと思った
かふ
2024/01/11 01:41

これを読んだのはサンリオSF文庫で当時は岩波文庫よりもわくわくした作品が多かったように感じる。ダヴァナーはカストラートでありその彼が歌う「流れよわが涙」というダウランドの曲がテーマの一部になっているのだが、当時の荒廃した社会にあっての清涼剤としての音楽、その幻想世界が精神世界へと繋がってゆく。またディックのお得意の動物を使った喩え「エミリー・ファッセルマンのネズミ」の寓話が物語内物語として重要になってくる。それは聖書のような喩え話になっていくのだ。三人称小説なのに一人称のモノローグ的描写は「意識の流れ」で

かふ
2024/01/11 01:47

後の「サイバーパンク」へと発展していくのだが、その先行作家がディックであったのだ。SFと文学の境界を取っ払って、SFの中に文学を折り込んで行ったのがディックなのだが、それと同時に文学の世界にチープなSF世界を折り込んだのもディックと言える。例えばアウトウッドの『誓願』とか読むとディックの世界を感じる。また当時の文化状況も背景にあり、ドラッグと米ソ冷戦と終末論的世界と管理社会とラブ&ピースのポップアイコンが混沌とするディックの精神世界を描いているのであった。

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かふ
ダンテ『神曲』を逆の立場から(ベアトリーチェの視点から )描いたメタフィクション的な作品。「ポーランドの人」とはショパン弾きのピアニストでポーランドでは有名なのだが、スペインではそれほど知名度がない。演奏旅行に招いたのがベアトリス(ベアトリーチェのスペイン読み)でポーランドの男が一目惚れしてしまう。それは老いらくの愛だったのか、単に肉体を求めてだったのか彼女を悩ませることになる。それは彼女も妄想していたのだ。ストーリーはダンテ『神曲』の道を辿りながら、現代風に喜劇的に描いていて、面白い。
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かふ
「ディカーニカ近郷夜話」の面白さがだんだんわかってきたのだ。今ある小説のようなわかりやすいストーリーではなく民話的な土台にゴーゴリの騙り(老人語り)があり、ウクライナの伝統的な民族・風習の話が祭の伝承しての神話中心に語られているのだった。それは映画「魔界探偵ゴーゴリ」シリーズで祭の日に起きる殺人事件がそうした風習と関係していることでもあった。ここでは五月祭が水の精の伝承があり、そこに村長の息子のラブストーリーと合体して語られる。ウクライナの伝承があり、二次的なラブ・ロマンスがあるという創作になっている。
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かふ
いわゆる入門書の類の本ではなく、新説を開陳しますというたぐいの本。『古今集』は勅撰集(天皇の命令を受けている)だから紀貫之でもふざけたことは出来でないだろうと不信に思いながら読んでいたが、『古今集』の時代が仮名文字の変革期にあり、そこから言語遊戯的な和歌が広まって行ったというのは納得できるような。そもそも『土佐日記』を女と称して仮名文字で書いた人だし、そのぐらいはやったかもしれない。現在で言うと筒井康隆のような文学改革者だったのかもしれない。
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かふ
シェイクスピア翻訳者の松岡和子と心理学者の河合隼雄の対談集。シェイクスピアは人間観察も鋭く心理学者並の知見を持っていたとか。また言葉遊びはフロイト以前のフロイディアンと本国では言われているそうで、言い間違いもセックスに関連付けたものが多いとか、興味深い話が聞ける。ジュリエットが14歳でハムレットが30歳、リアが80歳を超えていてその年代の人物を見事に描き分けている。シェイクスピアの面白さにキャラの面白さがあるが、悪役として描いたリチャード3世も人気があるのは善人では退屈するドラマであり、欠点も描いている。
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かふ
斉藤史の父、斎藤瀏を通して見た昭和維新史ということか。2.26事件は半分ぐらい読んでやっと出てくる。斎藤瀏の半生というような本なのだが、斉藤史は父親だから感化されていくのはわかるが、著者に批評精神がないので斎藤瀏の軍国主義をなぞるような本になっている。ちょっとがっかり。あと幼馴染のクリコ(男、栗林中尉)は感情的に成りすぎて、松本清張の安藤中尉とは対象的だった。そういうところも物語的な本なのかもしれない。憲兵調書はカタカナの文語ではなく、易しい口語に置き換えているので、そこは読みやすかった。
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かふ
ディカーニカ村(ウクライナ)の神父が語る魔女(ウェーヂマ)にたぶらかされて人殺しをした男が金貨を得て好きな娘と豪華な結婚式をやるが村人の噂(悪魔に憑かれた)になり破滅していく。イワン・クパーラは異教徒の太陽祭ということで、魔女(ウェーヂマ)は水の魔女ということなのでウンディーネかと思う。映画『魔界探偵ゴーゴリⅡ』の話だった。神父のまた聞き(ゴーゴリらしき人物の)なので、物語が脚色されていたりするのだが、民話的な話。あと豪華な結婚式のシーンとかの描写がいい。
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かふ
詩の創作のヒント(エッセイ→詩)から詩の鑑賞(シェイクスピア、リルケ)、そして詩の添削(余計なお節介と書きながら)までしてしまう入門書。詩に興味があったり、書いてみたいと思う人はいい入門書だと思う。こういう詩の入門書は珍しいかもしれない。https://note.com/aoyadokari/n/n638ec4c40e32
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ユーザーデータ

読書データ

プロフィール

登録日
2010/03/16(5178日経過)
記録初日
2010/03/24(5170日経過)
読んだ本
2330冊(1日平均0.45冊)
読んだページ
568006ページ(1日平均109ページ)
感想・レビュー
2209件(投稿率94.8%)
本棚
25棚
性別
現住所
神奈川県
自己紹介

note https://note.com/aoyadokari

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