大江健三郎『芽むしり仔撃ち』で大江健三郎は終わりにして今年からは松本清張読書に入るかな。2.26までには『昭和史発掘』は読み終わりたい。今年の目標。2023年12月の読書メーター 読んだ本の数:29冊 読んだページ数:6053ページ ナイス数:875ナイス ★先月に読んだ本一覧はこちら→ https://bookmeter.com/users/56191/summary/monthly/2023/12
そのあとに塚本邦雄との論争が起きるのだが、相手の欠点ばかりをあげつらうのではなく自らの歌論を固めていくことになり、見事に復活を果たす。「白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り」この短歌は凄みがあるのは、戦争で殺された者の墓標というような短歌だからだ。斎藤史は写生ということも自身の内面を歌わずにいられなかった歌人なのである。「書かざればわが歌きえむ六月のうつつに薄きながれ螢や」「濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ」「暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた」
実際のパレスチナ難民の惨状を文学や映画で紹介して、カナファーニー『太陽の男たち』、ジュネ『シャティーラの四時間』などの批評もわかりやすかった。また日本がイスラエルと軍事協力していることや、在日コリアンの立場がパレスチナに重なるとしてウトロ地区は難民キャンプと同じ感想を持ったというパレスチナ難民を紹介している(彼は役者の道に進んで殺されたのだが)。「地獄とは、人が苦しんでいる場所ではない。人の苦しみを誰も見ようとしない場所(世界)のことだ」アル=ハッラージュ。
それに従って時間を失うのはあなたの自由、ハイデガーの奴隷になるより、筒井康隆と共に開かれた『存在と時間』を楽しみたい。それが「空談」意味のないおしゃべりなのである。そうして人間は死に近づきつつ時間を失っていくのだが、死に立ち会うと不安が生じる。そして、世界でたった一人孤独なオレと思って己の時間を取り戻そうとする。それが世界内存在=時間内存在の人間であって、時間が熟していくと神を見たりするというのだ。この神はキリスト教の神だけど。
あったのではないか。それは、『侍女の物語』を読んでいるときも感じたことではあるが、父権社会で女性は部屋で待ち続けているというのは、侍女性(制)の現れではないかと思うのだ。オリエンタリズムと評価されることも、イスラム世界とも重なっていく。ただそこに原理主義も描かれているから『源氏物語』は父権社会の批評の物語としても読めるのだ。この物語がフィクションで架空のディストピア社会のことだ安心して読める人がどのぐらいいるのだろうか?そう思うとラストになるにつれて明るい感じになっていくのは、著者の願いもあるのだろうけど
これを読んだのはサンリオSF文庫で当時は岩波文庫よりもわくわくした作品が多かったように感じる。ダヴァナーはカストラートでありその彼が歌う「流れよわが涙」というダウランドの曲がテーマの一部になっているのだが、当時の荒廃した社会にあっての清涼剤としての音楽、その幻想世界が精神世界へと繋がってゆく。またディックのお得意の動物を使った喩え「エミリー・ファッセルマンのネズミ」の寓話が物語内物語として重要になってくる。それは聖書のような喩え話になっていくのだ。三人称小説なのに一人称のモノローグ的描写は「意識の流れ」で
後の「サイバーパンク」へと発展していくのだが、その先行作家がディックであったのだ。SFと文学の境界を取っ払って、SFの中に文学を折り込んで行ったのがディックなのだが、それと同時に文学の世界にチープなSF世界を折り込んだのもディックと言える。例えばアウトウッドの『誓願』とか読むとディックの世界を感じる。また当時の文化状況も背景にあり、ドラッグと米ソ冷戦と終末論的世界と管理社会とラブ&ピースのポップアイコンが混沌とするディックの精神世界を描いているのであった。
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