なればこそ、「相愛の男女が触覚の世界を楽しむ」ということが、ふと初老の二人であることを忘れてしまうほどのエロティシズムに溢れているのだろう。視覚と言語という「距離の悲哀」(ワイリー・サイファー)を峻拒したところに、ずいぶんエロチックな老いらくの恋があったものである。かつて、春琴にお湯をかけたのは誰かということで、佐助犯人説や春琴自害説なんという、なんとも物騒な議論もあったようだけど、なんか頓珍漢なとこで揉めてんでないかい?、なんてことをちょっとだけ思った。
とぼとぼと読む。言葉の彩りに魅せられつつ。言葉の気紛れを追いまわしつつ。
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なればこそ、「相愛の男女が触覚の世界を楽しむ」ということが、ふと初老の二人であることを忘れてしまうほどのエロティシズムに溢れているのだろう。視覚と言語という「距離の悲哀」(ワイリー・サイファー)を峻拒したところに、ずいぶんエロチックな老いらくの恋があったものである。かつて、春琴にお湯をかけたのは誰かということで、佐助犯人説や春琴自害説なんという、なんとも物騒な議論もあったようだけど、なんか頓珍漢なとこで揉めてんでないかい?、なんてことをちょっとだけ思った。